昨夜、台湾より帰国いたしました。
短期間の日程でしたが、公私共に充実した数日でありました。
そんな中、今回初めて訪ねた金門島のお話をちょっと…。
金門島は台湾本島より西に飛行機でおよそ1時間のところに
浮かぶ小さな2つの島である。対岸は中国、福建省のアモイで、その
距離狭いところでおよそ2キロ。肉眼でもアモイのビル群が見渡せる
距離であるが、しかし、台湾領である。中国にとっては、ちょうど大陸の
喉元に刺さった、魚の骨のような存在であろう。
50年ほど前、台湾に逃げ込んだ中国国民党は、この島に防衛ラインを
引き中国共産党と対峙した。中国共産党軍はこの島に50万発の砲弾を
打ち込み、一時は上陸を果たすが、国民党はこの島を軍事要塞化して、
かろうじて中国共産党軍の侵攻を防いだという、言い換えれば台湾本島を
守った島でもあるのである。
そんな島に一般の台湾人が行けるようになったのが1992年頃で、
その後、数年経って外国人にも開放された。現在は台湾人と福建省人に
限って金門島からアモイに、またその逆の行き来が許されている。
そんな金門島であるが、島中、軍の基地跡だらけで(使用中のところもある)
また、海岸線の一部には地雷畑も数キロに渡って残っている。
しかし、そんな事情もあり開発から取り残された分、自然や古くからの
文化が根強く残っていて、また散策が楽しいのである。
島の家々は、閩南風(福建省南部地方の伝統家屋)で、赤い瓦の屋根は、
まるで寺のような作りをしている。門を入ると中庭があり、その正面には
立派な祭壇が設えてある。そして部屋はその左右に分かれて作られている。
このような家は、もう中国本土のアモイにも残っていないと言われている。
時折、街の中に「強固独立」などのスローガンが掲げられ、現実に引き
戻されるが、18世紀創業の漢方薬屋さんの前などを歩いていると、
まるでタイムスリップしたかのような気分になる。
なんだか、時計が止まってしまったかのような島であった。
台湾に行かれる方で、一味違った台湾を味わいたい方、
ひねくれものの方、はたまた束の間の非現実を味わいたい方に
強力にお薦めしたい場所である。

短期間の日程でしたが、公私共に充実した数日でありました。
そんな中、今回初めて訪ねた金門島のお話をちょっと…。
金門島は台湾本島より西に飛行機でおよそ1時間のところに
浮かぶ小さな2つの島である。対岸は中国、福建省のアモイで、その
距離狭いところでおよそ2キロ。肉眼でもアモイのビル群が見渡せる
距離であるが、しかし、台湾領である。中国にとっては、ちょうど大陸の
喉元に刺さった、魚の骨のような存在であろう。
50年ほど前、台湾に逃げ込んだ中国国民党は、この島に防衛ラインを
引き中国共産党と対峙した。中国共産党軍はこの島に50万発の砲弾を
打ち込み、一時は上陸を果たすが、国民党はこの島を軍事要塞化して、
かろうじて中国共産党軍の侵攻を防いだという、言い換えれば台湾本島を
守った島でもあるのである。
そんな島に一般の台湾人が行けるようになったのが1992年頃で、
その後、数年経って外国人にも開放された。現在は台湾人と福建省人に
限って金門島からアモイに、またその逆の行き来が許されている。
そんな金門島であるが、島中、軍の基地跡だらけで(使用中のところもある)
また、海岸線の一部には地雷畑も数キロに渡って残っている。
しかし、そんな事情もあり開発から取り残された分、自然や古くからの
文化が根強く残っていて、また散策が楽しいのである。
島の家々は、閩南風(福建省南部地方の伝統家屋)で、赤い瓦の屋根は、
まるで寺のような作りをしている。門を入ると中庭があり、その正面には
立派な祭壇が設えてある。そして部屋はその左右に分かれて作られている。
このような家は、もう中国本土のアモイにも残っていないと言われている。
時折、街の中に「強固独立」などのスローガンが掲げられ、現実に引き
戻されるが、18世紀創業の漢方薬屋さんの前などを歩いていると、
まるでタイムスリップしたかのような気分になる。
なんだか、時計が止まってしまったかのような島であった。
台湾に行かれる方で、一味違った台湾を味わいたい方、
ひねくれものの方、はたまた束の間の非現実を味わいたい方に
強力にお薦めしたい場所である。
