慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『世代間格差』『老人階級』『若者階級』『階級闘争』

2025年03月21日 | 人生訓
🌸嫌老社会が「世代」から「階級」ヘの戦いに2

 ☆五木寛之氏(著者)深刻に受け止め過ぎるのでは
 ☆でも、言われてみれば、現実はその様な社会です

⛳筆者が提唱したい「相互扶助」の思想
 ☆潤沢な資産を持ち、月に数十万円の年金を受け取る高齢者もいれば、
 *借家暮らしで無年金という人たちもいる
 ☆例えば一定以上の収入がある人は、年金を辞退する
 *公的介助なども受けないことにより
 *限られたパイを同世代の間で分け合うような仕組みをつくる
 ☆どうせあの世へは持っていけない
 *生きているうちに思いきりお金を使うべきだ
 *旅行でもグルメでも思い切り楽しんで
 *「ああ面白かった、満足だ」と言って往生すればいい
 ☆国は、高齢者の資産を市場に回そうと
 *孫への教育資金の贈与を非課税にするなどの政策をすすめている
 ☆国は、これと同じように
 *老人階級の間で恵まれない人への寄付や援助、非課税にするべきだ
 *身よりのない高齢者向けの老人施設を建てる
 *NPOなどを通じて資金を提供する
 *老人階級の仲間を助けた個人は、大々的にメデイアで報道する
 *自立した老人が、未来の社会に対して積極的に貢献する
 *その姿が次の世代に希望を与え、憧れと尊敬につながる
 ☆以前は、人ロピラミッドの頂点近くに存在するに過ぎなかった高齢者
 *彼らは「穏やかで口数の少ない、弱々しい人たち」だけではなく
 *「豊かで元気な老人階級」としての存在感を急速に高めつつある
 ☆わが国の歴史上初めて「老人階級」が立ち現れた
 *新しい階級闘争が起こる可能性がある、というのが筆者の予感
 *「豊かな」この階級は、下の世代が支える年金を受け取っている
 *その「命と健康」をつなぐための高額な医療費が
 *国家財政の大きな負担ともなっている
 ☆「若い世代にツケを回すな」というスローガンとは裏腹に
 *この世代の増大は、とどまるところを知りません

旧世代が残す「ツケ」は、借金だけではない
 ☆例えば
 *「使用済み核燃料」をどうするのか
 *巨大な国の借金をどう処理するのか
 *そうした難問の数々の解決を次の世代以降に委ねたまま
 *やがて彼ら自身は退場していくのです
 ☆ツケを負わされる方は、たまったものではない
 *若者世代、勤労世代が
 *「俺たちが、そんなものを払わされるのか」の
 *気持ちなるのは無理はない
 ☆彼らも「世代」や「層」の概念を超えて
 *「階級」に転化しつつあるように、筆者には感じる
 ☆「階級闘争」というのは、マルクス主義の用語
 *政治経済を支配する資本家階級と、プロレタリア階級の闘い
 *プロレタリアートが解放されるためには
 *革命によって資本家を打ち倒すしか術がないのが主張です
 ☆21世紀の日本にやがて描き出される予感があるのが
 *「搾取する」老人階級と
 *「搾り取られる」若者階級・勤労者階級の構図

若者への反感もある
 ☆嫌老感の矢面に立たされる老人階級にも言い分はある
 *「日本を世界に冠たる経済大国に押し上げたのは、自分たちの力」等
 *しかるべき年金をもらうのは当然だ
 ☆その感情は、下の世代への反感にもつながる
 *自分たちは、社会に対して行動すべき時には、行動した
 *現在の若者たちは、そんな気概もなく
 *選挙にさえ行かず、フラフラと何をやつているんだ
 ☆嫌老感の広がりへの反作用もあって
 *高齢者層の、自分たち以外の世代に対する
 *拒否感、反感もまた、次第に強まっている
 ☆嫌老感が、「経済的に恵まれた」高齢者たちへの反発という
 *ある意味分かりやすい感情であるのに対して
 ☆老人階級の下の世代への敵対心
 *若い世代に対するコンプレツクスが絡むぶん
 *より複雑だという側面もある
 ☆若い世代には、肉体的、精神的な「エネルギー」がある
 *老人階級が頑張っても手に入れられないものを、彼らは持っている
 ☆そこからくる妬みの心情
 *「何もせずに、自分たちを嫌う」世代への反感に
 *陰に陽に反映しているように思う
                          (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『孤独のすすめ』








『世代間格差』『老人階級』『若者階級』『階級闘争』
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『大本アジア進出』『第二次大本事件』『戦後の大本』

2025年03月21日 | 宗教
🌸大本3

大本アジアヘ
 ☆出口なおの方は、王仁二郎が表に立って活躍するにつれて
 *表舞台から退き、最後の段階では、御筆先さえ書かなくなる
 ☆出口和明の『大地の母』出版
 *なおに降った天照太神、王仁二郎に降った素戔嗚尊
 *なおの側からは悪神とされた小松林命とのあいだで
 *激しい対立、抗争がくり広げられたことになっている
 *この事件によって、大本は大きな打撃を受け
 *浅野和三郎や谷口雅春などは大本を去ることになる
 *王仁三郎の活動は、事件後、より大きなスケールで展開される
 ☆王仁三郎は、大陸進出を果たしていく
 *それが、第二次大本事件にも結びついていくことになる
 *大本の存在を、日本他、アジア全体に広めるのに貢献した
 ☆日本が大陸進出が進むなかで
 *その流れに乗る形で、大本はアジアヘその活動範囲を広げていく

⛳第二次大本事件とその後
 ☆王仁二郎は、日本がアジアに進出していくなかで
 *大本には、当初から世の立て替えという考え方があり
 *社会変革の志向性があった
 ☆昭和維新を掲げて「昭和神聖会」が組織される
 *昭和神聖会は、決して反体制的な政治運動ではなく
 *会の賛同者には、大臣や貴族院議員、衆議院議員
 *陸海軍の将校なども名を連ねていた
 ☆昭和神聖会が瞬く間に急成長したことは
 *国家権力にとっては脅威であり
 *大本は国体の変革をめざしているとして
 *警察の大々的な取り締まりを受けた
 ☆王仁二郎以下教団の幹部たちは
 *不敬罪や治安維持法違反で逮捕され
 *大本の施設は徹底的に破壊され
 *メディアはいっせいに反大本のキャンペーンをはる
 ☆第二次大本事件
 *大本のようなアジア全体に広がりをもつような運動
 *大本の活動が許容されることは難しかったであろう
 *第二次大本事件で、王仁二郎の破天荒な活躍
 *芸術の分野を除いて、終止符が打たれる
 ☆裁判にかけられた王仁二郎
 *無期懲役の判決が下されたほか、信者たちは有罪判決を受ける
 *王仁二郎は、日本の敗戦によって、控訴中に大赦となった
 ☆戦後、大本の教団は再建された
 *王仁二郎は亡くなっている
 *農業運動や平和運動に力を注ぐものの
 *王仁三郎生前の時代のように
 *運動として発展することはなかった
 *しかも、内紛から教団は分裂した
                        (敬称略)
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『金々先生栄花夢』『鱗形屋重板事件』『朋誠堂喜三二』

