旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

純米酒フェスティバル2009名古屋

2009-07-13 09:58:48 | 

 純米酒フェスティバルは、春と秋東京で、夏に大阪で開いてきたが、今年は大阪をやめ初めて名古屋で開いた(09.7.101830分~21時)。どうなることかと心配していたが、23蔵が出展、250人が集まり成功裡に終わった。

 私ども委員としては、東京、大阪に続き日本第三の経済圏である中部の人たちが、お酒――中でも純米酒というものにどんな反応を示すのか、不安と期待を抱いていたのであるが、結論的には中庸的な反応で、なかなかスマートなよい会であったように思えた。
 大阪は経済ド根性の町だけあって、参加する以上はしっかり飲んでしっかり食べて、ちゃんと元は取らせてもらいます、という感じであり、東京は、所詮は酒飲みの会であるので酒好きが集まることに違いないが、必ずしも酒が飲めなくても雰囲気を楽しむ、文化を楽しむ、交流を楽しむ・・・というような人も集まる。酒飲み会であるが、ちょっと垢抜けした面もある雰囲気だ。
 名古屋はその中間にあって、まず酒が十分飲める人しか来ないが、意外におとなしく、結構雰囲気も楽しみながらスマートな会になった・・・と言う感じがした。私は昔なじみの何人かに宣伝したが、特に酒飲みというほどの人でもなかったので、全く反応がなかった。「ホホー、そんな会があるのか・・・、酒はともあれ行ってみるか」と言う人はまずいないような気がした。東京にはそのような人が、多くはないが居るにはいるのだ。

 ただ参加していただいた人には、大方の人に喜んでもらった。かなり多くの人から「来年も絶対にやってください」と言われた。私のハッピの袖をつかみ、何時までも離さず「来年もきっと開いてください」と言い続けていた女性もいた。
 さて来年はどうなるか? ①引き続き名古屋でやるか、②もとの大阪に戻すか、③大阪、名古屋双方でやるか、三つの選択枝があるがどうなるか? 東京の二つの会ははずせないので、③については主催側の(特に蔵元さん側の)体力の問題が大きい。年四回は大変だ。それと何よりも、日本酒の流れがどうなっていくか、に大きくかかってくることになるのだろう。


                            


囲碁「藤沢秀行の世界」(つづき)

2009-07-12 12:38:31 | 文化(音楽、絵画、映画)

 このテーマについては、NHKの番組で受けた印象があまりにも強かったので、直後に書いたもので、門外漢に等しい私はそれ以上触れることは思っていなかった。
 ところが二人の方からコメントを頂き、しかも囲碁論議に発展しており、「中韓の棋士の強さ」と秀行先生とのかかわりについて思い出したことがるので書き添えておく。(コメントに対する私の感想は、同欄にコメントした)

 NHKの番組でもあったように、秀行先生は中国に何度も出向き同国の棋士たちを指導したようだ。そしてめきめき強くなる中国の棋士たちに日本が勝てなくなったことを嘆いた日本棋院の連中が、「秀行先生が相手に教えるからだ。先生は敵に塩を送っている」と非難したという有名な話がある。
 それに対して秀行先生は、「馬鹿野郎! そのようなケチなことを言っているから日本は勝てないのだ!」と一喝したとも聞いている。

 そこに藤沢秀行と言う人間の大きさがあったのではないか? 秀行先生は国の差別なく教え、その中での「強烈な努力」(最後の病床で弟子に書き残した言葉)で、技術だけでなく人間力そのものを高めた棋士が勝ち抜き、それこそが囲碁界全体の水準を高めることだと信じていたのだろう。
 日本は今後も「絶対に中韓に勝てない」と言う人もいるが、私は、藤沢秀行の言う真の意味での「強烈な努力」をする人間なら、日本人であろうと世界のどこの国の人間であろうと、強い棋士になれるのではないかと思っている。
                   


囲碁「藤沢秀行の世界」

2009-07-09 21:45:50 | 文化(音楽、絵画、映画)

 今夜の『NHKクローズアップ現代』が、先だって亡くなった囲碁界の鬼才藤沢秀行を採りあげた。心に残る番組であった。
 私は碁は打たないが、私の周囲にはいわゆる「碁打ち」がうようよいる。弟4人がみんな5段の6段の7段のと言っている(もちろんアマチュアの世界であるが)
。寄るとさわると自分が一番強いという話をしているように見える。話によると負けた碁はほとんどなく、負けた場合も「本当は勝っていた」という話が多い。中には「完全に勝っていたのに負けた」という話すらある。実に不思議な話である。
 その中に、一人プロがいる。甥っ子の首藤瞬という6段である。この男は、当然のことながら「勝っていたのに負けた」というような話はしないようだ。時々話を聴くが、あまり勝ったとか負けたとかの話はしないように見える。前述したアマチュアの連中とは違う世界に生きているのであろう。

