狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄は捨て石だったか、沖縄宿命論

2010-08-07 08:24:02 | 外交・安全保障

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昨日のエントリーで「外交による国防こそ大切」という主婦のY・Kさんに対する高橋さんのコメントを紹介したが、石原昌光さんが別の視点でコメントして下さっているので、紹介します。 なお煩雑を承知でY・Kさんの「原文」を再度引用しておきます

 

 

◆石原昌光さんのコメント 

メリットもデメリットも背負うのが愛郷心

那覇市、主婦Y・Kさん
「私としては、沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくない」ですか、、、
個人的な意見を言えば、
「じゃあ、あなたは県外に引っ越せば?」としか言えませんね。
沖縄は昔から、その地理的優位を最大限利用して繁栄し世界史に名を刻んできました。
東アジアの中継地点であり、貿易に有利であるという事は、軍事的にも利用価値が高い事の裏返しではないですか?
一方では、貿易拠点として発展を願いながら、もう一方では、戦争は御免だ!基地は拒否する
!とは
不道徳の極みではありませんか。
沖縄に生まれ、そこで生活する以上、故郷のメリットもデメリットも受け止めて背負うのが愛郷心です。
沖縄が絶えず戦争の脅威に曝されるのは、日本が悪い訳でも米国が悪い訳でも、支那が悪い訳でもない。
国際情勢という抗い難い力が働いている結果であり、日本も米国も支那もその中でもがいているのです。
もちろん、その渦の中で可能な限り自己に有利な状況を作り出す努力は必要で、日本は、米・支に比して、その努力が足りない。
しかし、沖縄左翼は、それ以下であり「どうして私達が渦の中にいるのだ!ここから出せ!私達は陸に上がりたい!」と実現不可能な妄言を真顔で話している。
世の中には、逃れられない現実というものがあるのです、例えば自動車が出現した現代を生きる私は、自動車事故で命を奪われる危険を絶えず背負って生きている。
だからといって、「私は自動車事故で死にたくない!自動車を廃止しろ!自動車の発明者は、私の
命を危険に曝したのだから損害賠償をしろ!」なんて主張しません、一方で私は自動車社会の恩恵を受けているのですから。
国防にアレルギーなんか感じている場合ではないのです。
沖縄に生まれたからこそ背負わねばならない沢山の大変な事を引き受ける覚悟を持たねば、、

                      ◆

こんな意見を良く聞く。

「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」

「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。

一見まともに見えるこの意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一に見ていること。

米軍基地は国防のためでありその設置する場所は自ずと限られてくる。

つまり地政学的条件に適しない地域にその住民が誘致したとしても設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。

その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of  the Pacific)といわれるように地政学上重要な位置にある。 

沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった⇒http://blog.netlink.ne.jp/s-tyler/17166-msg.html

「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。

米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点と考えたから進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。

そう、沖縄は捨石ではなく要石だったのだ。

ただ、物事には常に二つの側面がある。 

現在の位置に沖縄が存在するということは石原さんのご指摘のとおりメリットもあればデメリットもある。

沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことも石原さんがご指摘の通りだ。

この沖縄の地政学的地位を如何ともしがたい「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、県民が決めればよい。

「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛みを加筆編集して再掲する。

◆沖縄タイムス 2010年8月5日 オピニオン面

外交力による国防こそ大切

Y・Kさん=60歳  (那覇市、主婦)

7月30日本欄で有馬光正氏は、宜野湾市の伊波市長に対して「いたずらに普天間基地の県外移設ばかりを強調するのは、市民の安全を無視した自己主張に過ぎない」と指摘しています。沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくないわたしとしては、軍事力でなく平和外交によって国民を守るべきだというのが伊波市長の信念であり方針であると解していますし、それこそ21世紀に必要とされる政治家のあり方だと確信しています。 有馬氏は、参院選前の6月5日付本欄でも「国防意識高い政治家選ぼう」と主張しています。 国防観も人それぞれいいと思うのですが、沖縄戦で国防の犠牲になり、戦後65年間も過重な国防負担にあえいでいる沖縄だけに県民の多くが国防アレルギーになっていると思います。 
それよりも日米安保は必要だが米軍基地は絶対に受け入れられないという本土政治家たちの身勝手な国防意識を正すことの方が先決かと思われます。

 

沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。

その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。

非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。

米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいということだ。

普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地の全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。

「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。

沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。

このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる~笑)

♪~あなたが噛んだ 小指が痛い~♪

好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。

好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。

一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。

だが、そう言い出したらキリがない。

「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、

と今度は肛門が騒ぎ出す。

だからと言って肛門を口の隣りに移設することも出来ない。

小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。

沖縄が地政学的重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。

こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。

所詮それは叶わぬ夢だが。

ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。

『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。

私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)

続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。

「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。

回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。

勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。

だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。 

ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加していると聞く。

モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。

米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。

雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。 

花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。

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コメント (8)

続・沖縄タイムスの読者欄が面白い!

2010-08-06 19:58:45 | 未分類

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「米軍基地即時撤去!」を叫んで島中が怒りに燃えている・・・

・・・こんなウソを信じた本土サヨクの方々は、最近の沖縄タイムスの「読者欄」を見て、きっとこう思っただろう。

「沖縄人はウソつきだったのか」と。

いやいや、そうではない。

ウソつきは沖縄の新聞だったのだ。

その新聞の「読者の声」に全体主義の新聞論調に組しない正論が最近目に付く。

「読者欄」に一体何が起きたのか。

反日沖縄サヨクにいわせると、沖縄メディアに反論する県人は沖縄人に偽装したニセ沖縄人ということになるらしい。

全体主義の極地だ。

だとすると最近の「読者欄」にはニセ沖縄人が増殖し始めたことになる。(爆)

このように「読者欄」には笑いのタネはつきない。

サヨクの方々は珍しくもないからまぁーさておこう

だが一番お気の毒なのは、反米保守派と称する方々だ。

今までの沖縄紙の扇動から半ば目覚めたつもりなのだが、どうしてもサヨクのDNAの呪縛から抜けきれず、吐く言葉は保守派でも行動が左に左にと旋回する性(さが)の悲しさよ。

彼らは一応、米軍基地の必要性は認めながらも、「普天間移設」だけは絶対に国外だと頑なに主張する。

その根拠は「海兵隊不要論」であるが、結局はサヨクの「米軍基地即時撤去」のイデオロギー闘争に飲み込まれ、利用されていることに気が付いていない。

この方々、「反戦・反基地集会」にも積極的に参加し、最終的には伊波洋一宜野湾市長を教組として崇拝するのである。

そして反日反米イデオロギーの塊のような伊波市長を崇拝することと自分が唱える「反米保守派」の齟齬にも気が付かないのだからオメデタイ話である。

気がついたら「米軍基地即時撤去」のシュプレヒコールとプラカードの中にいる自分を発見、愕然とする。

このような喜劇が沖縄のいたるところで散見され、これが「島ぐるみの怒り」として誇大に報道されることになる。

前稿の「読者の声」、那覇市在住の主婦Y・Kさん(60歳、那覇市)の投稿外交力による国防こそ大切」に対して、読者の高橋さんが論評してくださっているので紹介します。

高橋さんのコメント  軍事と外交とデモ

いまだに軍事と外交は別々のものだと考えている人々が多数、存在している。
クラウゼビッツの戦争論の中には軍事は外交目的を達成する手段とあります。
軍事は外交の一環であり、軍事の放棄は外交の放棄に繋がる訳です。
しかも戦争は自国だけの話ではなく、当たり前のことですが相手国の話でもあります。
いくら沖縄が軍事は嫌だ、戦争は嫌だ、軍隊なんていらないと声高らかに主張したところで、相手国にしてみれば、そんなことは全く関係なく、何の迷いも無くいくらでも侵略し放題です。
戦争ではなく話し合いで。
軍事ではなく外交で。
一理あるように聞こえますが、軍事が外交の一端である以上、強大な軍隊を自国の最前線たる沖縄に配置すること自体が立派な外交戦の成果であり、中国が尖閣諸島にやって来ないことこそアメリカが沖縄にいる意味なのです。

軍事は外交を達成する手段。
軍事ではなく話し合いで。
この軍事をデモに、外交を普天間基地撤去に書き換えてみると…
沖縄左翼はデモを止めますか?

 

それで、昨日に引き続き、今日(6日)の沖縄タイムスは?

も・は・や・

♪ど~うにもと~まらない~♪

 

◆沖縄タイムス 2010年8月6日 オピニオン面

辺野古移設は基地の縮小に

城間康裕さん=67歳 (那覇市、工房経営)

普天間基地の移設先が辺野古のキャンプ・シュワブ地先にすることが日米(橋本、鳩山総理、クリントン、オバマ大統領)で2度合意がなされた。 アメリカにとって国と国との約束で、なぜ2度の合意が必要だったのか。 不信感、不快感は禁じえなかったはずである。
それ故に県の仲井真弘多知事が県内移設は厳しいと指摘しつつも「容認」を否定しないのは正当な対応だ。 
一方、肝心要の地元の辺野古住民の代表たちが、速やかに、条件付で移設を容認したのは先見の明があったとも考えられる。 つまるところキャンプ・シュワブへの移設は、基地の増設であって新たな基地の建設ではなく基地の整理縮小の一環である。
もし工事によってジュゴンの食草が減少、あるいはなくなってジュゴンが遠くへ去ると寂しいが当地がさらに過疎化して若者たちが去っていくとすればもっと寂しく不幸なことだ。

 

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沖縄タイムスの読者欄が面白い!