2025年03月21日 | 有名人
🌸蔦重が版元へと出世3

⛳黄表紙(「大人の読み物」滑稽のうちに社会を風刺した書物)
 ☆「金々先生栄花夢』
 *子供のための読み物だった草双紙
 *「金々先生栄花夢』の登場によって、大人が楽しむものになった
 *「金々先生栄花夢」の作品は、社会や世間という表面をうがち
 *隠された真実や弱点を暴露する本だった
 ☆『黄表紙』
 *封建社会の厳しい現実のなかで、自由空間だった吉原遊郭の様子をうがち
 *現実生活や世相の裏にある実相を鋭くうがった『金々先生栄花夢』
 *大人のための読み物として「黄表紙」と呼ばれるようになった

⛳出版界に激震!重板事件で鱗形屋が大打撃
 ☆春町の人ヒット作『金々先生栄花夢』を刊行した鱗形屋ウハウハ
 *しかし、鱗形屋の手代徳兵衛が、大坂の版元の本を勝手に改題して
 *鱗形屋の本として売り出すという罪を犯してしまった
 ☆「重板」と呼ばれる犯罪行為だった
 *この違反行為は見つかり、張本人の徳兵衛は財産没収のうえ
 *江戸十里四方追放という厳しい処罰を受けた
 *鱗形屋孫兵衛も責任を問われ、罰金二十貫文を科せられた
 ☆鱗形屋は、社会的信用を失ったことが商売に大きく響き
 *鱗形屋はその年の秋の「吉原細見」の刊行を見送る
 *このチャンスを逃す蔦重ではなかった
 ☆蔦重は、蔦屋版「吉原細見」(『離の花』)を出版した
 *蔦屋版の「吉原細見」は鱗形屋版と違う工夫がされていた
 *鱗形屋版は1ページに、1軒の遊女屋が載っていたが
 *蔦屋版は大型で、 1ページに上下にらみ合いの形式で妓楼を掲載した
 *読者は見やすくなり、一方の版元も半分ですんだ
 *遊女のランクがひと目でわかるように印を付けた
 *揚代(遊び代)を明確にし、遊女の動向をいち早く入手して反映させた
 *蔦屋版には吉原の芸者一覧といったオマケまで掲載されていた
 ☆翌年の春には鱗形屋版も復活した
 *安いうえに最新情報が満載だった蔦屋版が売り上げを伸ばし
 *鱗形屋版を駆逐し、「吉原細見」の出版は蔦屋版が独占する

⛳売れっ子お神酒徳利コンビ(朋誠堂喜三二と恋川春町)
 ☆吉原に日参する手柄岡持という狂名を持つ武士がいた
 *本名を平沢常富といい、江戸留守居役をしていた人物だった
 *常富、武士以外の顔をいくつも持っていた
 *戯作者としては朋誠堂喜三二の名で知られ、狂名は手柄岡持
 ☆才能温れる男と蔦重は知り合って昵懇の仲になり
 *さらに一緒に仕事をすることになる
 ☆平沢常富は数かすの名前を持っていた
 *朋誠堂喜三二、手柄岡持、亀山人、道陀楼麻阿、雨後庵月成、平角等
 *基本的には一番メジャーな「喜三二」の名で通す
                         (敬称略)
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⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』





『金々先生栄花夢』『鱗形屋重板事件』『朋誠堂喜三二』
(『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』記事他より画像引用)
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『階級闘争』『高齢者の自立』『死生観の確立』

2025年03月20日 | 人生訓
🌸嫌老社会が「世代」から「階級」ヘの戦いに1

 ☆五木寛之氏(著者)深刻に受け止め過ぎるのでは
 ☆でも、言われてみれば、現実はその様な社会です

⛳日本今は嫌老社会の″入口″である
 ☆「豊かで元気な」高齢者に対する嫌老感が広がっている

 *「それは考え過ぎだろう」との一部の意見もあるが
 ☆現在の時代の空気からすると
 *どうしても、筆者の考えでは、楽観的には受け取れない
 *日本が本格的な嫌老社会の″入口″にあるからかもしれない
 *これから「本格的な嫌老社会」が訪れ
 *より先鋭化した”嫌われる老人社会″の可能性がある
 ☆社会に嫌老意識が育まれる原因
 *高齢者と下の世代との間に、利害の「対立」があるから
 *「世代間の対立」を超越してしまったたので
 *一種の「階級闘争」に発展しかねない問題かもしれない
 ☆階級闘争には、「パンをよこせ」とか「搾取をやめろ」とかの
 *具体的な対立点が存在します
 *そこが、従来の世代間対立との、決定的な違いだと思う

「老人階級」の出現での「階級闘争」
 ☆日本は今、世界から注目される2つの問題を抱えている
 ①使用済み核燃料の処理の問題 ➁超高齢社会の行方
 *考えてみるとこの2つは非常によく似た話です
 *戦後の日本で素晴らしい働きをし、大きな成果を上げた
 *時間の経過とともに、その存在が社会の重荷になっている
 ☆背景には、高齢者の年金や医療・介護費がこの国の財政を圧迫している
 *その財源を支える勤労世代にはその恩恵を受けられる保証がなく
 *「必死に働いて、なぜ高齢者ばかりいい目をみるのか」という
 *不満が高まっていることがある
 *やがてそこに加わる若者たちにとっても、リアルな重圧になる
 ☆こうした状況、世代間格差なんて生ぬるいものではない
 *持つ者と持たざる者の、「階級闘争」がはじまりつつあるのでは
 *その厳しい時代を生き抜いていくためには
 *高齢者も従来の様に、世間の善意に頼って生きるわけにはいかない

