小田原城の歴史
北条氏は居館を天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山を詰の城としていました
3代当主北条氏康の時代には、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えました
徳川家康は、徳川幕府設立後も数万の軍勢を率いて総構えを撤去させました
地方に大規模な総構えがあることを警戒していた
徳川の初期、小田原藩は入り鉄砲出女といわれた箱根の関所を監督
小田原城は、江戸時代を通して1633年と1703年2度も大地震に遭う
2度目の地震では天守や櫓などが倒壊するなどの甚大な被害を受けた
その後、天守が再建され天守は明治に解体されるまで存続していました
明治時代に、城内の建造物はほとんど取り壊されました
天守台には、大久保神社・庭には小田原御用邸が設置されました
関東大震災により、石垣・御用邸の大部分が崩壊しました
1960年天守が復元されました
天気が良かった為、天守から太平洋や笠懸山の石垣山城がよく見えました
素晴らしい、見晴らしの天守です
2006年日本100名城(23番)に選定されました
写真ご覧に成ったら、その1日が心豊かになると言われてる大黒天
『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』 とのビスマルクの格言が有りますが、
東海地震 過去のパターンからすると有っても不思議でないです???