2010-08-06 08:00:32 | 未分類

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サイレントマジョリティに
      
火をつけた久高貞夫さんの投稿■

沖縄タイムスが、たかが「読者の声」とあなどったのか、それとも暑さで思考力を失ったのか、軽い気持ちで掲載した7月25日付久高貞夫さんの投稿が良識ある読者の気持ちに火をつけた。

これまでノイジーマイノリティーが跋扈していた「読者の声」に、このところ連日のように覚醒したサイレンとマジョリティーの声が目立ちは始めた。

久高さんに点火された良識の火は、これに賛意を表した有馬光正さんによってさらに火の手を大きくしていった。

驚いた沖縄タイムスは、次々と鎮火のための反論を、日によっては2件も、掲載した。

が、その反論たるや、最大級の形容詞を三つも重ねて断言すればそれで済むといった極めてズサンなシロモノ。

論理もへったくれもない噴飯モノばかり。

逆に火に油を注ぐ状況になりつつある。

昨日の「読者の声」でも、沖縄氏にお住まいの大城司さん(38歳)が久高さんの意見に賛意を表し、県知事選を自分の平和運動に利用しようとする伊波宜野湾市長の政治姿勢を厳しく批判している。

以下に全文紹介する。

例によって太字強調は引用者が施した。

◆沖縄タイムス 2010年8月5日 オピニオン面

運動のための選挙うんざり

大城司さん=38歳 (沖縄市)

7月25日付本欄、久高貞夫氏の投稿に同調する。 県出身政治家は、県民を利用して反米反日闘争にいそしんでいるようにしか思えない。 市町村選挙にあなた方の思想を押し付けないで欲しい。 県知事選にあなた方の運動のために県民を巻き込まないで欲しい。 そんなイデオロギーに「どうせまたあの運動選挙でしょう」と県民はうんざりしている。 それが低迷する投票率に表れているではないか。
伊波洋一宜野湾市長は、平和運動と言う名の闘争の延長で市長を務めておられると感じる。 県民の代表でもないのに県外を主張し、市民の不安をそっちのけに運動を展開するのは何だろうか。 市長は普天間の危険を放置したとして国を提訴する方針のようだが、公約に「普天間基地の早期移設」を掲げながら辺野古への移設を全力で阻止してきたのは誰か。
 宜野湾市民が抱える普天間基地の負担を本島に早期に除去したのか、平和闘争をやりたいのかどっちなのだろうか。 そしてまた、県民のための知事選のはずが全国的な平和運動に利用される。 これじゃあいつまでたっても県民の投票率は伸びない。

 

◆沖縄タイムス 2010年8月5日 オピニオン面

外交力による国防こそ大切

Y・Kさん=60歳  (那覇市、主婦)

7月30日本欄で有馬光正氏は、宜野湾市の伊波市長に対して「いたずらに普天間基地の県外移設ばかりを強調するのは、市民の安全を無視した自己主張に過ぎない」と指摘しています。沖縄を二度と本土防衛の盾にしたくないわたしとしては、軍事力でなく平和外交によって国民を守るべきだというのが伊波市長の信念であり方針であると解していますし、それこそ21世紀に必要とされる政治家のあり方だと確信しています。 有馬氏は、参院選前の6月5日付本欄でも「国防意識高い政治家選ぼう」と主張しています。 国防観も人それぞれいいと思うのですが、沖縄戦で国防の犠牲になり、戦後65年間も過重な国防負担にあえいでいる沖縄だけに県民の多くが国防アレルギーになっていると思います。 
それよりも日米安保は必要だが米軍基地は絶対に受け入れられないという本土政治家たちの身勝手な国防意識を正すことの方が先決かと思われます。

 

沖縄タイムスが、二つの違う「声」を同時に掲載しているが、賢明な読者が読めばいずれに説得力があるか自明であろう。

平和外交で平和が得られるなら苦労は要らないし、国防と戦争の混同や、国防のための米軍基地とゴミ処理施設との混同はさておいても、

ここまで「伊波教信者」になると、何を言っても聞く耳を持たないと思われる。

が、今どきのサヨクの方々の見本として鑑賞し、楽しんで欲しい。

皆様の「お笑い解説」期待しています。

 

【付録】

沖縄タイムス 2010年7月30日 オピニオン面

◆「安全」無視の県外移設主張

有馬光正さん=65歳(糸満市、自営業)

25日付本欄の久高貞夫さんのご意見は、紛れもなく宜野湾市民の心からの訴えである。以前、鳩山政権下で米軍普天間飛行場移設問題が迷走していた時、鹿児島県・徳之島の町長と宜野湾・伊波洋一市長に対して安全保障問題を質問している報道番組を見たことを思い出した。 
そこでは、国の防衛のためには軍事力が必要だとする町長に対し、伊波市長は国防は一切不要だという内容の意見を吐露しているのを聞いて、違和感を覚えたことがある。今の日本では、この種のまがい物の政治家が多すぎる。 久高さんが「安全保障問題に一言の発言もないのは意図的であり、市民の危険性を等閑視したパフォーマンスだ」といわれるのももっともだ。
いたずらに県外移設ばかり強調するのは、市民の安全を無視した戦略眼なき自己主張にすぎないのは誰の目にも明らかである。 
誰にとっても完全な策はない。 市民の安全を守るために、一日も早く普天間基地を移設するという大前提に立って解決策を模索するのが市長としての責務であろう。

                                                       ◇

◆沖縄タイムス 20107月25日 オピニオン面 読者の声

久高貞夫さん=73歳 (宜野湾市)

身近な問題をまず解決して

伊波洋一宜野湾市長に尋ねたい。 安全保障問題に関して一言の発言もないのは意図的ですか。 あなたは沖縄県民に選挙された市長ではなく宜野湾市民にのみ選ばれた市長です。 そこを自覚し現状では不可能な県外、国外移設を論じた時間を浪費する前に宜野湾市民の最も身近な問題、すなわち普天間基地の危険性、騒音の早期撤去、市民の安心・安全な生活、福祉等の発展を最優先にとらえ、その解決に心血を注ぐべきです。 
辺野古案は普天間周辺より人口密度、危険性が少ない上一度は移設を容認した辺野古住民、名護市にいま一度、宜野湾市民の心情を斟酌(しんしゃく)してもらい県、国に働きかけ早期移設実現に働きかけてもらいたい。 それが宜野湾市長としての義務です。
今のあなたの基地問題に対する姿勢は、多くの住民、とりわけ飛行ルートの住民の切なる願望を等閑視するパフォーマンスにしか見えません。 これ以上われわれ市民を我慢させないで欲しいと思うのはわたし一人だろうか。 次期県知事選出馬のうわさがあるがその前にやるべきことが山積みしていることを忘れないでもらいたい。

 

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コメント (10)

混乱する沖縄タイムス

2010-08-05 20:16:49 | 未分類

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 前稿で昨日(4日)の沖縄タイムスの「読者の声」で、久高貞夫さんの投稿への反論を紹介したが、早速石原昌光さんが、反論というより笑い転げておられるので、以下に紹介する。

 狼魔人様こんにちは
本当にタイムス読書欄はお花畑脳の皆様の宝庫です。読んでいて楽しい♪
個人的に反論を試みてみます。

辺野古移設は解決策ならず
M・Sさん=65歳
7月25日付本欄の久高貞夫氏のご意見に対し、同30日に1.(M・T氏の的確な反論が掲載されました。)
しかし、2.(同日付の有馬光正氏のご意見は、伊波洋一宜野湾市長に対する侮辱であり、到底看過できません。)
有馬氏の「解決策」とは、3.(辺野古に新基地を造ることであり、沖縄の中に分断と敵意を持ち込むものです。)
わたしも含めて県外の人間は、米軍基地問題について無知と無関心であり続けてきました。
ようやく少なからずの人がそれに気付き始めたのは、伊波市長を先頭に、基地の実態、安保条約の欺瞞性を発信してこられたからです。
6月の京都の講演会には1200人が参加、4.(沖縄の歴史と普天間基地問題を学びました。
講演の後、炎天下でデモの先頭に立つ市長の姿は、地元新聞に大きく取り上げられました。)
何度にもわたる県民大会、県民・市民投票で
5(”アメとムチの構図”を打ち破り、県内移設反対の世論の流れをつくり出されてきた沖縄県民への尊敬は、各地に広がっています。)
6.(有馬氏の主張は意図的であり、奇異に感じられます。)

では番号順に反論します。
1.M・T氏の的確な反論?M・T氏は、久高氏の主張の要点、伊波市長が普天間基地撤去の公約を果たさず、いたずらに国外移転を主張して辺野古移設を頓挫させた事について有力な反論をなしていませんが?
2.出ました!教祖伊波に対する批判は許さない伊波教信者の真骨頂です。
普通、公人にたいする侮辱とは
1.事実に則していない情報による攻撃
2.個人のプライベートに関する攻撃
であり、有馬氏の批判は1~2のいずれにも該当しません。
そもそもM・S氏、教員の肩書きだが、教え子に対してもこんなことを言ってきたのだろうか?
こわい、こわい、、、
3.元々、普天間基地移設は有馬氏の指摘通り、危険性の除去が主眼です。
人口9万人の宜野湾市街地のど真ん中から辺野古の海上へ基地を移す、これが宜野湾市民の危険を減らす事にならないと主張する人がいたら頭がどうかしています。
新基地を造ることで、沖縄の中に分断と敵意を持ち込む?
はー、日本語ができていませんねぇ、主語がありません。
沖縄の中で、何と何が分断され、誰が敵意を持ち込むのか?
しょせん、伊波教祖のお言葉の鸚鵡返しなんでしょうが、仮にも人の師だった人が書く文章ではありませんな。
4.分かったような事を仰っしゃいますね。
本当に、沖縄の歴史と普天間基地問題が理解できたなら、一刻も早く普天間基地を除去してくれと願う、宜野湾市民の声に応えて、京都で米軍基地を引き受けてくださいよ。
きっと、宜野湾市政を放り出して京都で炎天下市民運動をエンジョイしている、世にも奇異な市長、伊波教祖もお喜びになるでしょう。
5.一年間に何回も万人規模の県民大会を開く割に、選挙の投票率は全国最低という、沖縄県民の「民意」に対し日本中で疑念の声が広がっているのマチガイでは?(沖縄タイムス参考)
6.有馬氏の主張が意図的で奇異?じゃあ何?あなたの主張は意図的じゃないの?あなたの意思に反して何かが書かせているの?
そもそも、沖縄に住んでもいないあなたが、有馬氏の伊波批判に対し、当人でもないのに看過できない程の侮辱を感じて反論にもならない反論をしている。
その点について私は非常に奇異を覚えますが如何?