⛳「高齢者の自立」が必要
 ☆そのために必要となるのは、まず経済的な基盤
 *働けるうちはしっかり働いて
 *年金だけに頼らない生活資金を確保しておきたい
 *四十~五十代の専業主婦でも、これから資格を取って
 *専門的な職業に就けば、夫がリタイアした後でも働き続けることが可能
 ☆人の老化現象は、二十代からはじまると筆者は考えています
 *歳を重ねてあちこち不調が出るのは仕方がないとしても
 *医療制度に過度に依存しなくても生きていけるように、
 *ほどよく養生する姿勢は大切
 *年齢に抗うアンチエイジングではなく
 *自然の摂理に寄り添うナチュラルエイジングです
 ☆精神の自立も必要
 *特に大切なのは、死生観の確立
 *どのように生きるかは、文学や思想で答えを見出せても
 *どのように「逝く」かは、やはり宗教の力が必要になる
 *宗教はにわか勉強では難しい部分もあるので
 *できるだけ若い頃から関心を持っておくほうがよい
 ☆自分の死生観を託すことのできる宗教を見つける
 *それは、私たちの漠然とした不安を拭う
 *ひとつの大切な道だと筆者は思います
 ☆これからの時代を生きる人たち
 *高齢になっても、自分たちが弱者であるという意識を捨て
 *自立しなければなりません
 *例えば職業でも、若い世代より高齢者に向いた仕事がある
 *年金などで生活の基盤を支えながら
 *ボランテイアのように社会に役立つ仕事に励むのも
 *リタイア世代ならではの生き方です
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『金光教』『金神』『国常立命』『大本の弾圧』

2025年03月20日 | 宗教
🌸大本2

⛳王仁三郎の吸引力
 ☆王仁二郎の天衣無縫とも言える魅力によって
 *大本には、さまざまな人間が集まってきた
 *天理教の場合には、庶民が中心であった
 ☆大本の場合にも、病気治しを行っており、庶民も信者となっていった
 *しかし、大本にはインテリ層も多数集まってきた
 (学生たち、知識人や軍人も王仁三郎の周囲に集まってきた)
 ☆マスメディアは大本を批判した
 *中村は、精神医学の立場から『大本教の解剖』という本を書いている
 ☆大本には、たんに宗教団体にとどまらず
 *精神革命、社会革命の運動としての性格があり、
 *陸軍や海軍の軍人たちのなかにも賛同者が生まれた
 *明治天皇の皇后である昭憲皇太后の姪である鶴殿ちか子
 *大本に入信するということもあった

大本、金神の信仰からスタート
 ☆大本が最初から、多様性をもつ新宗教だったわけではない
 *大本の出発は、天理教に近いものだった

 ☆大本の教祖である出口なおは
 *天理教の中山みきと同じように神憑りする
 *出口なおの活躍した地域では、金光教が勢力を伸ばしていた
 ☆金光教
 *天理教と同様に、幕末維新期に生まれた
 *教祖である赤沢文治こと金光大神は、天地金乃神を信仰していた
 *この神は、陰陽道系の崇り神である金神だった
 *金光教の教祖は、金神を信仰の対象とした
 ☆出口なおは、この金光教に影響され
 *この艮の金神が、国常立命であるとした
 *国常立命は、天理教の主宰神、天理王命を構成する
 *神々の筆頭に位置づけられていた
 ☆天理教に影響を与えた吉田神道では宇宙の根源神とされた
 *『古事記』では、天地開開時、最初にあらわれた神とされていた
 ☆オーソドツクスな神道でも、天理教や大本のような新宗教でも
 *神道系であれば、国常立命という同一の神を
 *根源的な神として信仰の対象としてきたわけである

⛳大本の発展と最初の弾圧
 ☆なおを中心にそのまま宗教活動を展開していたとしたら
 *大本は、天理教のような発展の仕方をしたかもしれない
 ☆金光教からの独立の翌年、王仁二郎が出現したことで
 *大本は、まったく違う方向にむかって歩み出していく
 *王仁二郎は、修験道の修行をしたこともあり
 *神霊と交わり、その力を活用する「鎮魂帰神」の方法を学んでいた
 ☆王仁三郎には開明的な部分が強く
 *社会変革の方向性をもっていたために、相いれなかった
 *王仁二郎は一時大本を離れ、京都にできて、神職の資格を得る
 ☆王仁二郎がいないあいだ、活動が停滞していた大本
 *世界が壊滅的に破壊され、新しい理想の世界が出現するという
 *終末論的な予言が主張され、熱狂的に信奉されるようになる
 ☆日本にかぎらず、新しい宗教、終末論的な予言によって
 *急速に勢力を拡大していくことはよく見られる
 *一般には、予言が外れることで
 *多くの信者は教団を去り、残った人間が
 *予言が外れたことを正当化する新たな教えを作り上げ
 *危機を脱していくというのが典型的なパターン
 ☆大本の場合
 *その過激な言動が警察権力による弾圧を招き
 *王仁三郎ら、不敬罪などで逮捕、起訴され、神殿も破壊された
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                     大本の弾圧


『金光教』『金神』『国常立命』『大本の弾圧』
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『往来物』『金々先生栄花夢』『恋川春町』『黄表紙』

2025年03月20日 | 歴史上の人物
🌸蔦重が版元へと出世2

蔦重、手習いの教科書「往来物」で安定利益を確保
 ☆蔦重は「往来物」も手掛けるようになった
 *「往来物」とは手習いに使用される「教科書」にあたるもの
 *日本が世界一の識字率を誇れたのは
 *手習所が多数開かれていたからで
 *子供たちの教科書で用いられる往来物の需要は年々増すばかりだった
 ☆商売上手な蔦重、往来物の出版を手掛けた
 *薄利多売ではあったが毎年確実に売れた
 *又長く増刷されたので安定した利益が得られた
 *往来物は地味だったが、確実に売れる本だった

⛳蔦重、狂歌を詠み捨てるだけではもったいない考えた
 ☆蔦重は、狂歌師「蔦唐丸」として吉原連で活動していた
 *蔦唐丸は当時の狂歌界にとって重宝な男だった
 *吉原連は妓楼のメンバーで構成されており
 *蔦店丸はその吉原でのネツトワークを駆使して
 *狂歌師たちが狂歌を詠み合う場のお膳立てをしたからだ
 ☆狂歌を出汁にして楽しく集うことが「連」最大の目的であった
 *狂歌は、二義的なものとみなされ
 *詠み捨てにするのが常だった
 *目の前で詠み捨てられていく狂歌を見て
 *蔦重はあまりに勿体ないと思うようになってきた
 ☆吉原で繰り広げられていた吉原連
 *才能ある文人墨客が吉原に日夜集っていた
 *狂歌連の集まりは一種のサロンであり
 *そこから江戸の文化が続々と生まれた
 ☆蔦重は歌の才能は確かになかったが
 *気配り上手で、狂歌会の手配はもちろんのこと
 *終わったあとの打ち上げの手配も万全だった
 *江戸っ子らしく粋で鮨背な色男だから、とにかくモテた
 *吉原の遊女たちは蔦重にメロメロさ

