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最近の沖縄紙には集団自決に関する記事が少なくなったが、9日に教科書記述に関する左翼集会が国会内で開かれ、翌10日の沖縄タイムスにこれが報道された。
このような左翼集団の集会が国会内で開催されることの当否はおくとして、タイムスのウェブ記事にはないので、「しんぶん赤旗」から引用する。
2009年12月10日(木)「しんぶん赤旗」
教科書検定制度や採択のあり方、沖縄戦「集団自決」検定の問題をめぐり「教科書はこのままでいいのか」と題した院内集会が9日、国会内で開かれました。市民や教育・教科書関係者ら約50人が参加し「真実に根ざしたよい教科書を」の願い実現に向け、国会議員と交流しました。主催は子どもと教科書全国ネット21など3団体。
石山久男歴史教育者協議会前委員長は、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」の記述で、日本軍強制の文言を削除・修正させた2007年の教科書検定意見の問題について現状を報告。新政権誕生後も川端達夫文部科学相が同検定意見について問題はなく「検定意見の撤回は行わない」と明言していることに触れ、これらの誤りを指摘しました。
今後の運動として、文科省に対し(1)検定意見の撤回と記述の回復を認めること(2)軍の強制を示す記述への訂正申請を受理・承認すること―を要求事項として挙げました。
俵義文全国ネット21事務局長は「現行の採択制度は教員の意見を尊重していない」と指摘。意見を尊重する採択制度になれば、侵略戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は「採択されない」とのべ、採択のやり方を変える必要性を語りました。
日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は「これまで語れずにきた人たちが、たたかいを通じて自分の言葉で次の世代に語るようになった。一番変わったのは沖縄県民だった」とのべ、新政権発足の下で「歴史の真実を教科書に記述させていくたたかいを全力でがんばる」と決意を語りました。
民主、社民両党の衆院議員も参加しました。
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念のため沖縄タイムスから同じ記事を抜書きすると、見出しからして「しんぶん赤旗」より過激である。
「事実上の検閲」
検定見直し訴え
教科書検定問題で国会内集会
《11月30日に川端文科相と面談した高嶋伸欣琉球大学名誉教授は、川端氏が同意見の撤回を拒否したことに「官僚の意見をうのみにしているとしか思えず、政治主導になっていない」と厳しく指摘。 文科相が「検定に介入できない」と説明していることにには「介入しろと言っているわけではない。 文科相には検定結果に対する指導・監督責任があると言っているのだ」と反論した。》
同じ記事でも、さすがの共産党「赤旗」でも沖縄タイムスのような無茶苦茶な記事は書けないのだろう。
沖縄タイムスは、大学教授というよりアジテーターという名が相応しい高嶋名誉教授のめちゃくちゃな発言をそのまま報道する破廉恥ぶりである。
文科相に政治主導で教科書書き換えを要求する「政治介入」を要求しておきながら、それを拒否されると「介入しろと言っているわけではない。文科相には検定結果に対する指導・監督責任があると言っているのだ」と逆切れして、開き直る。
文科相が、左翼集団の圧力に屈し、政治主導で教科書記述を書き替えたらこれこそ「政治介入」そのものではないのか。
さらにこの左翼集団は、今後の運動として、文科省に対し
(1)検定意見の撤回と記述の回復を認めること
(2)軍の強制を示す記述への訂正申請を受理・承認すること
を要求事項として挙げている。
これこそ「政治介入」の強要ではないのか。