 

沖縄タイムスは、反論は一つでは弱いと思ったのか、同じ紙面でもう一人の反論を掲載しているが、これは筆者の不精で省略した。

ところが石原昌光さんが、全文文字起ししていただいた上、又しても笑い転げておられるので、一緒に笑いましょう。 

狼魔人様こんばんは
連投で申し訳ありませんが、タイムス史上最強の香ばしい常連投稿者が昨日は2名も現れたのでコメします。(笑いすぎてお腹痛い!)

反基地の心が圧倒的多数だ
O・R氏=43歳
7月25日付本欄の久高貞夫さんのご意見は、1.(まぎれもなく宜野湾市民の圧倒的少数意見である。)
2.(心からの圧倒的少数意見である。)
われわれ沖縄の民衆は基地と米軍を3.(圧倒的に嫌悪している。)
だから今どき、万人単位の反基地集会が1960年代や70年代初頭のように行われる
まずは実際から考えよう。4.(今どき日本国内のどこで、万人単位の反戦・反基地集会がやたらと開催されるのだろうか?)
5.(それはわたしたちウチナーンチュの本音だからである。)
基地で生計を立てざるをえない現実を、わたしは否定するつもりはない。
沖縄社会の構造的現実であり、やむにやまれぬ実際だからである。
6.(当たり前の現実、実際の姿、意見の非科学的否定はやめなさい。)

1.久高氏の意見が、まぎれもなく宜野湾市民の圧倒的少数意見だというのなら、それを示す科学的データを出して下さいね。
2.心からの圧倒的少数意見だと言うのなら、どうか科学的データを出して下さい、心からお願いします。
3.私たち沖縄県民が基地と米軍を圧倒的に嫌悪していると、誰もが納得する、圧倒的な科学的データを出して下さい、圧倒的にお待ちしています。
4.日本本土で肩身が狭くなった左翼が、沖縄に大量に移って来たからではないですか。
だから本土では万人単位の集会が無くなった、、皆、沖縄にいるから、自然でしょ?
5.万人単位の県民大会が一年に何回も開かれる割に、投票率は全国最低、ここにウチナーンチュの本音が隠されているのでは、と圧倒的に思いますです。
6.当たり前の現実として申し上げますが、仮にO・R氏のいう通り、久高氏の意見が宜野湾市民では圧倒的に少数だったとしても、それが為に久高氏の批判がいささかも価値を失う事はないのです。
そも久高氏の批判は、伊波市長ができもしない普天間基地の国外移転にこだわり、実現寸前だった辺野古移設を頓挫させたことに対する批判です。
この批判は正鵠を射た主張であり、久高氏に反論する人は、この点を論破しなければならない討論の常識です。
いまのところ、あなたも含め、誰も久高氏の批判を論破していない、、、
それを忘れて、「やーい!お前なんか友達いないだろーバーカ!」
とやった所で空しいだけです。
あなた達が、何百万人人間を集めて、「太陽は地球の周りを回っている!」と叫んでも、ガリレオが、科学的根拠を元に地動説を唱えれば議論はそれでおしまいなんですよ、、、ORさん

 

                        ◇

石原さんのお笑い解説で充分笑わせていただいたが、介護士のO・R氏の「反論」があまりにも香ばしいので、筆者も蛇足とは知りつつお付き合いさせてもらう。

O・R氏は、久高氏の意見が少数意見であるとして、「まぎれもなく」、「心からの」「圧倒的」と、・・・最大級の形容詞を三つも重ねて断言しているから、次の段落ではその根拠を提示してくれると、胸をときめかしたのだが、・・・・

前回同様又しても裏切られた。

「万単位の反戦・反基地集会がやたらと開催される」ことが、「圧倒的少数意見」である根拠のつもりらしいが、メチャクチャな話だ。

投稿者自身が「やたら」という辟易の意味の形容詞を付けているように、確かに「反戦・反基地集会」がやたらと開催されているのは事実で、うんざりするほどだ。

が、参加者の大部分が本土から観光を兼ねて来県したプロ市民であることは良識ある県民なら誰でも知っている事実だ。

「反戦・反基地集会」がやたらと多いというだけで、久高氏の意見が圧倒的少数意見であるという根拠にどうしてなるのか、

誰か教えて~!

が、ここまでは笑いを堪えて受け流そう。 

最後の3行で、我慢の限界だ。

これって自爆?それともオウンゴール?

O・R氏が結論付けているのは、文の流れからいえば、理想だけを求めずに、現実を見なさいという意味になるはずだが、結果的に自分の意見を見事に否定しているのではないか。(爆)

ご本人の言葉を借りると、

当たり前の現実、実際の姿、意見を非科学的(に)否定することはやめなさい。」???

久高さんは「現実論」を述べておられる。

これに反論するなら現実論を批判すべきだ。

それに対してO・R氏が「《現実》を否定するつもりはないが、《現実》を否定することはやめなさい」だと。

これっておかしくない?

沖縄タイムスも軽い気持ちで久高さんの投稿を掲載したが、その影響力の大きさにすっかり混乱してしまい、このような支離滅裂な「反論」を恥もなく掲載する羽目に陥ったようだ。

沖縄タイムスも混乱しているのか。

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鎮火に大童の沖縄タイムス

2010-08-05 07:41:44 | 未分類

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沖縄タイムスは「沖縄イニシアティブ方式」という沖縄独特の「異論締め出し法」を編み出した張本人である。

「沖縄イニシアティブ方式」とは、意見の対立する二人の論者に紙面を提供し、一見公平に見える印象を読者に与え、

頃合を見て一方的に討論を打ち切り、複数の「御用識者」にたっぷり紙面を与えて一方の論者(勿論タイムスに敵対する)を袋叩きにする卑劣な手段である。

最近では琉球新報もこの便利な「袋叩き法」を真似て成果を得ている。

沖縄在住の芥川賞作家目取真俊氏と小林よしのり氏に討論の紙面を提供したが、小林氏がまともに反論する機会がないまま、琉球新報が一方的に討論を打ち切り、渡名喜某という「御用識者」に三回連続で「小林叩き」をさせた例が記憶に新しい。

詳しくは⇒罠にかかった小林よしのり 護送船団方式の沖縄論壇

 

ところで、昨日(4日)の沖縄タイムスオピニオン面は、通常「識者」の論戦に使うはずの「沖縄イニシアティブ方式」を「読者の声」にまで適用したようだ。

過去の投稿者の「声」を複数の「反対の声」で吊るし上げようとしている。

「している」と書いたのは「吊るし上げる」つもりが、まるで空回りしているからである。

問題の投稿、「7月25日付久高貞夫氏の投稿だが、沖縄タイムスは軽い気持ちでアリバイ作りに掲載したのが思わぬ反響に仰天し、一転火消しに大童で、恥もなく読者の声」にまで、伝家の宝刀を抜いたの感を否めない。

で、7月25日付久高貞夫氏の投稿に反対の投稿が昨日の「読者欄」の2件掲載されているが、テキスト化が面倒なので、とりあえず一件だけを掲載しておく。

なお久高氏に賛同した有馬光正氏への反論がメインなので、久高氏の意見と併せて文末に再度引用し参考にしたい

 

◆沖縄タイムス 2,010年6月4日付「オピニオン面」

辺野古移設は解決策ならず

M・Sさん=65歳 (教員、京都府)

7月25日付久高貞夫氏のご意見に対し、同30日真壁朝開昭氏の的確な反論が掲載されました。 しかし、同日の有馬光正氏のご意見は、伊波洋一宜野湾市長に対する侮辱であり、到底看過できません。 有馬氏の解決策とは、辺野古に新基地を造ることであり、沖縄の中に分断と敵意を持ち込むものです。 
わたしも含めて県外の人間は、米軍基地問題について無知と無関心であり続けました。 ようやく、少なからずの人がそれに気付き始めたのは、伊波市長を先頭に、基地野実態、安保条約の欺瞞性を発信してこられたからです。 6月の京都の講演会には1200人が参加、沖縄の歴史と普天間基地問題を学びました。 講演の後、炎天下デモの先頭に立つ市長の姿は、地元新聞に大きく取り上げられました。
何度にもわたる県民大会、県民・市民投票で“アメとムチの構図”を打ち破り、県内移設反対の世論流れをつくり出されてきた沖縄県民への尊厳は、各地に広がっています。 有馬氏の主張は意図的であり、奇異に感じられます。

>有馬光正氏のご意見は、伊波洋一宜野湾市長に対する侮辱であり、到底看過できません。

「看過できない」というので、どのような反論があるかと期待したら、とんだ期待はずれで、もっぱら「伊波洋一教信者」の賛美歌とも見まごう伊波市長賛美の文の羅列ではないか。

反論は「有馬氏の主張は意図的であり、奇異に感じられます」の一行だけ?

意図的なのは当然であり、意図のない投稿は寝言という。

「奇異に感じる」のはカラスの勝手だが、それだけを投稿する投稿者もアレなら、それを掲載する新聞もアレで、コメントに窮する。

ちなみに次の一説は明らかなウソだと思うが、このウソは伊波教祖様の誤託宣、失礼、御託宣なのだろうか。

>何度にもわたる県民大会、県民・市民投票で“アメとムチの構図”を打ち破り、県内移設反対の世論流れをつくり出されてきた沖縄県民

「県民大会」が開かれたのは事実だが、長年沖縄に住んでいて「県民・市民投票」で沖縄の世論が形成されたということは寡聞にして知らない。

M・Sさん(女性)、すっかり伊波教徒が板についているようだが、やはり講演会の前には「アーメン」と祈るのだろうか。

「アメとムチの構図」を叫ぶより「アーメンと無知の構図」から覚醒するのが先だと思うが、教員ではムリだろう。

 

【付録】

沖縄タイムス 2010年7月30日 オピニオン面

◆「安全」無視の県外移設主張

有馬光正さん=65歳(糸満市、自営業)