『金々先生栄花夢』で恋川春町が「黄表紙」を確立した
 ☆刊行された『金々先生栄花夢』の出現によって
 *赤本以来続いてきた子供向け草双紙の性格が一変する
 ☆『金々先生栄花夢』の作者、恋川春町
 *鳥山石燕門下の浮世絵師で、狂歌を詠み、物語も作った
 *絵師・狂歌師・戯作者の3つの顔を持つ才能の持ち主だった
 ☆春町はこの『金々先生栄花夢』一作で
 *子供向けだつた草双紙を大人も読みうる戯作文学に引き上げ
 *新しいジャンル、「黄表紙」を確立した
 ☆『金々先生栄花夢』
 *蔦重ではなく、鱗形屋孫兵衛によって刊行されている
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『往来物』『金々先生栄花夢』『恋川春町』『黄表紙』
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『豊かで元気な高齢者』『結婚出来ない若者』『鈍感な高齢者』

2025年03月19日 | 人生訓
🌸 老人と同想力3

⛳「貯め込む」高齢者
 ☆日本の家計貯蓄率
 *可処分所得に占める貯蓄額の割合が、右肩下がりに下がっている
 *1970年代半ばには20%を超えて、世界でもトップレベルだった
 *現在は、「浪費国民」の代名詞アメリカの後塵をはいしている

 *2013年以後、マイナスに転じてしまう
 *マクロでみると、日本の勤労者は収入だけでは足りずに
 *貯蓄を取り崩して生活していることになる
 ☆世間の受け止め方は違う
 *下の世代は苦しいのに
 *高齢者は年金までがつちり貯め込んで
 *使おうとしないというのが、定説になっている
 ☆高齢者間の格差
 *かって大企業に勤めていたり、公務員だったりして
 *「二階建て」「三階建て」の年金制度に恵まれて
 *90歳で月合計30万円とか40万円支給を受けている老人もいる
 *一方で、国民年金一本で来た結果
 *月に4万円前後しかもらえないような人も少なくない
 ☆目立つのは「豊かで元気な老人たち」
 *そこへの反感の強さ、高齢者世代に対する矛盾した見方にも表れている
 *「高齢者がお金を貯め込んで使わないから、景気が良くならない」  
 ☆年金をもらっている年寄り
 *気ままに海外旅行に出かけたり
 *高級車を買ったりするのは、おかしいではないか
 *高齢者以外の多くの日本人が
 *普通に抱く感情ではないでしようか
 ☆嫌老意識は、高齢者の中にある格差を覆い隠す役割をも果たしている
 *今の高齢者に、しかるべき金額の年金がきちんと支給され
 *彼らが「高齢者医療」や介護制度によって「守られて」いるのは事実
 *その仕組みを支えているのは
 *言うまでもなく現在の勤労者世代
 ☆勤労者世代の負担
 *従来、最大の担い手だった団塊世代
 *受給者の側に移ってくるにつれ
 *ますます大きなものになっていく
 *いざ自分たちがもらう番になった時
 *その仕組みがちゃんと機能している保証はない

結婚しない若者
 ☆「豊かな老人」と裏腹の関係にあるのが、「貧しい若者」
 *今は六割、七割の学生たちが、有利子の奨学金を「借り」
 *卒業した瞬間に、数百万の借金を背負って社会に出ていく
 *いち早くそれを返済しなければならない
 *彼らが就活に血眼になるのも当然でしょう
 *先行きが不安極まりない非正規労働も当たり前になった
 ☆明治安田生活福祉研究所2013年に実施したアンケート調査
 *未婚女性が結婚相手に求める最低年収
 *400万~500万円とした人3割強で最も多い
 *非正規で稼げる金額ではない
 ☆日本生命が発表した「結婚に関するアンケート」
 *独身者の4分の1近くが、「結婚したくない」と回答した
 *男性の16%強が、「経済的な不安がある」のを理由に挙げている

⛳軋蝶を生む高齢者の想像力の不足
 ☆世の老人たち
 *「自分たちだって、若い頃は生活が苦しかった」

 *「年金をもらうのは、当然の権利だろう」
 *いろいろ言われることに対する反応はそれ止まり
 *「年寄りはいつの時代にも邪魔にされるから」と「納得」している
 *これには、無理もない面があります
 ☆人間は加齢によって、いろんなことが衰えてくる
 *体力や運動神経だけではなく、「心」も確実に衰える
 *結果、外とのやり取りに「鈍感」になってくる
 *平たく言えば、「空気を読まなく」なる
 *外部への発信も、思いきり鈍感になる
 *「不作法」で「偉そうなこと」を、平気で口にする
 *それを言えば相手がどう受け取るかといった
 *配慮の感覚が、どこか摩耗している

少子化で、たくさん子どもを産んでほしいといわれても
 ☆応えられない現実が、今の若者世代にはある
 *子づくりはおろか、結婚もできずに一生を送る人間が
 *このままではどんどん増えていく公算が大きい
 ☆そんな状況にもかかわらず、彼らは
 *年金が保障された「豊かな」高齢者世代を背負わねばならず
 *団塊世代のリタイアによって、負担はますます重くなっていく
 ☆老人が「豊かで元気な多数派」になった今、他の世代からすると
 *その「鈍感力」がことさら鼻に付くようになったのは事実だと思
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『豊かで元気な高齢者』『結婚出来ない若者』『鈍感な高齢者』
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『大本教』『邪宗門』『大地の母』『王仁三郎』

2025年03月19日 | 宗教
🌸大本教1

『邪宗門』の作り上げた大本イメージ
 ☆日本の新宗教で、大本ほど高い評価を受けている教団は他にない
 * 一般に、新宗教に対する社会的な評価は決して高いものではない
 *創価学会も、政治的な姿勢等に対してはつねに批判が寄せられてきた
 *池田名誉会長も、独裁者、権力者として、嫌悪の対象になることもある
 *天理教も、搾取の宗教と厳しい批判を浴びせられた時期があった
 ☆大本の場合には、大正と昭和の三度の権力による過酷な弾圧に対して
 *権力に徹底して抵抗した新宗教として
 *反権力の傾向をもつ人々からは好意を持って迎えられた
 *大本が、高い評価を受けるたのは、小説「邪宗門』の影響が大きい
 ☆『邪宗門』は『朝日ジャーナル』に連載された
 *『邪宗門』であつかわれているのは
 *「ひのもと救霊会」と呼ばれる架空の宗教教団の歩みであ
 *教団が権力からの厳しい弾圧を受ける点などで
 *明らかに大本がそのモデルになっていた
 *救霊会の二代教主にも行徳仁二郎という名がつけられており
 *大本の聖師、出口王仁三郎に由来する
 ☆『邪宗門』は、左翼の学生たちによく読まれた
 *大本国反権力、反天皇制の宗教のイメージが定着した

