「キューバのカストロ議長が引退表明」
という記事が、本日付の朝日新聞の一面を飾っている。
「正式に引退か、実は院政か」と、実のところは不明だが、
確実に20世紀の革命家の終わりは、近づいているようである。
チェ・ゲバラと共にキューバに社会主義革命を起こしてから
すでに半世紀が経つ。最大の援助国、ソ連が崩壊した後も、
わずかにドル所有などのささやかな自由を許した程度で、
現在まで、ほとんど改革らしい改革を行わずにやってきている。
現在、名ばかりの社会主義国はいくつか存在するが、実際に
未だ計画経済で、配給制を残しているのは、キューバくらいでは
ないだろうか?
そんなキューバを訪れたのは今から11年前になる。メキシコで
当時すでに60を過ぎた日本人おじさん旅行者と偶然出会ったのが
きっかけであった。詳細は長くなるので省略するが、このおじさんの
元恋人であるキューバ人のおばさん宅を紹介され、そこに暫く滞在
することになったのである。
おばさんはオネリアといって当時50歳。職業は元教師で
当時はレストランのウェートレスであった。月収およそ7ドル。
2間のアパートに、犬と暮らす独身女性であった。私はそのアパート
の一間を借りて、3週間ほど滞在させていただいた。
そこから見えたものは、極度の物質的な貧困である。彼女の
配給手帳には、コーヒー、砂糖、食用油、タバコ、パン、そして
わずかな野菜などが記入されていた。それらは一応定期的に
配給されていたようだが、肉や魚はめったに、支給されることは
ないようだった。また、シャンプー、石鹸、歯磨き粉、そして洗剤
などは常に事欠いていた。
ドルショップに行けば、いわゆる西側の商品と呼ばれる物のいくつかは
手に入ったが、キューバペソで買えるものはほとんどなく、国営デパート
には、我々の感覚からすると、閉店セール後かと間違えるほどの
品揃えであった。
しかし、キューバの人々は音楽や踊りが好きで、まさに陽気な
ラテン系気質そのものである。そういう部分からも、いわゆる
社会主義国にありがちな街に漂う暗さというものをあまり感じさせない
雰囲気があった。南国であるということも一因だと思うのだが、
一見すると幸せな社会のようにも見えるのである。
オネリアを通じて、キューバ人との出会いはたくさんあったが、
なにせ言葉が通じないので、人々がこのような暮らしについてどう
思っているのか、よくわからなかったのが実情である。
しかし滞在中、一度だけオネリアが「フィデルは(カストロはこう
呼ばれている)スイスの銀行にたくさんのお金を持っている」と言っていた。
それがどういう意味だったのか、正確には判らない。しかし人々はアメリカへ
亡命し、その後、財を成した同胞の成功談も皆知っており、そんなことからも、
ある程度の変化は期待しているようでもあった。
キューバを出国する直前、洗濯して干しておいた、ストライプのカラフル
なトランクスのパンツを譲ってほしいとオネリアに言われた。それは、結して
変な意味ではなく、現実的にそのものがほしかったのがすぐにわかったので、
あまり深く考えずに差し上げた。
滞在最後の日、オネリアはそのパンツを履いて、家の外に出て見送ってくれた。
その姿は相当に格好悪く、もし日本だったら変態とも思える姿だが、本人は
とても満足そうであった。
キューバというと、今でもそのおばちゃんのパンツ姿を思い出す。
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)
という記事が、本日付の朝日新聞の一面を飾っている。
「正式に引退か、実は院政か」と、実のところは不明だが、
確実に20世紀の革命家の終わりは、近づいているようである。
チェ・ゲバラと共にキューバに社会主義革命を起こしてから
すでに半世紀が経つ。最大の援助国、ソ連が崩壊した後も、
わずかにドル所有などのささやかな自由を許した程度で、
現在まで、ほとんど改革らしい改革を行わずにやってきている。
現在、名ばかりの社会主義国はいくつか存在するが、実際に
未だ計画経済で、配給制を残しているのは、キューバくらいでは
ないだろうか?
そんなキューバを訪れたのは今から11年前になる。メキシコで
当時すでに60を過ぎた日本人おじさん旅行者と偶然出会ったのが
きっかけであった。詳細は長くなるので省略するが、このおじさんの
元恋人であるキューバ人のおばさん宅を紹介され、そこに暫く滞在
することになったのである。
おばさんはオネリアといって当時50歳。職業は元教師で
当時はレストランのウェートレスであった。月収およそ7ドル。
2間のアパートに、犬と暮らす独身女性であった。私はそのアパート
の一間を借りて、3週間ほど滞在させていただいた。
そこから見えたものは、極度の物質的な貧困である。彼女の
配給手帳には、コーヒー、砂糖、食用油、タバコ、パン、そして
わずかな野菜などが記入されていた。それらは一応定期的に
配給されていたようだが、肉や魚はめったに、支給されることは
ないようだった。また、シャンプー、石鹸、歯磨き粉、そして洗剤
などは常に事欠いていた。
ドルショップに行けば、いわゆる西側の商品と呼ばれる物のいくつかは
手に入ったが、キューバペソで買えるものはほとんどなく、国営デパート
には、我々の感覚からすると、閉店セール後かと間違えるほどの
品揃えであった。
しかし、キューバの人々は音楽や踊りが好きで、まさに陽気な
ラテン系気質そのものである。そういう部分からも、いわゆる
社会主義国にありがちな街に漂う暗さというものをあまり感じさせない
雰囲気があった。南国であるということも一因だと思うのだが、
一見すると幸せな社会のようにも見えるのである。
オネリアを通じて、キューバ人との出会いはたくさんあったが、
なにせ言葉が通じないので、人々がこのような暮らしについてどう
思っているのか、よくわからなかったのが実情である。
しかし滞在中、一度だけオネリアが「フィデルは(カストロはこう
呼ばれている)スイスの銀行にたくさんのお金を持っている」と言っていた。
それがどういう意味だったのか、正確には判らない。しかし人々はアメリカへ
亡命し、その後、財を成した同胞の成功談も皆知っており、そんなことからも、
ある程度の変化は期待しているようでもあった。
キューバを出国する直前、洗濯して干しておいた、ストライプのカラフル
なトランクスのパンツを譲ってほしいとオネリアに言われた。それは、結して
変な意味ではなく、現実的にそのものがほしかったのがすぐにわかったので、
あまり深く考えずに差し上げた。
滞在最後の日、オネリアはそのパンツを履いて、家の外に出て見送ってくれた。
その姿は相当に格好悪く、もし日本だったら変態とも思える姿だが、本人は
とても満足そうであった。
キューバというと、今でもそのおばちゃんのパンツ姿を思い出す。
![](https://www.myanmar-teak.com/image/logottb6.gif)