25日付本欄の久高貞夫さんのご意見は、紛れもなく宜野湾市民の心からの訴えである。以前、鳩山政権下で米軍普天間飛行場移設問題が迷走していた時、鹿児島県・徳之島の町長と宜野湾・伊波洋一市長に対して安全保障問題を質問している報道番組を見たことを思い出した。 
そこでは、国の防衛のためには軍事力が必要だとする町長に対し、伊波市長は国防は一切不要だという内容の意見を吐露しているのを聞いて、違和感を覚えたことがある。今の日本では、この種のまがい物の政治家が多すぎる。 久高さんが「安全保障問題に一言の発言もないのは意図的であり、市民の危険性を等閑視したパフォーマンスだ」といわれるのももっともだ。
いたずらに県外移設ばかり強調するのは、市民の安全を無視した戦略眼なき自己主張にすぎないのは誰の目にも明らかである。 
誰にとっても完全な策はない。 市民の安全を守るために、一日も早く普天間基地を移設するという大前提に立って解決策を模索するのが市長としての責務であろう。

                                                       ◇

◆沖縄タイムス 20107月25日 オピニオン面 読者の声

久高貞夫さん=73歳 (宜野湾市)

身近な問題をまず解決して

伊波洋一宜野湾市長に尋ねたい。 安全保障問題に関して一言の発言もないのは意図的ですか。 あなたは沖縄県民に選挙された市長ではなく宜野湾市民にのみ選ばれた市長です。 そこを自覚し現状では不可能な県外、国外移設を論じた時間を浪費する前に宜野湾市民の最も身近な問題、すなわち普天間基地の危険性、騒音の早期撤去、市民の安心・安全な生活、福祉等の発展を最優先にとらえ、その解決に心血を注ぐべきです。 
辺野古案は普天間周辺より人口密度、危険性が少ない上一度は移設を容認した辺野古住民、名護市にいま一度、宜野湾市民の心情を斟酌(しんしゃく)してもらい県、国に働きかけ早期移設実現に働きかけてもらいたい。 それが宜野湾市長としての義務です。
今のあなたの基地問題に対する姿勢は、多くの住民、とりわけ飛行ルートの住民の切なる願望を等閑視するパフォーマンスにしか見えません。 これ以上われわれ市民を我慢させないで欲しいと思うのはわたし一人だろうか。 次期県知事選出馬のうわさがあるがその前にやるべきことが山積みしていることを忘れないでもらいたい。

 

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これが証拠!君が代拒否の菅首相

2010-08-04 18:44:19 | 県知事選

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「ラジオで君が代斉唱拒否」に菅首相が強く反論 放送したラジオ日本「歌わなかった」

.ねじれ国会第2ラウンドで、早くも「イラ菅」が復活した。激論の一方で3日、議員の特権と指摘されてきた歳費の日割り問題が、与野党で合意に至った。
3日の衆院予算委で、菅首相は「多くの皆さんから元気よくやれと言われまして、決して元気がないわけではないんですが。活発にさせていただきたい」と述べた。
その菅首相が、首相就任以来見られなかった「イラ菅」状態。
自民党の平沢衆院議員の「総理は日の丸、君が代、賛成ですか、反対ですか?」の質問に、菅首相が強く反論した。
平沢議員は、2002年に、故・ミッキー安川さんが司会を務めたラジオ番組に菅首相が出演した際の話を持ち出し、「この番組の冒頭、みんなが立って、君が代を歌って、それから番組に入るんです。総理はその時に、『わたしは君が代を歌いたくない』と言われました」と述べた。
菅首相は、この質問を遮り、「そんなこと言わない、うそだ! うそです、それは!」などと反論した。
また、菅首相は「私だけ座って、あるいは斉唱しない。そういう行動を取るはずがない、自分の中で。そこまで言うのであれば、きちんと証拠を上げていただきたい」と述べた。
この放送をしたラジオ日本は、スーパーニュースの取材に「この時、総理は、ミッキー氏に促され、起立はしたものの、君が代は歌わず、ミッキー氏の『君が代は嫌いか?』との問いかけに、『そうだ』と言った」と回答した

                                                     ◇

2日の国会質疑で自民党の平沢議員が良い仕事をしてくれた。

「総理は日の丸、君が代、賛成ですか、反対ですか?」の質問に、菅首相がキレた。

イラ菅がキレ菅になって、「証拠をだせ」と開き直った。

証拠は、ラジオ日本のこの回答だけで充分だろう。

「この時、総理は、ミッキー氏に促され、起立はしたものの、君が代は歌わず、ミッキー氏の『君が代は嫌いか?』との問いかけに、『そうだ』と言った」

YouTube - ズル菅、国歌「君が代」が嫌いな訳。
 
2002年6月 【ラジオ日本】”ミッキー・安川のズバリ勝負”で 
菅直人が「君が代を歌いたくないって言ってた」証拠の録音テープ ユーチューブ
http://momimominews.blog109.fc2.com/blog-entry-609.html

 

これだけ証拠があれば普通は充分だ。

が、それでも足りないなら、

次なる証拠をお見せしよう。

当日記は二ヶ月前6月16日、既に「証拠」をアップしていた。

沖縄よさらば!菅首相の本音の「おまけ」の部分を良くご覧あれ。

菅首相が君が代を拒否した動かぬ証拠が・・・。

それを抜書きすると、ほれ、この通りだ。

あの佐藤優氏が、はっきりと証言しているではないか。

佐藤氏は問題のラジオ日本の番組にも出演し、故ミッキー安川さんから直接「菅氏の君が代拒否」を聞いているのですよ。

<2010/06/07 09:46更新
【佐藤優の地球を斬る】「畏敬の念」欠く新政権に不安

  6月4日の民主党両院議員総会で、菅直人副総理が民主党代表に選出された。これで来週初め、菅氏が日本国内閣総理大臣に就任する。社交辞令で「おめでとうございます」と言いたいところだが、そういうわけにはいかない。筆者には、菅総理の誕生に関して、どうしてもひっかかる点があるからだ。それは、「君が代」をめぐる問題だ。
 筆者は、ミッキー安川さん(本年1月18日に逝去。ちなみにこの日は筆者が50歳になった誕生日だった。だから筆者はミッキーさんの命日を一生忘れない)から、菅氏の「君が代」に対する姿勢について、こんな話を聞いたことがある。

 ■君が代を歌わない
 ミッキー安川さんは、RFラジオ日本で人気番組を何本かもっていた。そのうち深夜に放送される「朝まで勝負」では、深夜0時の時報が鳴るとともに、ミッキーさん、スタッフとゲストが全員立ち上がり「君が代」を斉唱する。この番組に筆者が初めて出たとき、ミッキーさんがこう言った。
 「あんたクリスチャンだよな。俺の番組では『君が代』を歌うけれど、問題ないよな」
 「問題?」
 「いや、歌いたくないならば、無理しなくていいから。ただ起立だけはしてほしいんだ」
 「ミッキーさん、僕は日本のキリスト教徒ですよ。『君が代』を歌うのは当たり前じゃないですか。キリスト教徒だからこそ、目に見えないものに対する畏敬の念をもっています。天皇様の弥栄(いやさか)をお祈りするのは、当たり前じゃないですか」
 それを聞いて、ミッキーさんはにっこり笑った。そして、こう言った。
 
「政治家でも『君が代』を歌わない人がいるんだよ」
 「誰ですか」
 「例えば、
菅直人さんだ。この番組のゲストで来てもらったんだけど、『君が代』は歌いたくないと言うんだ。俺は、それはわかったから、俺たちが『君が代』を歌う間は、立っていてくれと頼んだ」
 「それでどうなりましたか」
 「ちゃんと立ってたよ。ただ、俺は菅さんの態度は立派だと思うんだ。自分の信念で『君が代』を歌いたくないと思うならば、歌わないというのは、周囲の雰囲気に合わせて、ほんとうは歌いたくないと思っているのに、義理で歌うよりは政治家としてずっと誠実だよ」
 ミッキーさんは、寛容と多元性を尊重する日本の保守思想を体現した人だった。それだから、菅直人氏の「筋の通し方」を尊重し、かつ評価したのだ。
 内閣総理大臣は日本国家を政治的に体現する。菅氏も総理として「君が代」を唱うことになると思う。それは、「君が代」が国家であると法律に定められているからだ。しかし、菅氏の世界観において、「君が代」はどういう位置を占めているのだろうか?

 ■日本国家の本質
 日本国家の根本は祭祀共同体である。目に見える制度や法律ではなく、目に見えない高天原(たかまのはら)の神々によって、日本は支えられている。南北朝時代の南朝の忠臣・北畠親房(きたばたけちかふさ)は、わが国の本質について、「大日本者神国也(おおやまとはかみのくになり)」と述べた。当時、京都には軍事官僚(足利尊氏一派)による北朝がたてられていた。これに対して、親房、そして「悪党」と呼ばれた楠木正成たちは、奈良の吉野に逃れた後醍醐(ごだいご)天皇による南朝を命がけで支えた。
 参議院選挙の結果がどうなろうと民主党は権力を手離さない。民主党という巨大な権力の器の中に、超越的なものに対する畏敬の念を欠いた、合理的計算で理想的社会を構築することができると考える人々が、官僚と手を組み、イタリアのムッソリーリ首相が理想としたファッショ体制が、知らず知らずのうちに形成されるのではないかという不安を筆者はもっている。この不安が消え去るまでは、菅直人新政権に対し、「おめでとうございます」と言うことを差し控えたい。
 (作家、元外務省主任分析官 佐藤優/SANKEI EXPRESS)
 
                      ◇

ミッキー安川さんは、君が代斉唱を拒否した菅直人氏を逆説的ではあるが、正直だとして評価している。

国会答弁での「君が代は嫌いでない。 自分も歌う」という首相発言を聞いて、ミッキー安川さんは草葉の陰で怒り心頭で、自分が評価したことを悔いているのではないか。

結局権力を手に入れた瞬間、「君が代を歌わない」という市民運動家の信念さえも、弊履のように捨て去るクズが日本の総理大臣になったことになる。>

 

菅首相!

これでも証拠が足りないと仰るんでしたら、

佐藤優氏を国会に証人喚問したらいかがですか?