⛳とんでもない小説、出口和明が書いた『大地の母』
 ☆一部でカルト的な人気を博した特異な小説である
 *作者は、その姓が示しているように、出口王仁三郎の孫
 ☆和明は、大本の教団の改革運動にも従事し
 *三代教主だった出口直日の後継者をめぐって内紛が起こったときには
 *いづとみづの会の主宰者として独立し
 *宗教法人愛善苑を開いている
 ☆『大地の母』
 *著者は、教団内部の人間としての立場を生かし
 *教団内に残された膨大な資料にあたるとともに
 *王仁三郎が生きていた時代を知る人々に
 *徹底した取材を試みた上で小説を執筆している
 *ただのフイクションとは言えない面をもっている
 *興味深いのは、これを刊行したのが毎日新聞社
 *毎日は、 大本が二回目の弾圧を受けたときには
 *その先頭に立って反大本の社会風潮を煽動する役割を果している
 ☆『大地の母』の小説の内容
 *全篇を当して描かれているのは神秘的なドラマである
 *初代教祖出口なおと王仁三郎の神憑りであり
 *2人に降りた神同士の対立でもあった

⛳王仁三郎という怪人
 ☆『大地の母』を読んで、私の大本に対する印象は一変した
 *大本に起こったことを合理的に解釈することなどできない
 *何よりも、出口王仁二郎という人物が
 *常識をはるかに超えた存在だからである
 ☆王仁三郎は有栖川宮熾仁親王のご落胤だという噂が広まっていて
 *王仁二郎自身も、歌のなかでそれを暗示していた
 *王仁二郎は、弾圧によって裁判にかけられた際
 *ご落胤説を否定している
 ☆王仁三郎は、天衣無縫で、破格の人物であり
 *常識では計り知れないところがあった
 *法廷では珍問答をくり返す
 *猥談を交えて、裁判官を煙に巻いたり
 *裁判にあきると足や腹、頭が痛いと大騒ぎし
 *裁判を休廷に持ち込んだりした
 *極めつけは、この裁判の一審で
 *無期懲役の判決を下されたとき
 *後ろをむくと、舌を出してあかんベーをしたという
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本の10大新宗教』





『大本教』『邪宗門』『大地の母』『王仁三郎』
(ネットより画像引用)
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『耕書堂』『一目千本』『雛形若菜の初模様』『富本節稽古本』

2025年03月19日 | 有名人
🌸蔦重が版元へと出世1

版元デビユー(たくましい商魂!「遊女評判記」で蔦重)
 ☆蔦重は吉原遊郭唯一の出入り口である「大門」の前に
 *店舗「耕書堂」を構えた
 *吉原を訪れる遊客は必ずこの店の前ので、商売繁盛間違いなしの場所
 ☆鱗形屋から毎年二回発行される「吉原細見」を扱った蔦重
 *順調に売り上げを伸ばした
 ☆蔦重、1年で版元の仲間入りを果たした
 *蔦重『一目千本』『急戯花乃名寄』を刊行する
 ☆『一目千本』『急戯花乃名寄』
 *吉原遊郭に実在する遊女を挿花に見立てて紹介する「遊女評判記」
 *この本、妓楼や遊女がお得意先などに配る販促物
 *翌年刊行の一「急戯花乃名寄』も同様だった
 *蔦重は、妓楼や遊女からあらかじめ出資を募って、本を制作した
 *売らずとも儲けが出る仕組みだった
 ☆蔦重の背後には鱗形屋がいた
 *鱗形屋のバックアップがあったからこそ、版元になれた

蔦重「遊女たちのフアッション誌」を西村屋与八と共同出版
 ☆先輩地本問屋の西村屋与八と組んで作品を世に出した
 *蔦重は『一目千本』を出した次の年
 *与八との共同出版を企画した
 *与八の得意分野は美人画
 ☆アイデアマンの蔦重
 *判型を従来の中判から大判へと変えた
 *百枚超えの揃物とすることでインパクト抜群の本とした
 ☆『雛形若菜の初模様』と銘打たれたそのシリーズ
 *吉原の花魁や遊女たちを描いたもので
 *絵師・儀田湖龍斎にとり代表的な作品群となった
 ☆タイトルの「若菜の初模様」
 *この本のコンセプトは、吉原の遊女たちをモデルにした
 *春に流行する着物や髪形などを描いた最新カタログだった
 *発売にあたり、呉服屋とタイアツプしていたので
 *蔦重は、「さきに広告費をもらっておき必ず元を取る作戦」の本
 ☆『雛形若菜の初模様』を手にした読者
 *吉原を代表する遊女たちのファッションショーを見ている気分になれた
 *この本は、大好評を博すとともに
 *それまでの美人画の判型を中判から大判へと変える
 *記念碑的な作品でもあった
 *途中からは西村屋の単独刊行となった
 *のちに二代目を継いだ西村屋与八と蔦重とはライバル関係となる
 *江戸の出版界を盛り上げていくことになる

⛳蔦重江戸浄瑠璃「富本節」に目を付けて大成功
 ☆「吉原細見」は春と秋、年二回の定期刊行物
 *「吉原細見」の卸と小売りだけでは一本足打法だ
 *もう二、三本利益の柱がほしい
 *蔦重は、流行していた富本節に目を付けた
 ☆三味線の音に乗せて歌い語る江戸浄瑠璃
 *「〇〇節」と呼ばれる流派がいくつか出てきた
 ☆富本豊前縁が創始したのが「富本節」
 *富本豊前太人は、馬面ながら美声の持ち主で
 *人気を博し、全盛期を迎えていた
 *蔦重はその人気に目を付け、 富本節の正本と稽占本の出版を手掛けた
 ☆人気のある富本節の本を出せるようになった方法
 *蔦重は、富本節の稽古本出版の株を持っていた、伊賀屋の娘と結婚した
 ☆富本門弟の師匠が増えて稽古所が増えるなか
 *稽吉本の需要は飛躍的に増加し、 飛ぶように売れた
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』






『耕書堂』『一目千本』『雛形若菜の初模様』『富本節稽古本』
(『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』記事ネットより画像引用)
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My English practical training19March

2025年03月19日 | 英語練習
🌸My English practical training

I would like to make an effort
and continue listening English this year.