今年の五月、『鉄の暴風』に端を発する沖縄タイムスのデタラメな記事を、『うらそえ文藝』誌上で、星雅彦、上原正稔の両氏に、厳しく糾弾されたが、あれから半年以上経過しているにもかかわらず一言の反論もしていない。
真正面から反論すると自ら墓穴を掘る結果にもなりかねないので、正面からの反論はさけ、政権交代を好機に政治主導と称して文科省に圧力を加えるというゲリラ戦しか打つ手はないのだろう。
沖縄タイムスには決して掲載されることのない『歴史と教育』編集長飯嶋七生さんの関連論文を以下に紹介する。(太字強調は引用者)
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沖縄集団自決を巡るふたつの言論
〜悲劇を繰り返さないための処方箋〜
「歴史と教育」編集長 飯嶋七生
■禁断の果実を貪る者へ
平成21年6月、『うらそえ文藝』14号(写真=クリック<拡大)が沖縄集団自決特集を組んだ。先行して同誌の内容が明らかにされるや、瞬く間に完売となる反響だったが、沖縄メディアは徹底的に黙殺した。なぜなら、1フィート運動の創始者であり、地元では有名なジャーナリストである上原正稔氏の一文が、彼らにとって、あまりにも正鵠を射ており、かつ致命的であったからだ。
上原氏は同誌にて次のように述べている。
〈沖縄の新聞、特に沖縄タイムスの責任は限りなく重い。そして2人の人間をスケープゴートにして、集団自決の責任をその人に負わせてきた沖縄の人々の責任は限りなく重い。ぼくは長い間、赤松さん梅澤さんは集団自決を命令したとの先入観を拭い去ることができなかった。事実が明らかになった今、赤松さん、梅澤さん、そしてご家族の皆さんに本当にごめんなさいと謝罪しよう。そして今、ぼくは一つ脱皮して大人になることができた。
だが、大きな問題が残されている。自分の親、子、兄弟を殺して遺族年金を受け取っていることは誰も語りたくないし、語れないものだ。ぼくは知識人でもなく、文化人でもなく、宗教家でもなく、道徳家でもない。ひとりの人間に過ぎない。だが、ぼくは知っている。自分が愛する家族に手をかけた者はいつまでも忘れず、心を痛めているのだ。だが、それを軍隊のせいにしたり、国の教育のせいにしたり、他人のせいにしてはならない。ましてや、無実の軍人のせいにしてはならない。自分のこととしてとらえない限り、心が癒されることはないのだ。そして、赤松さんと梅澤さんとそのご家族にそっと謝ることだ。誰も彼らを責める者はいない。赤松さんも梅澤さんも心の広い人間だ。きっと許してくれるはずだ。いや、きっと「ありがとう」と言ってくれるだろう。その時、ぼくらは人間の尊厳を取り戻すことになる。ぼくはそう信じている〉
人間は犯してしまった過ちを忘却、あるいは正当化するために、他者に責任を押しつけ、自らの精神安定を図ることが間々ある。胸に手を当てれば、自分にも一つや二つは心当たりがあるほどに些細な個人のレベルから、国家のそれに至るまで、大小幾多のスケープゴートが存在してきたことだろう。
集団自決の問題に限っていえば、両親弟妹のみならず、渡嘉敷島で多くの隣人を死に導いた金城牧師の戦後は、こうした心理学の教科書的事例だ。
当時16歳だった金城少年が猟奇的な趣味で大量殺人を犯したとは、誰も思っていない。彼自身、「生き残ることが怖かった」と述べるように、米軍上陸の恐怖が生んだパニックだったというのが真実だろう。ところが、我に返ってみれば、自分は生き残り、己の手は大量の血にまみれていた。そして、金城少年によって、家族が撲殺され、刺殺されてゆくのを、その目で見ていた島民たちと、戦後日常的に顔を合わせなければならなくなった。そんな彼が島を出てキリスト教に救いを求め、一生を信仰によって癒されんとしたことは十分理解できる。
しかし、反戦運動、反軍思想が、彼にさらなる「救い」「癒し」の魔手を差し伸べたことから、彼の記憶の改変が始まっていった。
〈赤松隊長が、我々に死ねと命じたのだ。島民は強制的に殺し合いをさせられたのだ〉
それは金城牧師にとって禁断の甘い果実だっただろう。上原正稔氏の文章は、まさしくそれを非難しているのだ。
■命令の有無は重要ではない?
