天海僧正は、家康公の意に従い、千人武者行列で、家康公の霊を
日光山へ遷霊しました
但し、生前家康公は一度も日光を訪れておりません
家康公は「神」として江戸幕府を鎮護するには、陰陽道の方位から、
日光が最適の場所と考えていました
家康公は、日光への鎮座の意向を生前から,天海僧正に伝えていました
天海僧正は、1617年家康公の遷霊に際して、騎馬、馬副の布衣侍、雑色・徒走衆
の千人武者行列で、家康公の霊を携え久能山を出発しました
天海は、家康公の霊を日光の恒例山に鎮座しました
輪王寺(日光の要のお寺)
日光の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、これらを「二社一寺」と呼んでいます
東照宮は、徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社です
二荒山神社と輪王寺は、奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されました
「二社一寺」が、このように明確に分離するのは、
明治初年の、神仏分離令の結果に起因します
明治天皇様巡幸の碑
何故明治天皇様が日光に巡幸されたのか ?
会津藩巡幸の帰りの日光巡幸、またまた感心しました ??
歴史を的確に読み、「チェンジ」に対する対応は凄いですね
今の「ヴィジョンが無いピジョン政権」とえらい違いです
「大将の器」によるのか 固めた周りの「先見性」の違いか