⛳5分間英語
*Surprise  specter

⛳今日のセンテン3
*Use everything up
*relieve(reduce)
*all by myself(without anyone's help)

⛳Cram school (review)
Nothing special

⛳Cram school(one week's Diary) 
After the herbal seminar, 
I went to the bath. 
This is the last herbal seminar.
I made bath salts

★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
 the source of articles, programs and images.
★Source: 『中学生基礎英語2』

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『人間弱い者には優しい』『90歳でポルシェ』『逆走する老人』『嫌老』

2025年03月18日 | 人生訓
🌸 老人と同想力2

⛳「少子化」は今に始まったわけではない
 ☆高度成長の時代、後の日本の人口に大きなインパクトを与える事態
 *静かに、しかし確実に始まっていたのが「少子化」と言われている
 *「少子化」は、戦後のベビーブームが終わった1950年以降
 *出生数は、急坂を転がり落ちるように減少を始めていた
 ☆「1人の女性が生涯に何人子どもをもうけるか」数字
 *49年までの第一次ベビーブームの時代には4.3を超えていた
 *4人きょうだいが標準だった

 ☆数字はあれよあれよという間に急降下した
 *52年には早くも3を切り、75年以降は2を割り込む
 ☆現在は、高齢化率はついに25%を超えた
 *日本人の4人に1人は、65歳以上のお年寄り
 *2060年には、なんと約40%まで高まるという
 (働く人1.25人で、 1人の高齢者を支える)
 ☆そこから生じてくる大衆心理、老人は「弱者」ではなくなった
 *昔は地域には「長老」がいて、みんなが一目置きつつケアした
 *現代の日本人から、そうした気持ちが一切合財、消えたのでは
 *高齢者への風当たりは、昭和の時代とは、明らかに種類の違う

 *長老は、人数が少なく、ある種貴重な存在だった
 ☆現代社会、右を向いても左を見ても高齢者が目に入る環境
 *もはやありがたくもなんともない
 *ありがたいどころか「疎ましい」だけだ
 ☆同時に、社会に漂うかすかな嫌老感
 *しかし、高齢者の数が増えたから広がったわけではない

人間は、自分より「弱い」存在には優しくなれる動物
 ☆困っている人がいれば、同情の念が湧き、手を差し伸べようとする
 *高齢者も本来「弱者」です
 *若い世代が、当然のように庇護すべき、と考える存在のはず
 ☆その様な常識が現在は通用しなくなっている
 *現代日本に生きる高齢者層は、数のうえでメジャーだけでなく
 *とにかく元気で活発です。なおかつ、非常に目立つ
 ☆ひと昔前には、75歳の老人が海外旅行に行こうとしたら
 *付添いなしでは無理でした
 *現在は80歳を超えても、普通に単身で海外に出かけています
 ☆ポルシェを駆る90何歳かの老人、テレビで紹介されていた
 *メディアが「元気なご老人」をことさら取り上げたりするのも相まって 
 *「老人はおしなべて社会的弱者である」というイメージは
 *いまやこの社会から一掃された観がある
 *その結果、「同情」に代わって生まれたのが
 *下の世代からの反感であり、「嫌悪」の感情なのだ
 ☆公的年金と医療保険
 *高齢者は、2つの社会保障制度の恩恵を、フルに享受できる世代
 *そんな人びとが、海外の奥地に出かけたり
 *高級外車を乗りこなしたりする番組がつくられる
 ☆そこに
 *「静かに暮らす、愛嬌のあるおばあちゃん」
 *「額に時代の年輪を刻んだおじいちやん」とは
 *別種の感情を抱くのは、無理のないことかもしれない

「逆走」する老人
 ☆筆者は、60代の半ば頃、自動車の運転を「卒業」した
 *運転をやめたのは、運動神経や判断能力に
 *若い時分とは違う「狂い」を自覚するようになったからです
 ☆自動車の運転ミスは人命にかかわる
 *花瓶を落として割ったというのとは、わけが違う
 *「90歳でポルシェ」というのは
 *筆者の年代からみても、どうかと思うところがある
 *筆者が、タクシーに乗っている時に、そんな車をみつけたら
 *「あの車には近づかないでほしい」とドライバーにお願いする
 ☆ブレーキとアクセルを踏み間違えてスーパーに突っ込んだり
 *高速道路を逆走したりする老人が、後を絶ちません
 *高齢者全てがそうではないでしようが
 *少なくとも世間には、あんな年寄りが、ハンドルを握って
 *ウロウロするから、危なくて仕方がないという認識が定着した
 *その意識は、若い世代に特に強いのではないか
 ☆若い人たちは、あまり車に乗りません
 *運転免許を取る人間は、昔に比べると目に見えて減っている
 *環境の変化もあるのでしょうが
 ☆若者が「車が欲しくても、経済的に余裕はない」というのも事実
 *年金暮らしなのに車を運転して
 *あげく他人に迷惑をかけるような超高齢ドライバー
 *若者たちの目にどう映つているのか
 *そのことをつい筆者は、想像してしまうのです
                           (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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⛳出典、『孤独のすすめ』







 『人間弱い者には優しい』『90歳のポルシェ』『逆走する老人』『嫌老』
(ネットより画像引用)
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『天理教の迫害』『教祖の死』『復活祭』『搾取の宗教』

2025年03月18日 | 宗教
🌸天理教2

⛳天理教迫害の原因
 ☆明治の初め、天理教は周囲からの迫害もなく
 *比較的穏やかに活動を展開していた
 ☆時代が変わり
 *吉田家からの公認ということには意味がなくなり
 *警察の取り締まりを受けるようになっていく

 ☆警察による取り締まり原因
 *天理教の教えが、近代天皇制に対立すると解釈がなされた
 *天理教、ぢばが人類発祥の地を根拠づける独自の神話が存在し
 *『古事記」や『日本書紀』の記述と異なっている
 *天理教が近代天皇制に反抗し追害を受けたとする説を唱えたのは
 *主に共産党系の研究者で、積極的に展開された
 ☆戦後の新宗教研究で
 *共産党系の研究者が果たした役割は大きい
 *主な研究者としては佐木秋夫や村上重良がいた
 *新宗教についてはすべて原典にまで踏み込んで研究を行っており
 *今日でも新宗教研究に大きな影響を与えている

天理教教祖の死の意味づけ
 ☆信者たちがみきの死に遭遇した
 *みきは、警察による逮捕や勾留をくり返し経験してした
 *みきは八十九歳の高齢で勾留期された
 *寒いなかでの勾留は
 *相当に彼女のからだに響いたものと推測される
 *翌年みきは九十歳で亡くなっている
 ☆みきは生前、人間の寿命は115歳までと公言していて
 *信者たちはそれを信じきっていた
 *90歳での早すぎた死に直面して
 *信者たちは、唖然としてしまった
 *予言は外れ、神の約束が守られなかったからである

 ☆みきには後継者が定まっていた
 *大工の棟梁だった飯降伊蔵という人物である
 *伊蔵に、みきの葬儀が行われた翌日に神が降りた
 *みきが115歳の寿命を25年縮めて信者たちの救済に
 *あたるのだという意味のことばを下した
 *このままでは、人間の寿命は115歳までだという
 *みきのことばは信憑性を失ってしまう
 ☆みきの早すぎる死
 *宗教的に解釈するメッセージが伊蔵から発せられ
 *教団は決定的な危機を回避することに成功した

