いずれの作品にも感動したが、中でも『砂山の松』は心に残った。
神は二つの種をまき、ひとつは鳥のいすかになり、もう一つは人で木こりになった。そして神は告げる。「どんなことがあっても、けっして、ひとをうらむなよ。けっして、じぶんをすてるなよ。もう一つ、どんなものでも、じぶんのものとなったら、たった一つは、あとにのこしておくがいい」と。
いすかは砂山の松林に住みつき、松のみを食べながら生きる。その松林は木こりの持ちもので、貧しくなった木こりは、売りに出すため次々と松を切る。最後の一本も売る必要があったが、そこにとまっているいすかを不憫に思い、一本だけを残す。年を経て、やがて死期を迎えたいすかは、食べ続けた松のみの一つを、小山の上の砂に埋めて死んでいく。
また何年かたって…、三匹のツバメが嵐の海を渡ってきた。岩に降り立つが波しぶきに濡れて休まらない。「どこか休むところがないか」とさがし、ようやく見つけたのが砂山の高いところに立つ一本の松であった。
「どんなものでも、じぶんのものとなったら、たった一つは、あとにのこしておくがいい」
このお告げは、人間社会、特に現代社会を痛烈に指弾しているのではないか? 人類は、進歩の名のもとに自然環境を破壊し続け、資源を食いつくしてきた。利潤第一主義をモットーとする資本主義社会は、利益のためには最後の一粒まで食いつくす。「たった一つ」でも「あとにのこす」ことはない。残せば、それは競争相手に食べられ、競争に負けるからだ。
この作品は、百年近くも前に書かれたものであるが、浜田廣介は、すでに現代社会の行き着く先を見抜いていたのであろうか? 少なくとも、浜田は、「一つはあとにのこす」という哲学を、子供の心に植えつけておく必要があると思ったのであろう。
この点だけ見ても、浜田が、童話を、万人に向けた高い水準の文学に引き上げたことが分かる。
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