旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

ノイシュヴァンシュタイン城(3)--ルートヴィヒは狂気であったか

2007-11-03 17:05:31 | 

 

 ノイシュヴァンシュタイン城を、「異常な世界が生み出した美」と書いた。事実、その城主ルートヴィヒ二世は、バイエルン政府に精神病の宣告を受けて王位を奪われ謎の死を遂げた。
 はたして真実は何であったのか?

 多くの著述によれば、王の最期は次のように書かれている。
 ルートヴィヒ二世の築城を中心とした浪費を、王の狂気の故とした政府は、多くの医師の診断書により王を精神病と決めつけて逮捕した。しかし、それらの医師は王を直接診断することすらしていなかったという。
 1886年6月12日真夜中、ノイシュバンシュタイン城に滞在していたルートヴィヒ二世は、バイエルン王国政府委員会によって逮捕され、シュタルンベルガー湖畔のベルク城に移される。翌夕刻、「もう一度散歩をしたい」と言う王は、付き添いのグッテン医師と湖に向かい、そのまま帰らぬ人となった。
 深夜、シュタルンベルガー湖で二人の溺死体が発見された。それが自殺であったのか、他殺であったのか、はたまた事故死であったのか永遠の謎とされて現在に至っている。

 ルートヴィヒは極めて豊かな感性の持ち主であったようだ。彼はバイエルンアルプスの自然の中に生き、素朴で誠実な村人たちと交わり、シラーの詩を読み、ワーグナーの音楽に心酔してきたが、幸か不幸か前述したように帝王学の一つも学ぶ機会を与えられなかった。ユリウス・デージングはその著『王 ルートヴィヒ二世』で次のように書いている。

 
「王子の傍には自分の本心やしばしばあふれんばかりの感情を打ち明けられるような助言者がいなかった。そのためすでに若い頃から自分の世界、つまり実生活からかけはなれた自己中心世界を築き上げてしまったのであろう。」

 このように見ると、ルートヴィヒはその類まれな感性のゆえに常人と異なり、正に狂人と紙一重のところにいたように見える。
 しかし彼は狂人ではなかった。それを示す事例が多くの記述に残されている。(長くなったので続きは次回)
                      


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