 

【おまけ】

ミッキー安川の「勝負」シリーズ(ウィキペディア)

(一部抜粋)
朝まで勝負』のオープニングでは、「君が代」を出演者全員で斉唱していたが、中には「起立するのは良いが、私は歌いたくない」と斉唱を拒否するゲストも何人かおり(菅直人など)、そのような場合、安川は番組の中で非難した。

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「老人神隠し」と「幼児虐待」

2010-08-04 07:24:51 | 県知事選

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<高齢者不明>全国で100歳以上の男女18人 所在不明に
2010年8月月3日21時10分配信 毎日新聞

 東京都内で住民登録がある高齢者が死亡していたり、登録地に住んでいないことが判明した問題で3日現在、全国で100歳以上の男女計18人の所在が確認できないことが、毎日新聞のまとめで分かった。なぜこうした事態が相次ぐのか。

 足立区で111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件。男性の地域を担当している民生委員の女性(73)は行政の限界を指摘した。

 女性が最初に男性宅を訪れたのは93年。1年に1度、都営バスと地下鉄の無料パスを配った。パス制度が取りやめになる98年まで訪問を続けたが、娘が「父は元気にしています」などと答えるだけで、本人の姿を見たことはなかったという。

 男性が今年1月、都内男性最高齢になったため、女性が「区からのお祝いを渡したい」と男性宅を訪ねた。家族は「会いたくないと言っている」と説明。2月に再度訪れると、孫と名乗る男性が「岐阜県の施設に入っている」と愛想良く答えた。

 その後、今年で民生委員をやめる女性は「気になる問題を解決しておこう」と改めて電話した。だが、家族は「施設ではなく実家にいる」「体調を崩している」と説明を二転三転させ、面会を拒否された。近所の人たちも「会ったことがない。家にいないのではないか」と話したため、区役所の担当者と相談して警察に届け出て、事件が発覚した。

 行政に、システムの限界や落ち度はなかったのか

 女性が担当する町内では毎年、65歳以上の高齢者にマグカップなどの記念品を配る。各戸に回覧板を回して対象者の名前を書いてもらっていたが、確認の方法は住民票しかなく、「家族が『いる』と言えば、それ以上家の中には入れない」という。また、民生委員が担当するのは独居老人や生活保護受給世帯で、一般家庭への訪問は少ないのが実情だ。女性の担当町内だけで独居老人は約45人に上るという

 新たに100歳になった人については、厚生労働省が都道府県に毎年、戸籍などの書面調査や生存確認などを求めている。調査結果を受けて記念品を贈るが、生存確認の方法に厳密な規定はない。生存確認の根拠となる住民票と戸籍についても総務省は「本人や家族が届け出るのが原則で、自治体が内容が正しいかどうかをチェックすることは事実上、難しい」と話す。

 淑徳大の結城康博准教授(社会保障論)は「家族が高齢者を助けるという性善説だけでなく、公的機関が適切に現場介入できるような仕組みを構築しなければ」と制度改正の必要性を訴える。

 足立区の担当者は言う。「高齢者を監視したり、家庭の中に入る権限は行政にはない。今回の事件は民生委員などの人手が足りないとかいう以前の問題だ

                                                       ◇

一寸調べただけで100歳以上の高齢者が18人も所在不明とは、驚きである。

普通に考えれば100歳以上にもなれば介護者無しに生活することは困難と見られ、18人の生命の安否が気になる。

まさに老人神隠しである。

所在不明といっても独居の場合と、家族同居の2種類があるが、

家族と同居の場合、家族が理由をつけて面会を拒むケースがあり、それ以上民政委員が深く立ちることは出来ないという。

人間、歳を取ると幼児に戻るといわれるが、100歳も超えると家族の意志で面会を拒否されるという「家族の壁」にぶち当たり、それ以上の立ち入りは行政の限界だという。

100歳以上の高齢者の「神隠し」と「幼児虐待」とは、行政の「立ち入り」に関して共通の問題を抱えている。

大阪で幼い姉弟を「ネグレクト殺人」をした鬼畜女の件で、テレビコメンテーター達は被害者への憐憫と加害者への怒りを役所にぶっつけ、「児童相談所は何をしていた」とか「役所は何をしていたか」などと叫んでいたが、警察官の強制立ち入りに及ぶコメントは聞かれなかった。

■「老人神隠し」と「幼児虐待」とは社会的共通問題

正義の刃を声高に振りかざすだけで結局は「皆で考えねばならない」と曖昧なことしか言わなかった。

ただ「識者」の中には法律の問題点を鋭く指摘している法律の専門家もいる。

幼児虐待に詳しい岩城正光弁護士(55)は、

「これまでのわが国の法制度や施策は虐待防止に無力であり、ほとんど機能していないと認めざるを得ない」とし、「危機介入は児童相談所に任せず、安全確認と保護は警察の任務にも法的に位置づけるべきだと訴えてる。⇒【なぜ虐待死は防げないのか】「児相に任せず警察も介入を」 専門家、大阪2幼児放置受け

前稿で、幼児虐待の疑いの通報を受けた場合について、当日記は次のように書いた。

>公的機関が、強権を発動し親権を剥奪すること、そして養護施設に預けることが最善の対処法である。

公的機関で強権発動に訓練されているのは当然警察であり、日頃の職務が強権発動とは縁のない児童相談所職員や役所の職員にそれを求めても事実上その執行は困難である。

ところが最も適任であるはずの「警察の強権発動」と聞いただけで必要以上にアレルギー反応を起し法制化に反対したのが民主党であるが、テレビメディアでこれを指摘する「識者」は一人もいなかった。

再度ここで声を大きくして言おう。

幼児の場合は保護者が、100歳以上の高齢者の場合は同居者が、行政機関の面会を拒否する時は次のように執行できる法的整備を喫緊に行うべきである。

>公的機関(警察官)が、強権を発動し親権を剥奪すること、そして養護施設に預けることが最善の対処法である。

これに反抗したら、そのときこそ公務執行妨害を堂々と適用すればよい。

 「老人神隠し」と「幼児虐待」とは社会的共通問題であり、

問題解決のキモは、

両者とも警察官の強制立ち入りである!

 

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陛下が白鳳へねぎらいの書簡!

2010-08-03 17:38:02 | 県知事選

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小学校の時以来の大相撲ファンである筆者にとって、今回の「大相撲・賭博事件」にかかわるNHKの放映中止は大迷惑な話であった。

折角の楽しみを奪われたからだ。

テレビメディアを中心に、まるで日本全国が集団ヒステリーにでも罹ったように、相撲に人生をかけてきた一人の青年に「死刑判決」を下し、何の躊躇もなくそれを執行した。

琴光喜のことである。

賭博行為が「反社会的集団」、つまりヤクザ屋さんの資金源になると言うのが死刑宣告の理由と聞くが、これまで相撲に興味もなかったようなテレビコメンテーターまでが一斉に横並びで正義を振りかざして「賭博の悪」を説いたのには辟易した。

ちなみに筆者は賭博は嫌いだし、パチンコやマージャンだって学生時代に一寸お付き合いした程度であり、少なくとも身を固めてからは賭博の類には全く縁がない。

確かに琴光喜が野球賭博に手を染めたことは褒められたことではない。

が、だからと言って、いきなり死刑はないだろう。

よってたかって彼の相撲人生に死刑宣告を与えるほどの重罪を彼が犯したのか。

身から出た錆びとはいえ恐喝された被害者の立場ではなかったのか。

罰金に始末書でも取って2,3場所謹慎させ、幕尻あたりからでも再出発させれば、それで充分ではなかったのか。

野球賭博が間接的には「反社会的組織」の資金源になるから、被害者とはいえ、これに関わった琴光喜は解雇で当然だという向きもあるが、それならNHKに問いたい。。

いくら警察が本場所で目を光らせても、NHKが実況放送をする限り、全国各地で「反社会組織」がテレビを使った相撲賭博をしないという保障はないし、いくら警察が目を光らせてもこれを阻止することは困難だ。

NHKは実況放映と言うことで間接とはいえ相撲賭博に関わったという理屈が成り立つではないか。

だとしたら社会正義のためNHKはヤクザ屋さんが壊滅するまで、テレビ放映を中止する覚悟はあるのか。

大相撲 天皇陛下が異例の書簡 白鵬関の活躍ねぎらう

8月3日12時9分配信 毎日新聞
 
天皇陛下から名古屋場所優勝のお祝いの書簡が届き会見に臨む横綱・白鵬。右は村山弘義・日本相撲協会理事長代行=東京・両国国技館で2010年8月3日、石井諭撮影 (写真省略)

 天皇陛下は3日午前、日本相撲協会の村山弘義・理事長代行に対し、名古屋場所で全勝優勝を果たし、昭和以降、歴代3位の連勝記録を達成した横綱・白鵬関の活躍をねぎらう書簡を渡した。天皇陛下が力士に対してねぎらいの書簡を送るのは異例。

【白鵬が泣いた】大相撲名古屋場所:土俵外、波乱の15日間 白鵬が悔し涙

 宮内庁によると、天皇陛下の言葉を川島裕侍従長名で書簡にしたもので、両国国技館(東京都墨田区)で宮内庁側から村山理事長代行に手渡された。書簡は「困難な状況にありながら、連日精励奮闘して幕内全勝優勝を果たしたのみならず、大鵬関の連勝記録を超え、歴代3位の連勝記録を達成した横綱白鵬関に、おねぎらいとお祝いをお伝えになるとともに、今後とも元気に活躍するよう願っておられる」などと記されているという。【真鍋光之】

 ◇白鵬関は「光栄」

 横綱・白鵬関と日本相撲協会の村山弘義・理事長代行らが3日午前、東京・両国国技館で記者会見。紋付きはかま姿の白鵬関は「陛下からのお言葉をいただき、これ以上のものはないと思っております。心から喜んでおります。光栄でございます」と話した。

