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ヴェツラーからフランクフルトに帰ると、街の真ん中に「ゲーテ像」が立っていた。また近くの公園に「シラーの像」もあり、二人の交友とともにドイツ文学の層の厚みに圧倒される。
ゲーテ像のゲーテは威厳に満ちていた。それは『若きウェルテルの悩み』の顔つきではなく『ファウスト』のそれに見えた。
前回書いたように、ゲーテはヴェツラーにおけるロッテとの悲恋を題材に『ウェルテル』を書くが、その書き方は、構想はかなり練ったようであるが、一気に書き挙げた形跡がある。本人は4週間で書いたと言っている(『詩と真実』)が、それはやや誇張としても、「3ヶ月に満たなかったと言うことは立証されている」とされている。(岩波文庫版訳者解説p201)
それはまた大変な文筆力であるが。
それに対し『ファウスト』は、20歳のときから構想を練り、24歳で書き始め、完成したのは82歳のときであった。(相良守峯訳岩波文庫版『ファウスト』第一部訳者解説p358) 実に60年に及ぶ力作である。もっと言えば、ゲーテは生涯『ファウスト』を書き続けたと言えるのであろう。
とても常人のなせるところではない。何がそのしつこさを生んだのであろうか?
ゲーテ像の立ち姿は、「そのようなことが出来た男だけが醸し出す威厳」に満ちていた。
ゲーテハウスを訪ねると、ゲーテのあらゆる遺品が5階建ての建物いっぱいに詰まっていた。書斎の壁一面に書棚が架けられ、そこに天井まで並べられた「古ぼけた書物」を見ただけで、その蓄積の膨大さにたじろぐ思いであった。
3階か、4階だったと思うが、案内役のおじさんが巨大な腹を突き出しているので、その腹を指差しながら、「beer or baby? (その中身はビールか? それとも赤ん坊か?」とからかってみた。彼は高笑いをして、あたかも「この中には、ゲーテの偉業が蓄積されているのだ」と言わんばかりに巨腹をゆすった。
ゲーテは今に生きている・・・・・・
八郎潟町では浦城(うらじょう)のお話とアオコの話が話題です。
アオコはさておき、浦城の歴史を伝える会がNPO法人を取得し、来月11月11日に設立記念パーティを開催することとなりました。
パーティには間に合いませんが、浦城にちなんで、城下町の湧き水を使った新酒を作ることになり福禄寿で仕込が始まりました。来年早々に発売の予定です。名前は「浦城本丸跡」だそうです。お楽しみに。
ドイツの話が続いていたのでちなんだ話題を。
先月までNHKの朝ドラで放映されていた「どんと晴れ」の最終回でPAX INTRANTIBUS, SALUS EXEUNTIBUS「来るものに安らぎを、去り行くものに幸せを」という言葉がおもてなしの心として台詞に使われ、一時話題になりました。
実はこの言葉は大学時代にのラテン語の先生に教えてもらった言葉で、開業したら玄関の門に掲示しようかなと思っていた言葉でした。
30年ぶりに聞いた懐かしい言葉とドイツの話題で、また思い出しました。