 NHK番組の「藤沢秀行の世界」は、厳しい勝負の世界――正に「勝った負けたの世界」を題材にしながら、全く別の話をしていたように聞こえた。彼にとって重要なことは、勝ったか負けたかより「良い手を打つこと」であったようだ。だから彼は多くを勝ったのかもしれない
 結論的に藤沢秀行の言ったことは、「碁は技術だけでは勝てない。」、「勝つためには人間を磨け」、「勝負はその人間の生き様の現われだ」ということのようだ。
 藤沢秀行という男は、いわゆる「碁打ち」という水準をはるかに超越したところに生きていたのであろう。

 私の周囲には、前述したようにいろんな碁打ちがうようよ居るのでヤヤコシイのであるが、一人プロとして生きる甥っ子は何とか藤沢秀行の哲学を追求してもらいたいものだと思っている(もちろん、人真似でなく自分の哲学を追求することとして)。その素質があるから他の「碁打ち」と違ってプロになったのだと思うから・・・。
                    


24節気の酒 ・・・ 小暑

2009-07-07 20:49:18 | 

 今日は小暑・・・、夏で一番暑い大暑(7月23日頃)に向かう準備段階のような控えめな節気である。小暑から大暑、それから8月上旬の立秋(8月7日頃)までがいわゆる暑中で、暑中見舞いはこの期間に送るもの、それ以降は残暑となる。

 今日の7月7日は、小暑などというより七夕と呼ぶ方がはるかに有名、その意味からも小暑は控えめである。そして、織女と牽牛の年一回の逢瀬も、何ともしとやかで控えめな行事といえよう。
 東京は今朝は曇りで、二人が会えるかどうか心配であったが、夕方から晴れ間が出てきて、二人はめでたく会えて愛を語り合っていることだろう。

 ところで、織女と牽牛はどんな酒を飲みながら逢瀬を楽しんでいるのだろうか?
 ナニ? 年一回の短い逢引に酒など飲む時間はナイって?
 とんでもない。酒は二人の愛をいっそう豊かにすることはあっても、その愛を奪うことはしない。ほんのりした酔い心地は、相互の気持ちをほぐし心をやわらげ、愛の仕草を実らせる・・・。
 織女は牽牛にどんな酒を持ってきたのか? 牽牛は二人で飲む酒に何を選んだのであろうか?

 小暑といえども今日の東京は29度・・・、二人が飲んでいる酒はもしかすると「みぞれ酒」かもしれない。みぞれ酒とは、生酒をそのまま冷やし凍らせ、シャーベット状にしたものだ。昔は珍しくて何度か飲んだ。飲むというより、シャーベットのように食べるというほうが正確だろう。正直言ってそんなに美味しいとは思わなかった。昔のものはアル添酒やせいぜい普通酒などであったのかもしれない。

 念のために日本名門酒会のホームページを見ると、驚いたことに「飛良泉『山廃氷結生詰』(山廃本醸造生)」と、「嘉美心『特別純米生』」、「萬歳楽『白山氷室』(純米吟醸原酒生」」の三種が載っていた。
 これには驚いた。山廃や特別純米、純米吟醸などがシャーベットになっているのだ。未だ飲んでいないが、一度飲みたいものだ。

 織女と牽牛は、みぞれ酒を飲みながら愛を語り、「あら、体が冷えてきたわ」などと目を潤ませる織女を牽牛はやさしく抱き寄せ、二人は、いっそう深い愛の波間に身をゆだねているのかもしれない。
                    


国民本位の政治革新母体を

2009-07-05 13:35:22 | 政治経済

 昨日のブログに、自公与党と民主党のなじり合いは「目くそ鼻くそを笑う」様なものだと書いた。特に政権担当能力を失った自民党は、相手の敵失による得票増しか望めないので、とにかく相手の失点だけが頼りだ。
 双方とも「お前の目くそは、俺の鼻くそより汚い」とののしり合っている。汚い度合いが相手より低いので、私を支持してくださいと言っているのだ。どちらも汚れていることに違いなく、そのようなものを支持できるわけがない。
 せめて、双方とも目鼻をきれいに洗って(政治献金問題なら双方とも抱えているのだから、相互に釈明して)、「国民の皆さんどちらがきれいか」と問うて欲しい。それよりも重要なことは、国民の生活をこうする、国の未来をこうするという政策の提起であるが。

 いずれにせよ、自民党政治の流れの中ではこの国の未来はない。 また自民党の片割れ(特に金権体質の総本山田中派などの流れ)が主流を占める民主党にもそれは出来ないに違いない。 戦後自民政治からの脱却は、これまでその潮流に手を染めなかった人たちに拠るしかあるまい。