 さらに「賜杯がなく、うれしさ、悲しさ、寂しい気持ちから涙を流した」と7月25日の名古屋場所千秋楽表彰式を振り返った。

 村山理事長代行も「誠にありがたいお言葉に感激しております。心を新たにして大相撲の発展に精進と努力をしてまいりたい」と述べた。

 野球賭博問題の影響で、協会は名古屋場所での天皇賜杯授与などを自粛していた。【武藤佳正】

                                                         ◇

全勝優勝を飾ったにもかかわらず、天皇杯を手にすることが出来なかったことに悔し涙を流した横綱。

蒙古出身ながら日本人より日本人らしさを見せた横綱白鳳に天皇陛下がねぎらいの書簡を送られたとのこと。

陛下の行き届いたご配慮に心が温まる話である。

が、ここで一つの疑問が生じてくる。

名古屋場所で優勝者力士への天皇賜杯授与を中止させたのは一体誰の判断だったのか。

また判断した者は陛下に中止の旨報告し、了解を得ていたのか。

まさか「陛下が中止に反対するはずはない」と勝手に忖度し、陛下への報告も了解もないまま、勝手に天皇賜杯授与を中止したとしたら、由々しき問題である。

昨年の12月、中国の習近平国家副主席が来日の際、「陛下が断るはずはない」と勝手に忖度し、ルール破りの天皇陛下会見を強行した小沢一郎の不遜さを思い出す。

首相就任でも他の国事行為でも決まったものを陛下が断るはずはない。

だからといて陛下ご本人に報告もなければ了解もないのに「反対するはずはない」と忖度した行為だったとしたら今回の相撲協会や、調査委員会の行為は傲慢不遜の誹りを避けることは出来ない。

陛下は、愛子様が大ファンだという琴光喜への厳しすぎる処分についても、また天皇賜杯授与の中止についてもご不満があったのではないか。

だが、たとへご不満があっても一言もご発言できないお立場にある。

今回の白鳳への異例のねぎらいの書簡は、天皇賜杯授与の中止、それに厳しすぎる琴光喜に対する陛下のささやかなご不満の表れではないか。

・・・・と、畏れながらも、それこそ勝手に忖度するものである。

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「平和学習」の廃止こそ最下位脱出の秘策 

2010-08-03 07:08:39 | 未分類

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当日記を解説した当初の目的の一つは、沖縄の若者の全国的活躍を応援する、いわばお国自慢であると書いた。 

例えばこんな風に⇒名城裕司、来月K―1デビュー 兄と合宿、攻撃に幅

途中から政治ブログに「参戦」する羽目に陥ってしまい、お国自慢が消えてしまった感があるが、当初の気持ちが消え去ったわけでない。 時間的余裕がなくなっただけの話である。

その主旨からいえば、全国学力テストの結果発表は、気が重くスルーしたいニュースだった。

ところが、昨日のテレ朝「スーパーモーニング」が「沖縄の恥」を全国に晒してしまった。

そうとあっては、今さらこれを避けて通るわけにはいかない。

「スーパーモーニング」では、あくまで沖縄側の分析ですよと断りながらも、

沖縄が全国最下位に固定化している理由として、次の諸項目との相関関係を指摘していた。

1)朝ごはん食べない率

2)夜遊び率

3)離婚率

言うまでもなく沖縄ではこれら全てが全国一であり、一方の成績上位が固定化している秋田県では、これはすべて全国最下位だとのこと。

学業成績のみならず沖縄県民としては恥ずべきことである。

昨年はその秋田県から教師を招聘し教育法を学んだようだが、その効果があったのかどうか。

秋田県に学び学力最下位返上へ 教員人事交流に調印

沖縄タイムスは小学校でブービー賞を取ったのを、この喜びようだ。

小学校、初の最下位脱出 全国学力テスト全国差5ポイント以内 中学は後退 (2010年07月31日09:51)

タイムスは関連の社説をまだ書いてないようだが、琉球新報がもっともらしい社説を書いている。

全国学力テスト 学ぶ環境の土台づくりを(2010.8.1)

 考え方を根本から改めない限り劇的な変化は望めない。また改善には時間がかかるものだ。
 4回目の全国学力テストの結果、沖縄県は、小学校で4科目中2科目、中学校で4科目すべて最下位だった。過去の傾向とほとんど変わらない。
 大事なことは、果たして全国学力テストが、子どもたちの「生きる力」を測定する物差しなのかどうかという点だ
 学校で行われているのは全国学力テスト対策として、いかに点数を上げるためのトレーニングばかりで、本当の学力を伸ばすことになっていないという指摘もある。
 教職員が教育の質を高めるための授業改善も必要だが、問題は家庭の教育力の弱さだ。教育を支える土台は家庭である。この土台が崩れていることこそ問題だ。学校教育の充実の前に、真っ先に取り組まなければならない課題だ。
 
親の経済力と家庭での生活習慣は、学力と相関関係があることが知られている。沖縄は失業率が全国一高く、1人当たりの県民所得は全国平均の約7割。
 家計を切り詰めるため、子どもの教育にかける費用を減らさざるを得ない。学ぶどころではない子どもたちが大勢いる

 「百ます計算」で知られる立命館大学教授の陰山英男さんは
「朝ごはんを食べていないと脳がつぶれてしまう」と警鐘を鳴らしている。食以外にも睡眠と家族だんらんが、子どもの教育に必要な三大要因と指摘する。子どもたちの元気の源となる生活習慣の確立こそ急務だ。
 その上で学校の問題に目を向けたい。教職員が忙しすぎる肝心の子どもと向き合う時間以外の業務に追われ、心身ともに疲れている。早急な改善を求めたい
 競争効果を狙った全国学力調査は、2007年度から約40年ぶりに復活した。国際学力調査(PISA)で順位を落としたことが背景にある。
 PISA調査は、生きるための知識と技能があるかを測定する物差しだ。上位のフィンランドは、日本のような競争を重視するテストを廃して、子どもの一人一人の状態に応じて力を伸ばす習得主義に徹(てっ)している。
 そうであるなら
今回の結果に一喜一憂する必要はあるまい。
 まずは早寝、早起き、朝ご飯など、学ぶ環境の土台をしっかりつくることだ。

                       ◇

一々突っ込みを入れるのも億劫なので、太字強調のみにしておくが、

一読して、教師弁護のための開き直り、言い訳そして責任転嫁の羅列であり、肝心な点の反省がない。

何の反省かって?

一つだけ指摘すると、「教職員が忙しすぎる云々」の言い訳は、全国の教師が言っていることであり、何も沖縄の教師特有のものではない。

沖縄の教師特有の忙しさといえば別にあるが、社説ではあえてこれに触れていない。

で、沖縄の教師が反省すべきは、全国一熱心な「平和学習」ではなかったのか。

基礎学力も応用学力も全国最低の児童に対し、「平和学習」だけを熱心にしたら、どんな結果になるか明らかではないか。

07年の「11万人集会」で、「沖縄のオジー、オバーがウソツキだというのですか」と演説した(させられた)男女高校生が良い見本ではないか。

彼らは自分で考える力を失った「平和学習」の気の毒な犠牲者ではないか。

沖縄の教師が「平和学習」に注ぐ情熱の半分でも減らし、

それを「まともな教育」に注げば、最下位脱出は決して夢ではないはずだ。

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コメント (10)

日テレ遭難!普賢岳の教訓は何処へ?【追記】あり

2010-08-02 07:40:07 | 県知事選

 

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【追記】あり。

日テレ記者らの遭難のニューを聞いて、真っ先に脳裏に浮かんだのは「雲仙・普賢岳噴火災害」のことだ。

やはり普賢岳の教訓は生かされなかった。

果たせるかな当日記のアクセスも過去の「普賢岳災害」関連の記事に殺到している。 

それにしても古いエントリーに一日で約1500件のアクセスは凄い!

県警は取材自粛要請…日テレ「判断甘かった」
8月1日21時52分配信 読売新聞

  「結果として判断が甘かった」。埼玉・秩父のヘリ墜落現場を取材中の日本テレビの記者ら2人が死亡した事故で、同社幹部は反省の言葉を口にした。

 現場はベテランでも命を落としかねない危険な山で、地元県警は取材自粛要請を出していた。なぜ2人はガイドと別れて山に戻ったのか、登山装備は適正だったのか――。

 東京都港区にある日本テレビ本社ビル18階の会議室。1日午後4時からの記者会見に集まった50人以上の報道陣の前で、細川知正社長は「有能で意欲的な2人を失い、残念な思いでいっぱい。原因を究明し、再びこういう事態が起こらないようにしたい」と陳謝した。

 同社によると、亡くなったカメラマンの川上順さん(43)は、チベットでの取材経験もあり、同社の山岳取材の中心的存在だった。ヘリ墜落事故では地上から現場に向かうことを希望し、最終的に「ガイドをつけ、小型カメラで1日限り」という条件付きで社会部長が許可した。記者の北優路さん(30)は登山経験が乏しかったが、事故発生時の取材にかかわったことから、今回の取材も希望したという。

 2人は7月31日午前6時前、「今から入山します」というメールを最後に、上司とは連絡が取れなくなった。沢を登るときはTシャツ姿だったが、杉本敏也・報道局次長は、「それほど不適切な服装とは考えていない」と説明。ガイドといったん下山後、再度2人だけで入山した経緯については、「事前の打ち合わせと違う行動で、私どもも一番知りたい」と戸惑いを見せた。

 取材の自粛要請が出ていたことについては、「適正な装備、十分な準備をすれば、取材は可能ではないかと判断した」と説明したが、「結果として判断が甘いという指摘は免れない」と認めた。

                                                           ◇

■取材者の驕り■

毎月飲み会をする仲間10人の中に地元テレビ局で長年報道カメラマンをしていたS君がいるが、日頃は温厚な紳士である同君も一旦カメラを担いで現場に向かうと、どうしても職業病が出てしまうという。

