旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

田沼武能写真展「東京わが残像1948-1964」を観て

2019-03-16 11:23:37 | 文化(音楽、絵画、映画)


 砧の世田谷美術館で開催中の田沼武能写真展を観てきた。田沼はすでに90歳でありながら現役活動を続けている写真家であるが、そこには、若き田沼の目(6,70年前)がとらえた東京下町の姿が、生き生きと並んでいた。昭和20年代から30年代前半は、高度成長時代に入る前の時代で、まだ戦後の匂いが漂い、貧しさが残っていた。
 展示は3章に分かれ、第1章「子供は時代の鏡」、第2章「下町百景」、第3章「忘れえぬ街の貌」と題されて、それぞれ60点、合計180点が展示されていた。いずれも見ごたえがあり、観終わって時計を見ると二時間を要していた。
 中でも第1章の「子供…」は圧巻で、そこには、何もないがひたすら何かを求めて生きていく子供たちの姿が活写されていた。貧しそうな路地裏で将棋に夢中になる子供たち(「路地裏の縁台将棋)、遊びの延長に必ず起こるケンカ(「ままごとあそびからケンカへ」や「ケンカは遊びにつきもの」など)、また、数少ない楽しみの一つだった紙芝居に惹きつけられる全員の真剣な瞳(「紙芝居に夢中になる子供たち」)など、すべて懐かしい。
 思えば、ここに映し出されている子度たちは、後に言う団塊の世代の子供時代の姿だ。彼らが大きくなって、日本の高度成長を支え、良くも悪くも団塊の世代として一世代を築くのだ。その世代は、戦後の焼け野が原に生れ落ちて、何もないところから何かを求め、将来を夢見て、日本を高度成長に導く一翼を担ったのだ。
 その子供たちの活動力の源を、何かを求める夢見るような瞳の中に感じた。

  
   世田谷美術館

     
     美術館の庭に立つ大クヌギ


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