 社民党も、自民と連立を組んだ村山社会党の歴史があるので、既存政党で自民政治に全く染まってないのは共産党だけだ。共産党は国民本位の政治を提起し続けているが、今すぐ共産党を中心にした政権を樹立するのは、国民の根深い反共思想もあって無理だろう。共産党自体も、当面の最重要課題は政治の革新だと言っている。
 ここは、旧来の自民政治に汚れていない人たちによる新しい政治団体が必要な気がする。恐らく、国民本位の政治を中心課題にした「21世紀の新しい日本をつくる会」的な組織で、それを、憲法9条の会とか、革新懇とか派遣村実行委員会など草の根会が支持し、政党的には共産党や社民党、また、自民党と民主党から決別した良心的政治家の集まる「新民主党」などが支持して大きな輪を広げる・・・古い言葉で言えば「救国国民統一戦線」的なものが必要だろう。

 しかし、その「新しい日本をつくる会」のヘッドにはかなりの人物が要る。何人か頭に浮かぶが、実現はそう簡単ではあるまい。
 絵に描いた餅、ない物ねだりか・・・? しかしそれでは、多くの国民は“目くそ”か“鼻くそ”を選ばなければならない。
                   


自公と民主の茶番劇政争に決別を

2009-07-04 13:27:08 | 政治経済

 土日の朝は、各テレビが報じる政治討論番組を見るのが日課になっていた。ところが最近の政治状況、特に自公と民主党の低次元政争にすっかり嫌気がさし、そればかり取り上げる番組を見るのも嫌になってきた。
 このブログも、たくさん政治経済問題に触れてきたが、最近はそれを書く気もせず、むしろ無視しようとしてきた。ただ、あまりにも馬鹿馬鹿しいので一言触れておく。

 自民公明の与党も、かなり次期政権に近づいているとされる民主党も、国民の生活、国の未来という政治家の最大課題に取り組むのでなく、次の選挙でどうすれば有利かという、自分のことばかりを優先させていることは、多くの指摘するとおりだ。
 仮にそうであっても、自らの政策、理念を競い合うのならまだしも、相手の欠点を探して、つまり敵失で点を稼ごうと言うのだから話にならない。政治献金問題にいたっては、どう見ても全く同罪である。鳩山問題が出てきたら鬼の首を取ったように敵失減点を煽っているが、自民党こそ政治献金疑惑の巣窟ではないか。今朝も最大派閥の町村氏が鳩山批判をやっていたが、自分のことを棚にあげてよくも言えるものだと思った。
 そもそも小沢も鳩山も自民党金権政治の総本山田中派の流れだ。同じ穴の狢(むじな)が「目くそ鼻くそを笑う」茶番を演じているのだ。
 来るべき衆院選が「自公か民主か」の争いであるという幻想に捉われているとすれば、国民はとんでもない茶番劇に引き込まれているのではないか?

 では、新しい日本をどこに委ねればいいのか? 
 「21世紀の新しい日本をつくる会」はどこにあるのか? じっくり考えることにしよう。
                    


七月の行事

2009-07-02 21:33:42 | 時局雑感

 六月はオペラに振り回された月であった。2日にサントリーホールでバリトン「ディミトリー・ホロストフスキー」、18日に『トナカイ』でテノール前田進一郎などのアリア(そういえばトナカイには5月27日にも行って「椿姫」名場面を聞いたので連チャンだったのだ)、23日には娘が企画した「オペラアリアコンサート」と続いたので、オペラの話ばかりしていた気がする。
 その間、秋田に出向き「秋田県下の歌碑」や「竿灯の話」などを聴いてきたので、何とも文化の香りのする一ヶ月であった。

 七月はどんな月か・・・
 上旬では、10日の「名古屋純米酒フェスティバル」が大変だ。2000年に純米酒フェスティバルの
立ち上げに参画し、東京で春秋2回開催してきた。2002年から夏の大阪を加えた。東京は春秋いずれも大盛況、大阪もそれなりの動員を続けてきた。今年はその大阪をやめ、名古屋で開催することにしたのだ。
 第一の都市東京、第二の都市大阪を加え、このたび第三の都市名古屋で開くことになった。「本来の日本酒は純米酒である」というわれわれのコンセプトが、中部経済圏の人々にどこまで浸透しているか楽しみである。

 下旬の大行事はわが社の株主総会である。このところの経済不況で、わが社もリストラを断行中だ。何とか経常利益を計上することは出来たが、株主の皆様にいっそうのご理解とご支援を願わねばならない。税務申告ともども、計理担当者には結構忙しい七月だ。
 その他に、銀行時代の同窓会的集まりが2,3ある。暑くてじめじめして、動きずらい七月は意外に行事の多い月である。

 世の一般的「74歳」の七月は、どのような日程になっているのだろうか?
                   


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