少しでも良いショットを取りたいため、危険を顧みず対象物に近づいてしまうとのことである。

普段は怖いヤクザ屋さんもカメラを構えると怖さも半減し、事実ヤクザ屋さんの方もカメラを向けると大人しくなる例が多いという。

「カメラのファインダ-を通してみると、不思議と暴力団にも台風にも恐怖を感じない」と経験者から言われると説得力もある。

報道カメラマンが決定的瞬間を狙って危険地域に乗り込み命を落とす話は、「勇気あるカメラマン魂」として賞賛され、しばしば英雄談として報道される。

だが天災はヤクザ屋さんのように、カメラの目を意識してはくれない。

自然の猛威を前にしたら、カメラなんて何の防御にもならない。

猛り狂った火砕流は容赦なくカメラマンを襲う。

だが驕り高ぶったマスコミに「普賢岳災害」の反省を見出すことは難しい。

                        *

■日テレに驕りはなかったか■

今回の日テレ取材班の遭難は、遭難者を救出に向かったヘリの墜落事故の取材のために起きた遭難であり、不幸な三次遭難といえる。

今回の遭難で亡くなったお二人には気の毒だが、報道が事実だとしたらお二人および取材を許可した日テレ側の脳裏にに「普賢岳の教訓」は一欠けらもなかったことのになる。

現場はベテランでも命を落としかねない危険な山で、地元警察は取材自粛要請を出していた

ガイドを巻き添えにしなかったのは不幸中の幸いだが、こんな危険な山に「Tシャツ姿」で登った記者等について

「それほど不適切な服装とは考えていない」と説明した杉本敏也・報道局次長には、「取材者の驕り」はなかったのか。

たとえ大自然の力でも、マスコミ様は避けてくれる、

とでも思っていたのか。

今後司法解剖による死因の解明を待ちたい。

ちなみに今朝のTBS「朝ズバッ!」で、このニュースを振られたみのもんたは、「より詳しい報道をしたかったのでしょう」と肯定的にコメントしたが、コメンテーターの末吉某氏が「それも命あってのものだね云々」と慌ててフォローしていた。

■反省なきマスコミ■

毎年同じ6月3日になると年中行事のように長崎・雲仙普賢岳噴火の犠牲者追悼会がおこなわれ、同じような行事が行われ、判で押したような同じ記事を新聞が報道する。 

過去エントリーの「マスコミが犯人の長崎・雲仙普賢岳噴火災害」から抜書きすると

<マスコミは自社社員が犠牲になったことをオーバーに報じても彼らの向こう見ずな行動の犠牲となった消防団員や警察官のことはこのようにしか報じていない。

<・・・火砕流では、読売新聞大阪本社写真部員だった田井中次一さん(当時53歳)ら報道関係者や警戒に当たっていた消防団員らが犠牲になった。2007年6月3日20時15分  読売新聞)>

 僅かに現地の長崎新聞が反省の記事らしきものを掲載しているが、それでもマスコミの犠牲者が彼らを救出しようとして巻き添えになった消防団員たちの犠牲より重要に思え、彼らへの謝罪の念は薄いように見える。

<教訓を伝える大切さを感じているのはマスコミも同じ。大火砕流で同僚三人を亡くしたテレビ長崎(KTN)報道部の槌田禎子記者(49)は、噴火災害を取材し今も被災地を見詰め続ける一人として使命感を代弁した。

 「取材競争の過熱や日々のプレッシャーからマスコミは節度を保てず行動し、被災住民らに迷惑をかけた。私たちは犠牲者のことを胸に刻み、被災地がどう再生していくか継続して取り上げていく必要がある。 
2006年6月2日長崎新聞掲載>

浅間山の噴火を機に、人災といわれた18年前の雲仙・普賢岳の災害とマスコミの傲慢不遜な報道姿勢について回顧してみる。

(雲仙・普賢岳噴火災害の)報道について

被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し十分な知識を持たない報道関係者が火山学者の存在を免罪符として、取材のため、「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こしていたため消防団員、警察官が引きずり込まれる形で危険な地域に多く存在し犠牲となっている。犠牲者発生以降この反省も踏まえ報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張する報道関係者が許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となっている。(ウィキペディア)>

 

関連エントリー:

マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」

浅間の噴火 雲仙・普賢岳の教訓を忘れるな!あれから18年

 

【追記】 124:22

昨日の大阪の鬼畜女の事件も、今日の日テレ取材班遭難事件もこれを報じるメディア側に反省がないのが特徴である。

昨日、沖縄タイムスは鬼畜女を取り上げ、犠牲になったおさない姉弟のことを悲しんで見せたが、警察官の強制立ち入りがあれば、哀れな二人の命が救われたかも知れないこと、それに警察官の強制立ち入りに反対したのは民主党であることには一言も触れていない。

今日のコラム大弦小弦ども再度取り上げて、法整備の必要性までは言及しながらも、やはり民主党が反対したことには頬頭である。

[大弦小弦]

沖縄タイムス  2010年8月2日 09時22分     

 「親はなくとも子は育つ」ということわざはすでに神話化し、「親はいても子が育たない」現実が次第に広がっているようだ

 ▼大阪市のマンションで見つかった幼児2人の遺体。育児放棄で、無防備の命が失われた。ひと月余り放置され、部屋はごみが散乱し異臭を放っていたという。まさに捨てられるようにして、2人は亡くなった

 ▼逮捕された母親(23)は当初、子育ての楽しさをインターネットに書き込んでいたが、やがて子どもから目を背けるようになったようだ。離婚して一人で育てなければ、という重圧もあっただろうが、「かわいい」だけでは育児はできない

 ▼育児放棄では比較的若い親が目立つのが気になる。個人の問題と言うつもりはないが、早すぎる結婚、望まない妊娠・出産がありはしないか。親の自覚や覚悟がないまま、むずがる子を前に立ち往生する。親が親として育っていない状況が多い

 ▼今回の事件で、市は何度もマンションを訪問したが、親の名前が分からないこともあり強制立ち入りをためらったようだ。生死にかかわるだけに、制度のすき間を埋める対策を早急にたてたい

 ▼周りとのつながりが薄れる時代に、子を取り巻く状況は厳しさを増す。家庭の態様に合わせた法整備が必要だ。子育ての喜びが誰の元にも広がる手だてを育てたい。(平良哲)

 

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児童虐待、民主党の責任を問う!「追記あり」

2010-08-01 18:21:45 | 県知事選

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★「文末に【追記】があります」

「ねじれ国会」が始まった。

これまで「何でも反対」の民主党が、数々の自民党提出法案に反対してきた。

逆の立場の与党・民主党は、野党のブーメラン攻撃を恐れて物言えば唇が寒い状況。

野党への対応がやけに大人しい。 

そんな中、大阪の「ネグレクト殺人」事件には衝撃だった。

筆者は同じ年頃の孫を持つだけに身につまされたのだ。

怒りのブログでも書こうと思ったが、気が重くスルーしていた。

 

いつもは当日記の批判の標的にされている沖縄タイムスが代わりに怒りの社説を書いている。

民主党のブーメランと、「ネグレクト殺人」事件との関係は後述するとして、とりあえず沖縄タイムスの怒りの社説を読んで欲しい。

もちろん今回は相手が沖縄タイムスといいう理由だけで、社説に異論があるはずはない。

・・・うーん、異論はないが、一言だけ文句はある。

これについてはブーメランに関連して後述する。

沖縄タイムス社説

ネグレクト]姉弟のSOS、届かず
  2010年8月1日 09時28分     

 「ママー、ママー」。室内のインターホンから、泣き叫ぶ子どもの声が聞こえていたという。部屋やベランダにはごみが散乱し、冷蔵庫は空。玄関や窓は閉め切られ、エアコンは動いていなかった。

 大阪市西区のマンションで、3歳の女の子と1歳の男の子の遺体が見つかった事件。幼子を置き去りにし、死体遺棄の疑いで逮捕された母親(23)は、「ごはんをあげたり、お風呂に入れたりするのが嫌になった」「自分の時間が欲しかった」と供述しているという。

 子どもを残し部屋を出たのは6月下旬で、「1週間ぐらいしてからは死んでるかもしれないと思っていた」とも話している。

 ブログに育児の喜びをつづった時期もあったが、離婚などで生活状況が一変、孤立感が深まり、子育てにギブアップする状況が生まれたのかもしれない。

 名古屋市の夫婦が十分な食事を与えず、長女(5)を衰弱させ意識不明の重体にしたとされる6月の事件でも、母親が同じような供述をしていた。

 「仕事で疲れていて(育児が)面倒くさかった」「自分の自由な時間や夫との時間も欲しかった」

 児童虐待の中で、子どもに食事を与えない、入浴させないなど世話を放棄する「ネグレクト」が目立ってきた。

 「未熟」というより「無関心」。子どもに対する「共感性」が乏しい親に、どう向き合えばいいのか。これまでの虐待対応では追いつかない現実が浮かび上がる。

 2008年度に全国の児童相談所が対応したネグレクト件数は1万5905件。身体的虐待の次に多く、虐待全体の37%を占めた。

 身体的虐待と違ってあざや傷が残らないため発見が難しく、実態とは大きな開きがあるとみられる。身体的虐待からネグレクトに発展するケースも少なくない。

 ネグレクトの原因は、望まない出産や孤立した子育て、貧困、育児に対するストレスなどさまざまで、その理由は身体的虐待と重なる部分も多い。

 一方で、出産現場で指摘される気になる声がある。「汚いからとおむつ替えを嫌がる」「母乳を与えたがらない」など。

 親であることと、親になることは違う。少子化で家庭の子育て力が低下する中、「親を育てる」という新たな課題にも取り組まなければならなくなった。

 大阪の事件では、近隣住民が「異変」に気付きながら子どもの命が失われるという最悪のケースが、またも繰り返された。

 虐待対応の中核となる児童相談所が子どもの安否確認を優先させるという原則を徹底していれば、と悔やまれる。

 児童虐待防止法の施行から11月で10年。

 少子化対策ばかりが強調される時代だが、生まれてきた子の幸せに軸足を置いた確かな政策が求められている。

 「子どもの命」を第一に再出発すべきだ。

                                                      ◇

社説の主旨には概ね同意する。

だが、社説は肝心なところにあえて触れていない。

 