 ☆これと同じことキリスト教における
 *イエス、キリストの死の場面でも起こっていた
 *神の子であるはずのイエス
 *十宇架にかけられて、殺されてしまった
 *死に際しては、何も奇跡は起こらず
 *イエスはただ殺されただけだった
 *埋葬されたイエスは3日後に蘇ったとする
 *「復活」の信仰が生み出されていく
 *この復活の信仰は、キリスト教の核心に位置するもので
 *これによってキリスト教という新しい宗教が誕生したとも言える
 ☆天理教の場合も、教祖の予期せぬ死という危機的な事態を
 *新たな信仰を生むことで乗り超えていった
 *教祖が自らの寿命を縮めてでも信者の救済にあたるという信仰
 *「存命の理」という形で体系化され
 ☆教祖が生き続ける場としての教祖殿を生んでいった
 *みきは、自らの肉体を失うことで、本当の意味での神になった
 *今日の天理教の出発点は、みきの死という出来事にあったと言える

天理教、搾取の宗教として
 ☆みきの死後、天理教は、公認をとりつけるための活動に
 *積極的に取り組むようになっていく
 ☆教団は、教部省が出していた「教則三条」
 *「天理人道を明らかにすべき事」ことばより引用し天理教に改めた
 *1909年悲願だった独立を果たし
 *教派神道として公認された
 ☆天理教は、社会的に認知されることを求めて
 *政府に協力し、戦争が起これば、航空機などを寄附したり
 *志願兵の応募に積極的に応じたり、満蒙開拓団にも参加した
 *教義の面でも、独自の創造神話などを表に出さず
 *教典も国家神道の体制に迎合するものに改めて布教を展開した
 ☆天理教の信者の数
 *明治の終わりの段階で10万人程度だったのが
 *徐々に伸びていき、太平洋戦争に突入する頃に30万人に増えていた
 ☆天理教が急速な拡大を見せていた時代
 *天理教は「搾取の宗教」とも言われた
 *天理教を信じるようになった人間たちは、大半は庶民だが
 *信仰の証として布教活動にすべてを費やし
 *稼いだ金はみな教団に献金してしまったから
 *背景には、「貧に落ちされ」という天理教の教えがあった
 ☆『稿本天理教教祖伝』には、
 *神の社となったみきが、際限のない施しを続け
 *それによって中山家は没落したと記されている
 *この教祖の振る舞いがモデルになり
 ☆天理教の信者には、教団への献金が勧められた
 *しかし、みきが際限のない施しをしたという証拠は存在しない
 *地主であった中山家が没落したことは事実だが
 *米や綿の相場に手を出し、それで損失を被ったことが原因
 *信者に献金を迫るため、そうした伝承が作られ
 *信者に伝えられていったものと思われる

⛳戦後における天理教布教の失敗
 ☆天理教では、教団が発展していくにつれて、教祖の伝記を編纂
 *それを信仰の基盤に据えようと試みる
 ☆天理教は基本的に庶民の宗教であり
 *教祖伝を執筆できるような知識人は、教団のなかにはいなかった
 *教団外部の学者や小説家などに教祖伝の執筆を依頼し
 *それが書物になって信者のあいだで読まれていくようになる
 *これによって、事実とは異なる教祖の歩みが信者に浸透していく
 ☆教団外の執筆者による教祖伝は、「流布本」と呼ばれた
 *教団公認の教祖伝である「権威本」とは区別された
 ☆戦後の天理教は、創価学会などとは異なり
 *膨大な庶民を信者として取り込むことには必ずしも成功しなかった
 *現在、天理教の信者数は公称で190万人程度である
 (実際の信者数は、多くても五十万人位なのでは)
 ☆天理教について特徴的なのは、分派の数が多い点である
 *みきの跡を継いだ飯降伊蔵の後
 *神のことばを取り次ぐ存在が
 *天理教の教団のなかに途絶え
 *誰もが天理王命の啓示を受けたと主張できるようになったから
 ☆天理教は、戦前において、新宗教のなかで
 *規模の大きな教団で、社会的な影響力も大きかった
 *熱狂的な布教活動を展開したことで、社会からの反発も大きく
 *さまざまな形で天理教批判がくり広げられた
 ☆戦後になると、創価学会などのより新しい新宗教の教団等が
 *活発な布教活動を展開し、天理教にはさほど注目が集まらなかった
 *また、厳しい批判も受けなくなった
 *天理教は日本の社会に定着したとも言えるが
 *活力を失うことで将来の発展は見込めない状況にある
 ☆天理教にかぎらず、新宗教の大きな課題は
 *その活力をいかに継続させていくかにある
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本の10大新宗教』




『天理教の迫害』『教祖の死』『復活祭』『搾取の宗教』
(ネットより画像引用)
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『遊女の身請け』『誰袖』『苦界十年』『切見世』

2025年03月18日 | 有名人
🌸遊女の「身請け」費用

⛳お気に入りの遊女を「身請け」したいとき
 ☆花魁や遊女たちの多く、貧しい農村から遊郭に売られてくる者が多い
 *売られてきた際の「身の代金」は遊女たちの借金になっていた
 *又、自分持ちの衣装代や借金の利子が高額なので
 *働いても働いても借金が減らないシステムだった
 *十年を目途に設定されていた年季明けで
 *借金を返し終わる遊女、ほとんどいなかった
 ☆遊郭のお客さんである男性が、気に入った遊女を指名して
 *仕事を辞めさせることを「身請け」と呼んだ
 ☆身請けされる遊女はとても幸せな女性ともいえたが
 *妓楼側としてはまだ借金の残っている遊女だけに
 *身請け金はそれなりの値段を吹っかけた
 ☆身請け金額
 *遊郭のなかで一番下位の遊女でも身請け金は50両(500万円)
 *「高尾大夫」太夫のなかでも筆頭格。二千五百両(約二億五千万円)
 *更に、祝儀等含めて、六千両(約六億円)もの金額を使ったという
 ☆榊原家の豪遊が幕府に知られないワケがない
 *質素倹約政策を進めていた吉宗の怒りを買い
 *お咎めを受ける事態になった
 *榊原家は改易こそ免れたものの
 *姫路から越後高田へ移封となる

⛳売れっ子遊女「誰袖」をめぐる横領事件
 ☆高尾ほどの大名跡ではないが
 *吉原大文字屋の遊女「誰袖」が
 *土山宗次郎に見初められて身請けされた
 *宗次郎という男は、田沼意次の懐刀でもあった
 ☆誰袖は売れっ子遊女で、身請け金はなんと千二百両
 *意次が失脚するに及んで宗次郎の横領が発覚した
 *宗次郎はその追及を逃れるために、あろうことか逐電した
 *見つかって身請けから三年後斬首に処された