『うらそえ文藝』14号と前後して、林博史関東学院大教授の『沖縄戦強制された「集団自決」』(吉川弘文館)が発売された。
2年前、文科省による教科書検定で「軍命令説」削除の根拠とされたのが、林教授の前著『沖縄戦と民衆』であった。反軍イデオロギー、マルクス主義史学によって地歩を固めてきた林教授にとって、これは非常に不都合なことだった。林教授は「血相を変えて、あちこちで抗弁に乗り出し」、文科省に対しても、「貴審議会の重大な歪曲、悪用に対して抗議したい」「怒りを通りこしてあきれてしまう」(秦郁彦著『沖縄戦「集団自決」の謎と真実』PHP)と申し立てたという。この新著は、徹底的に大江・岩波裁判の被告側に貢献することで、危うくなりかけた立ち位置を回復するためのテキストであり、それゆえ、筆勢が過度にマルクス的な方向に振れすぎている感が否めない。
だがもはや彼らも「自決命令」の不在を認めざるを得なくなったという状況は、本書で「強制・誘導」の語が多用されていること、また以下のように林教授の推測が暴走していることでも判る。
「軍中央レベルから民間人の自決命令が出されるとすれば、それは天皇の命令として天皇の責任が問われることになる。天皇制国家にとって、天皇が国民に直接、死ねと命令することは避け、なんとかして国民自らが天皇のために命を捨てたという形をとりたかったのだろう。 ‥‥
軍中央が直接、自決せよと命令を出すことはせず、軍ならびに政府は、民間人がいざという場合に死を選ぶように、さまざまな方法を通じて強制・誘導していくことになる」(同書150~151頁)
「上官の命令は天皇の命令と思え、という場合は、極端な話、たとえば上等兵が二等兵にかなり私的に言い渡したことでも命令と受け止めよということになる。軍の絶対的な力を背景に圧倒的な上下関係(権力関係)のなかにおかれた沖縄あるいは慶良間のような状況下では、一兵士から言われたことでも民間人にとっては命令以外の何物でもない。… そういうことを考慮すると広い意味で自決せよという軍の命令があったと言えるだろう。… 特定の隊長命令があったかどうかはそれほど重要な問題ではなく、命令の有無にかかわりなく、軍の責任は大きい」(215〜216頁)
命令の有無にかかわりなく、「天皇の命令」に比するような「絶対的、圧倒的」な力で自決を強制されたというが、米軍の統計によれば、沖縄戦における民間人の降服者は28万5000人で、自決した人は1000人以下である。1000人の声明を軽視するわけでは決してないが、この数字をどう説明するのだろうか。
ところで、本書では随所に天皇の語が批判的に散見される。たとえば、「集団自決がおこなわれた状況を見ると、主に家長あるいはそれに準ずる成年男性が自決を主導しており、… 集団自決は家父長制の下で「男らしさ」が生み出した暴力によって、家族が殺されていくという側面がある。… なお、家父長制的な家制度の頂点にあるのが、いうまでもなく男系しか認めない天皇制である」(218〜219頁)など、なんの脈絡もなく「天皇制」批判に繋げるあたり、いかにも唐突でこじつけではないか。
その一方で、実際に米軍がサイパンや沖縄で民間人、捕虜に対して何をしたか、そもそも日本兵が捕虜にさえしてもらえず殺戮されたことなどはまったく述べられていない。
また「中国帰りの兵隊」が戦場の残虐性を吹聴して恐怖を煽ったというが、それはいったい日本軍による行為なのか、それとも婦女子を含む民間人が惨殺された通州事件や、捕らえられた日本兵が受けたシナ兵による被害を指しているのか、いっさい分からない。
このように具体性を欠いたまま、もっぱら反国家・反天皇のマルクス史観を補強するだけの議論は、はたして集団自決という悲劇を繰り返さないための処方箋となりうるのだろうか。大江・岩波側を援護し、仮に彼らを勝訴させたとして、死んでいった沖縄の人々に恥じることはないのだろうか。
戦後マルクス主義史学は、革命に寄与するために歴史を叙述するべきだと謳っていた。まさに教本通りに「集団自決」を叙述した結果が、右に代表されるといってよい。
歴史学は、ある目的のために先入観をもってはならない。そのとき人々は何を思い、何が彼らをそうさせたのか、実態に即した考察が必要である。それが結果として、教訓や戒めとされることもあろう。だが、もし間違った歴史叙述を後世に残してしまったなら、悲劇は二度ならず起きることになる。その罪は重くないか。
『沖縄集団自決を巡るふたつの言論』〜悲劇を繰り返さないための処方箋〜
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タイトルは「沖縄集団自決を巡るふたつの言論」となっているが、集団自決の核心である「軍命令の有無」に関して言えば、現在のところ「軍命あり派」は黙して『うらそえ文藝』に反論できないままであり、事実上「軍命なし派」の言論のみが目立つ状況にある。
ただ、星氏や上原氏の再批判が沖縄紙に掲載されることはないので、読者が気がつかないだけの話。
沖縄の言論界から締め出された格好の星氏が雑誌『正論』12月号に『鉄の暴風』再批判の論文を寄稿していることは周知の通りである。
従って沖縄に「ふたつの言論」は存在しない。