ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

私の家は山の向こう

2007-09-03 08:00:51 | 


今、有田芳生著「私の家は山の向こう」という本を読んでいる。
この本は、台湾人の歌手、テレサテンが亡くなるまでを追った
人物ノンフィクションである。
筆者は確か、先の参院選に出馬した方でもある。当選したのか、
落選したのかは知らないが、時々テレビ番組でコメンテーター
としても見かける方でもある。

私は、全くテレサテンのファンではない。「つぐない」「愛人」「時の流れに
身をまかせ」などのヒット曲を知っている程度である。
それとずっと昔に週刊誌で、テレサテンはスパイだとか、偽造パスポートで
来日して強制送還になったとか、なんやら胡散臭い記事を覚えている
程度であった。

アジアの歌姫と呼ばれた彼女は、1970年代後半から国際的に孤立を
深めていた台湾政府に政治的に利用されたり、天安門事件に関わったり
時代に翻弄された歌手でもあった。

そんな彼女は1995年、タイのチェンマイで喘息発作のため突然亡くなる。
彼女は毎日、夕方5時頃になると宿泊していたホテルの前にある大衆食堂
で1杯30バーツ(120円)の鶏肉入りのそばを食べていたという。

中国人でありながら生涯、大陸中国で歌うことが出来ぬまま亡くなって
しまったことは、さぞ無念であっただろう。

とても幸せとは言えなかったような人生であったが、彼女の唄だけは
これからもずっと、アジアの人々に歌われ続けていくことであろう。



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世渡り

2007-09-02 08:07:17 | つぶやき

日本の終身雇用制度が完全に崩壊したと言われて10年ほどが経つ。

それからの10年、雇用環境の激変は人々の職業人としての生き方を
大きく変えた。もはや職場の先輩、上司は自分の人生のモデルとは
ならなくなってきたようだ。

会社に入社して少し慣れた頃、周囲の人々を見渡して見る。
「なんかパッとしないなー」「ひょっとしてこの会社まともな人が
いないのでは?」なんて思った経験のある人も多いだろう。
入社した会社に尊敬できる先輩や上司がいなかった場合、
自分の5年後、10年後が想像できなくなる。
こんな先輩や上司になりたいという目標がないのだから、当然仕事の
モチベーションも低くなり、やがて転職を考えるようになるか、
条件に妥協して仕方なく続けることになる。
不幸な話だが、どこにでもある話である。

仕事には環境がとても重要であるが、職場環境だけは自分ではどうにも
ならないものである。つらい仕事でも良い仲間に恵まれれば、乗り越えること
もできるし、逆に好きな仕事でも周囲の環境次第で続かないこともある。

なかなかすべての条件を兼ねそろえた会社なんてそうそうないものである。
そんな中でいかにキャリアアップを重ね、自分の目標とするポジションをまで
進んでいくのかを考えながら、日々仕事をしていくことが大事になる。

同時に、昔と違って会社に対して過度な期待を持つというのも危険である
そうだ。会社は決して従業員の為にあるのではなく、大企業なら株主の為、
小さな企業なら経営者の為にある、と思ってよい。

今の時代、サラリーマンでも自分自身を養う経営者のような感覚で
世渡りしていく必要があるような気がしている。



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タリバンと面子

2007-09-01 08:11:19 | 時事(海外)


アフガニスタンで拉致されていた韓国人らが無事解放された。

結果的に2人が殺害され、多額の身代金との引き換えの末の解放
であった。タリバン側の本来の目的であった仲間の釈放は不可能
だと判断したタリバンは釈放条件を身代金に変えたことで面子を
立てたようだ。(本来、金銭での解決は盗賊同様になり、原理主義
を支持する人々にも否定され、面子は保てない行為なのであるが…。)

イスラムの世界では、この面子というものを非常に重んじる傾向にある。
いわゆる相手の顔を立ててやることが、交渉ごと、争いごとをまるく
収めるのに必要となる。その代わり、例えば喧嘩をしても、終わった後は
握手をして仲良くさよならをする。実にあっさりしているのである。
いつまでも尾を引く日本人の喧嘩とは対照的である。

9,11以後、イスラムの人々は大きな誤解を受けているような気がする。
一部の原理主義者たちと混同され、ひとくくりに見られているようだ。
しかし、本来は温和で人なつっこく、大変親切な人々である。宗教に
根ざした生活をしている為、我々日本人からすると理解しがたく見える
部分もあるが、見方を変えると大多数が非宗教的な生活を送る日本人の
方が理解しがたいとも言える。
結婚式を教会で行い、葬式は寺で行う。これなどはおそらく「頭のおかしな
ヤツ」としか映らないであろう。到底理解されるものではない。

確かにダリバンは超保守的であり、原理主義ともいえる集団である。今回の
事件も決して正当化できるものではない。しかし、現実にアメリカ軍ですら
あの地でタリバンを壊滅することは不可能なのである。不可能なのだから、
別の手段を取らなければ、何年経っても状況は変わらないではないか?

ならば、かつてのネパールやエルサルバトルのように反政府勢力を
合法政党化してはどうなのだろうか?
ひとまず、ビンラディンは棚の上に置いておいて、思い切って
タリバンをアフガン政府の合法なひとつの政党として参加させるのである。

このままではタリバンは面子にかけて、完全降伏は絶対にしないであろう。
ならば、政党化という面子を立ててやることで反政府活動を辞めさせる
可能性があるのではなかろうか…。と思うのである。
(しかしこうなるとアメリカの面子が立たないのだが…)

やはり難しいものである…。


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