この手の事件では周囲の人の通報が不可欠である。

が、その際親が責任を果たしていないと判断したら公的機関が、強権を発動し親権を剥奪すること、そして養護施設に預けることが最善の対処法である。

このような不幸な事件を未然に防ぐため、2004年、「児童虐待防止法」の改正案が国会で可決された。

その時、警察官の強制立ち入り権も含まれるはずだった。

だが、当時野党だった民主党が警察官の権限が拡大しすぎることにことさら猛烈なアレルギー反応を示した。

同法案のキモともいえる「警察官の立ち入り権」は、憲法に定める令状主義に反するとして、民主党の猛反対によりは見送られた。

虐待されている子供や近所からSOSが発信されても、強権立ち入りのプロではない児童相談所職員だけでは、積極的対応が出来ないのは自明である。

にもかかわらず、民主党は大反対したのである。

警察の強制立ち入りが出来ないため、児童相談所では適当な対応できず、そのため亡くなってしまった子供たちどれだけいるか。

類似事件が起こるたび、メディアは警察や児童相談所を非難する。

が、警察への強制立ち入り権限付与に反対した民主党こそ、最も非難されるべきではないか。 ねじれ国会の今、ブーメランとして。

タイムス社説は「少子化対策ばかりが強調される時代だが、生まれてきた子の幸せに軸足を置いた確かな政策が求められている」と高々と謳いあげているが、

その「子の幸せに軸足を置いた政策」とは何か。

「『子どもの命』を第一に再出発すべきだ」ともっともらしいこというが、

警察官の強制立ち入りを憲法違反だとして反対したのは民主党ではなかったのか。

なるほど、社説はキレイ事を述べ「正義面」で怒って見せてはいる。

だが政局にのみ走って、「子供の命」を踏み潰す政策を強いた民主党に対し、沖縄タイムスは一欠けらの批判も投げつけていない。

何故なのか。

自分が応援した民主党政権の失政は「不都合な事実」として得意の頬被りで通すつもりなのだろう。

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【おまけ】

野党時代の民主党が、警察官の立ち入りに反対した児童虐待防止法案については、次のサイトに詳しい。

児童虐待防止法改正案-警察官の立ち入り権見送りについて
2004年3月5日
 
 児童虐待防止法改正案で、民主党の強い反対により警察官の親の拒否があった場合にでも立ち入り出来る権限が見送られたということだ。理由としては警察官の権限が拡大しすぎることと憲法に定める
令状主義に反するというものである。この理由を聞いて刑事警察と行政警察を混同している典型だなと思った。確かに、行政処分に関しても令状主義の精神を及ぼすという考え方には別に反対ではない。しかし、事案の性質というものを考えなくてはならない。
1.何もどこの家にでも警察官が立ち入り出来るとしている訳ではない。児童のいる家に限られること。
2.一刻を争う緊急の事態が考えられること。→それ故、裁判所の事前審査には馴染まないということ。
3.家庭内問題故に、令状請求するだけの証拠(証言も含め)を集めるだけの機会が少ないということ。→2.と同じく裁判所の事前審査に馴染まないこと。また、同時に、事後審査にも馴染まないということになる。つまり、違法捜査と判断されてしまう蓋然性が高いということである。以上より民主党の裁判所の令状主義の要求は実質上、警察官の立ち入り権を無効規定とするものである。
4.本来保護者たる親が子の利益(しかも生命・身体)を危険にしているという疑いのもとにおいて、住居の平穏・親権が犠牲にされてもやむを得ない。
→社会の要請というものを考える時に、それだけの世論が形成されつつあり、立法する必要性・合理性があるということ。民主党の行為は不作為の立法責任が問われてもおかしくないといえよう。
5.大前提として前述しているが、刑事事件としての立件を直接の目的としている刑事警察活動(=捜査)ではなく、児童の生存・安全を確認するという行政(予防)警察活動(=調査)であること。→それ故、根本的に違法捜査云々の問題ではないということ。また、往々にして虐待死などから刑事警察活動が想起されやすいかもしれないが、仮に親の経済的貧困・無知など(市役所などの応対が極めて悪いなども含む)から生活保護を受けられない、あるいは潔しとしないというという場合において、児童が餓死寸前という場合
・・・続きを読む・・・

 

【追記】8月2日

今朝のTBS「朝ズバッ!」でエライ先生方が「児童虐待」について、ゴタクを並べていたが、肝心の「警察官の強制立ち入り」が民主党の反対により法制化されなかったことには一言触れなかった。

アッと驚いたのは白石真澄関西大学教授が、「加害者」の母親の気持ちに理解を示し、「私も子育ての時、(子供を)生ゴミと一緒に出したくなったことがある」と発言したことだ。

普通のおばさんが井戸端会議でいうのならともかく、大学のおえらい先生が公共の電波を使ってこのような発言をして「加害者」に同調してよいものだろうか。

「あんなエライ先生が、テレビであのように言うくらいだから、私なんかが生ゴミ扱いしても普通なんだ」、

と考えるバカ親が増えたらどうするのだ。(怒)

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摩訶不思議?沖縄の民意

2010-08-01 07:03:01 | 未分類

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「普天間移設」問題で、「沖縄の民意」ということが全国的話題になった。

沖縄メディアが全国に発信する「沖縄の民意」とは、辺野古移設には「島ぐるみで反対」という印象のものだった。

全国の注目を浴びた参院選でも、沖縄平和運動センター事務局長の山城博治候補が圧勝するかのようなの印象だった。

ところが結果は、全候補者が「辺野古反対」を主張するという分かり難さもあったが、沖縄メディアが島ぐるみで応援したと思われた山城候補が敗退し、自公推薦の保守系候補・島尻安伊子氏の圧勝に終わった。

沖縄紙から沖縄の情報を得ていたヤマトプロ市民の間から落胆と怒りの言葉が沖縄県民に降り注いできた。

だが、これはお門違いというもの。

沖縄県民は元々保守系であり、沖縄のサヨク新聞が勝手に歪曲報道をしたのを彼らが勝手に信じ込んだに過ぎない。

文句があるなら歪曲報道したサヨク新聞に、どうぞ。

一部の活動家のシュプレヒコールを「沖縄の民意」と報じたサヨク新聞に怒りをぶっつけて欲しいのだ。

当日記は沖縄タイムスの読者欄に掲載されたこれら「声」を紹介し、沖縄紙の誇大報道を信じたヤマト・プロ市民の浅はかさを観賞させてもらった。

多くの沖縄県民はサヨク反日新聞の扇動に乗るほどバカではない、とほくそ笑みながら。

そもそも「沖縄の民意」とは何か。

藤原正彦お茶の水大教授が、何年か前のテレビの発言で、世論調査の結果を強調するテレビ司会者に対し、

「世論なんて一夜にして変わるもの。 それにこだわる必要はない」みたいな発言をし、なるほどと納得した記憶がある。

では民意と世論の違いは何かというと、昨今のメディアではほぼ同じ意味で使われていると考える。

ただ、問題を「普天間基地の辺野古移設」と限定して、「沖縄の民意」とは何かと問えば、これは複雑で一筋縄にはいかない。

何しろ移設先の名護市の市長は今年の1月までは、「辺野古容認派」市長が三代も続いているし、沖縄県の民意を表すべき県知事は「容認派」知事が 二代続いて現在に至っている。

だが、今年初頭の名護市長選で、「反対派」の稲嶺候補が勝利している。 が、肝心の辺野古区民は相も変らず「容認派」である。

その一方、普天間基地のある宜野湾市の伊波市長は「反対派」である。

地域の首長の主張を見ただけでも、沖縄メディアが発信する「島ぐるみで反対」とはかけ離れていることが分かる。

稲嶺市長の登場と共に、沖縄メディアが稲嶺市長と伊波宜野湾市長を「県内移設反対」のシンボルに祭り上げ、全県的な「県外移設」の大キャンペーンを張ったことは記憶に新しい。

ところがメディアの空騒ぎとは裏腹に、沖縄県民は元来保守的である。

1972年、日の丸を掲げて「祖国復帰した」当時は君が代をおおっぴらに歌えることに涙する保守的県民だった。

復帰と前後して沖縄に入り込んできた日教組の扇動により、多少左傾化した事実はあった。

だが県民の心の根っこが保守的であることに変りはない。

一時的にサヨク新聞に扇動された民意なんて一晩で変わる。

まさに藤原正彦教授の指摘の通りである。

従って良識ある県民にとって、参院選で保守系候補の島尻氏が当選したことも、特段に驚くべきことではなかったのだ。

ただ、沖縄メディアの幻の「沖縄の民意」を信じ込んだヤマトゥンチュのプロ市民が、「沖縄に裏切られた」と勝手に思い込んだだけの話である。

少し古いが、例によって沖縄タイムスの「読者欄」で怒りを露にする本土プロ市民の声を鑑賞して欲しい。

例によって太字強調は引用者。

◆沖縄タイムス 2,010年7月28日 オピニオン面

民意どうした 後味悪い選挙  H・Yさん=53歳 (埼玉県)

今回の沖縄の参院選の結果は、とても後味の悪い結果でした。 そもそも普天間基地移設辺野古案を持ち出したのは自公政権だったのに、県内移設を反対を掲げて島尻安伊子さんが当選した。 民主党もねじれなら自公もねじれ。 沖縄の民意は一体どうなってるの?と腹立たしい。 基地問題であれだけの意思表示をしていながら、そもそもの原因を作った自公の候補者に投票するとは。自民党本部は県内移設が方針であるはずなのに、この矛盾を県民はどう考えるのでしょうか? 本土の友人たちも「どういうこと?」と不思議がっている。 「ただのパフォーマンスだったの?」と。  (略)

太字部分を書くとき、H・Yさん(女性)は、怒りで手が震え、額の血管は、恐らく破裂寸前ではなかったか、と要らぬことを考え、

かじっていた久米島名産の黒糖ピーナッツを思わず噴出しそうになって、慌てて飲み込んだらむせてしまった。

 

だから言ったじゃないですか。

沖縄の新聞だけで「沖縄の民意」を理解するなって。

必ず酷い目に合うのは当たり前でしょう。

「民意どうした」だって?

沖縄の民意は元々保守的なのですよ、H・Yさん!

 

【おまけ】

alphaさんの情報で早とちりしてしまったが、伊波宜野湾市長は県知事選へ立候補表明したのではなく「意欲」を示しただけとのこと。

今日の沖縄タイムス一面の写真つきの「見出し」にはこうある。

伊波氏、出馬に意欲

野党3党7日にも要請

伊波市長が「出馬に意欲」なのは前から分かっていること。

外国人記者クラブでもスケベ根性マラだし、もとい、マルだしで、

やる気マンマンではなかったか。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-163684-storytopic-122.html

今さら写真つきで一面で報道するニュースではない。

「野党3党が7日にも要請」とあるが、要請したら、したで、一面で写真付きで報道し、さらに「要請受諾」で、

今度は一面トップで報道するつもりなのか。

これって、沖縄タイムスの巧妙な事前運動だとみるが、どうだろうか。

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