⛳「苦界十年」の竜味
 ☆遊女のほとんどは、実家に渡した前借金の返済に縛られた
 *完済するまでは自分の意志でやめることはできなかった
 *十代後半から働かされていた遊女たちの年季明けは
 *十年後の二十年代後半のはずだった
 ☆遊女たちの平均寿命は二十三歳にも満たなかった
 *劣悪な環境のもとで働かされていた彼女ら
 *体を壊したり、また梅毒などの病気に罹ったりして若くして亡くなった
 *年季明けまで務められる遊女自体、それほど多くなかったと
 *大半の遊女たちの寿命は、年季明けの前に尽きていた
 ☆遊郭で亡くなった遊女たちの遺体
 *「投げ込み寺」の境内に持ち込まれ、小銭を添えて放置された
 *身内が遺体を引き取って弔うというケースは稀だった
 ☆吉原からの脱走
 *吉原の出入り口は扉のない「大門」のみ
 *男が入る分には問題なかったが
 *女が大門をくぐって外に出るためには
 *「切手」と呼ばれた通行手形を提示する必要があった
 *女が吉原を出ることは簡単なことじゃなかった
 ☆吉原での暮らしが辛くなって逃亡しようとする遊女もいた
 *ほとんどが「お歯黒どぶ」に阻まれて失敗した
 ☆「切見世」は、最底辺の遊女屋
 *「お歯黒どぶ」に沿って東西の河岸に「河岸見世」エリア
 *遊女たちは、ふすまで仕切られた二畳ほどの部屋の中で
 *お客の相手をしていた
 *揚代も安く、花魁のようにお客を選ぶこともできない
                         (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』






『遊女の身請け』『誰袖』『苦界十年』『切見世』
(『眠れないほどおもしろい蔦屋重三郎』記事他より画像引用)
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My English practical training18March

2025年03月18日 | 英語練習
🌸My English practical training

I would like to make an effort
and continue listening English this year.

⛳5分間英語
*Nothing special.

⛳今日のセンテン2
*considering by context(bunmyaku)
*all by myself(without anyone's help)

⛳Cram school (review)
Nothing special

⛳Cram school(one week's Diary) 
I went to visit the grave. 
It took about three hours to get there and back. 
It seems that fewer people are buying graves these days. 
It seems that more people are burying their loved ones in trees.

★I am inspired by the Chinese.
★I will write a blog for my own study every day
 in English.
★There are many uncorrected sentences and mistakes.
 Please forgive me.
★I think there is an unknown point in description
 because I have no knowledge.
★If you wont to know details, please check
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★Source: 『中学生基礎英語2』
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『想像力の回復』『違和感=嫌老』『人口ボーナス』

2025年03月17日 | 人生訓
🌸 老人と同想力1

⛳老人想像力を回復する
 ☆筆者の場合、フィジカルな不調に関し
 *テーマを決めてひとつひとつ丁寧にやっていくように心がけてきた
 *昨年の主なテーマは、転倒、嚥下、呼吸など
 *今年はさらにひとつ加わり、どんどん増えていく
 *それを面白がってやるのが大事
 ☆例えば、誤嚥をを防ぐテーマをやる場合、無意識にやってはいけない
 *「薬のカプセルを二つ飲むぞ」といつた具合に
 *ちやんと脳に伝達して、確認をしないと、誤嚥するリスクが高まる
 ☆例えば、立ったり座ったりする時も
 *無意識でやろうとすると、よろめいたり、転んだりしかねない
 *「今から座るよ」「今から立つよ」と
 *常に意識と相談することが大事
 ☆衰えていく肉体をどうコントロールし
 *衰えをカバーして、どううまく運用していくか
 *自分の体と相談しながら工夫することを、楽しみにしていく

⛳日本の社会の「違和感」の正体
 ☆日本はみじめな敗戦の憂き目をみます
 *筆者は、父やきょうだいたちと
 *命からがら日本に引き揚げてきた日から、70年あまり
 ☆当時、80歳過ぎまで生きるなど想像できたでしょうか
 *「想定外」に生きるご老人たちで、あふれかえっている今の日本
 *不満を言えば、バチが当たるでしょう
 *生き永らえたことは、素直に感謝するしかありません
 ☆筆者が、最近気になり始めたことがある
 *「戦後70余年」を生きてきて、今まであまり感じたことがなかった
 *しかし拭いがたい、社会に対する「違和感」のようなものを覚えます
 *その”居心地の悪さ”は、徐々に私の心に沈殿し
 *堆積していくような思いがあります
 ☆ある日、筆者の脳裏に、ひとつの言葉が浮かびました
 *「嫌老」、「嫌韓」ならぬ「嫌老」です

 *「違和感」の正体を、突き止めた気がしました
 ☆ある現象をシンプルな言葉に置き換えることによって
 *ものごとの本質がまざまざと浮かび上がってきます
 *「嫌老」というのは、「嫌韓」や「嫌中」と同じく
 *とても″尖った”言葉で、身も蓋もない表現です
 *それを投げかけられるほうも、「そうかもしれないな」と
 *甘んじて受け入れざるをえないような社会に
 *私たちは暮らしていることも事実です
 ☆「若い世代が、老人を疎ましく思う気持ち」は昔からありました
 *しかし、世の中に漂う嫌老感は、それとは明らかに異質のものである

⛳高度成長を支えた「人口」
 ☆昔と今とで、日本の何が変わったのか
 *世界に例を見ないほど急速な高齢化の進展が
 *最大の変化です
 *日本は「人口の逆ピラミッド」に押し潰されて
 *際限なく衰退の一途を辿ることになるのか
 ☆日本社会に嫌老感が広がる背景
 *高齢化の進展、「人口問題」が横たわっているのは、間違いないです
 ☆戦後日本の高度経済成長のキーワード
 *ひとつが「人口」で、日本の高度成長の原動力になったものこそ
 *人口の問題だったのです
 *「高齢化率」は、一割にも満たない状況だったのです

 ☆働き盛りの人たちは、「所得倍増」の掛け声通りに
 *手にしたお金を、高齢者層の医療費や年金に「吸い取られる」ず
 *心置きなく家電製品や自動車の購入出来
 *自分たちのための消費に回すことができました
 *それがまた、企業の新たな設備投資を生むという
 *経済の好循環につながった、「人口ボーナス」と呼ばれる現象
 *やがてそれを輸出に振り向けて外貨をめざましく稼いだのが
 *日本の高度経済成長期だった一面も有ると思います
                           (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『孤独のすすめ』





 『想像力の回復』『違和感=嫌老』『人口ボーナス』
(ネットより画像引用)
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