🌸柄井 川柳(からい せんりゅう)の地散歩
☆柄井 川柳江戸時代中期の前句付けの点者
☆前句付けとは
*出題された七・七の短句(前句)に
*五・七・五の長句(付句)をつけることで、川柳の母体となる
*例
(「美事 (みごと) なりけり美事なりけり」)
(「要 (かなめ) ぎは残してさっと海に落ち」とつける類
☆点者(てんじゃ)連歌、俳諧などでその優劣を判定する者
⛳柄井川柳のプロフィール
☆柄井家は代々江戸浅草新堀端の竜宝寺門前町の名主の家系
*川柳は家を継いで名主となった
☆川柳は、最初談林派俳諧の点者であった
*前句付の点者として無名庵川柳と号し万句合を興行している
*句合には総句1万句を超し、その流行ぶりがうかがえる
*川柳万句合の人気が高まり、江戸第一の点者となる
*辞世の句は「木枯らしや 跡で芽をふけ 川柳」
☆2世川柳と3世川柳は初世川柳の息子
*4世以降は社中から後継者が選ばれ
☆川柳号は16世(尾藤川柳)まで受け継がれている
⛳初代川柳の出題は前句付の14字題冠付のみ
☆初代川柳は、選句眼にも優れていた
*上級武士も含め江戸における前句付作者に好まれた
☆初代川柳は「柳多留」の編纂でも有名
⛳台東区の「川柳発祥の地」の碑
☆柄井川柳が最初の万句合を興行した場所の推定跡地
☆台東区三筋に「川柳発祥の地」の碑がある
⛳初代柄井川柳の墓
☆龍宝寺(りゅうほうじ)にあり、別名「川柳寺」とも呼ばれてる
☆龍宝寺は、天海大僧正の法兄豪海大僧正が開山した天台宗寺院
☆不動明王の梵字を刻んだ板碑が境内に残っている
(敬称略)
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⛳出典、『WIKIPEDIA』他
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