ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

最後の言葉

2007-10-21 08:03:00 | 時事(国内)
黒川紀章氏。

今月12日に亡くなったが、実はこの人がどんな人なのか
ほとんど知らなかった。もちろん著名な建築家ということ
だけは知っていたが、最近はなにやら都知事選やら参院選
などに出て、変なガラス張りの選挙カーに乗った,
一風変わった、金持ちおじさん程度の認識しかなかった。

しかし、建築界においては、思った以上にすごい方のようで
経歴を見てあらためてびっくりしてしまった。

各地の美術館や博物館を始め、マレーシアの空港や
カザフスタンの新首都計画などにも携わり、数々の
賞も受賞している。また、日本で最初にカプセルホテル
を設計したのも黒川氏だったそうである。

本当かどうか定かではないが、自分の年収を200億円くらい
だとテレビ番組で述べている。真偽はどうであれ、相当の資産家
であったようだ。自宅は東京のほか、サンディエゴ、シンガポール、
ロンドン、サンクトペテルブルグにも持っているという。

「バカと天才は紙一重」などという言葉があるが、彼にまつわる
エピソードからすると、晩年は特に、それを地で行っている
ような気がする。

妻であり女優の若尾文子氏と結婚する際のくどき文句が、
「君の美しさはバロックだ」であったそうである。
バロックを知らない私には理解できないが、普通の凡人では
しらふでは到底言えない台詞であろう。

亡くなる2日ほど前、妻が「あまり良い奥さんではなかったわね」
という問いかけに対して、「そんなこと、そんなこと…」と返し
「本当に好きだったんだから…」と答えたのが最後の言葉だという。

個性溢れた才能ある方で、家庭でも愛妻家だったらしい。
才能以外の部分で、多いに見習わねばならないところがあり
るような気がするが、凡人の私には到底無理であろう。

もし彼がもう少し長く生きていたら、今度はどんな
パフォーマンスを見せてくれたのだろうか?

そう思うとちょっと残念である。合掌。



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ロングバケーション

2007-10-20 08:04:57 | 旅行(海外)

このところ世界の絶景100選とか、世界のおもしろスポット
を紹介するテレビ番組が、ずいぶん増えたような気がする。

こういう番組は、ついつい気になって見てしまうが、見た後は
必ずストレスが溜まる。行きたくても行けないというストレスである。

先日やっていたのは、カリブ海に浮かぶセントマーチンという
小さな島国のことである。日本ではほとんど馴染みのない国で、
知っている人などあまりいないのではないだろうか?
正式にはこの島はオランダ領とフランス領に分かれていて、
独立国ではない。街中に一応、国境線が引かれている、
という島であるが、面白いのはそんなことではない。

この島にある、とあるビーチが面白い風景に変わるのである。
番組を見た方は覚えていると思うが、このビーチのすぐ後ろに
空港があるため、飛行機が人の頭上すれすれ(といっても5m程だが)
にかすめながら着陸するのである。これをビーチから少し離れた
ところで見ていると、意外とすごい風景に見えるのだ。
特に写真で見ると合成写真のようにも見える。

「なんだ、そんなことか」と思うかもしれないが、私はこの風景に、
はまってしまった。「見たい」、「ぜひ見たい」、「何とかして見たい」
と早速、セントマーチンへ、脳内検索をしてみる。
おそらくアメリカ系の航空会社で、マイアミあたりで乗り継いで
行くことになるだろう。日程も1週間で事足りる。しかしせっかく
なので、他の国にも寄りたい。となると2週間はほしい。予算は
航空運賃込みで2週間の滞在で、約20万程でなんとかなりそうか…?
などなどと、頭を巡らせる…。

が、しかし一体、いつ休みを取るのだ。これが一番の問題である。
そして結局は、いろいろと考えたあげく「また今度にするか…」
とため息をついて終わるのである。だったら最初から見なければ
良いのであるが、ついつい同じことを繰り返してしまう。

もう若い頃とは違うのである。誰しも、やりたいことよりも、
やらなければならない事を優先して、生きていくのが当たり前
なのである。

が、しかし、見たいものは見たい。2週間の休みなどと、
ちんけな事は言わず、どーんと1ヶ月のロングバケーションである。
そんな、全てを解決してくれる打開策であるが、
やはり年末ジャンボしかあるまい…。

今年もこれに賭けてみようと、心に誓った本日である。




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幕引き

2007-10-19 08:01:35 | 

「終わりよければ、全てよし」ではないが、
誰しも亡くなる時には、「思い残すこともなく、安らかに」
逝きたいものである。と言っても人の最後なんてなかなか予測
できるものではなく、想定外の最後を迎えることも実に多い。

今、読んでいる本が、そんな人々の最後を記した「あの人の幕引き」
という歴史に名を残した様々な有名人の、晩年と最後を記した本で
ある。コロンブスに始まり、マルクス、レーニン、ホーチミン、
周恩来、そして、アインシュタインなどが登場する。

ちょっと前に関口宏が司会をしていた「知ってるつもり」という、
ある人物に焦点を当て、その人物の生涯を追った番組があったが、
あの番組の晩年特集のようなものである。
当時、私はあの番組が大好きで良く見ていた。いつの間にか終わって
しまったが、ぜひまた類似する番組でもやってほしいものである。

話がずれたが、人の最後には悲しい幕引きや、謎めいた幕引き、
壮絶な幕引きに、穏かな幕引きと本当に様々である。

では、自分自身の最後は一体どうなのだろうと、想像して見るが、
これが全く思い浮ばないものである。おそらくは、転んで頭を
打ってとか、もちを詰まらせとか、まあそんな程度であろう?

フランス革命で、その座を失った王妃マリーアントワネット。
彼女は処刑されるその日、囚人でありながらも汚れた下着で
死にたくないと考え、知恵を絞りこっそり着替えたという。
彼女の浪費の中でも、その最たるものが衣装代であったと
言われるが、ここまで徹すると、逆に好印象にすら感じる。

その身はよれよれでも、凛として最後を迎えたいものである。



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暴走老人

2007-10-18 12:08:42 | 時事(国内)

「最近の若者は、切れやすい」傾向にあると言われている。

しかし、切れやすいのは、何も若者だけではなく、我々
中高年も、そして近頃は老人まで、非常に切れやすくなって
いると言う。

つまり、現代の日本に住む多くの世代で感情をコントロール
できなくなりつつあるということらしい。

本来幼い頃から、いさかいや喧嘩などを自ら経験して
抑制を学習する。相手を破滅にまでに追いやるほどの
攻撃性を押さえ込む事を、身につけないまま、子供が大人に
なると、悲劇を生む。近年の若者の事件には、このような
背景が多分にあるということである。

しかし、中高年や老人まで「切れやすい」というのは
いかがなものか?

先が見えず、不安に駆られ、将来に希望が持てなくなり
自暴自棄になる。おそらくは、そういうことなのだろう。
それだけ日本の社会が荒んでいる、ということでもある。

近年出来た言葉に、すぐ切れる老人のことを「暴走老人」
というのがある。老人大国に暴走老人とは、悲劇でもあり
喜劇でもある。

所詮日本は、まだまだ老若ともに未熟な国とういことか…。






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小さな力

2007-10-17 06:06:09 | 時事(国内)

事の最初は愛知県の、とある居酒屋での話であったらしい。

その日、居酒屋の店主と常連客が、ネパールの貧しい学校の
話題で盛り上がり、話に花が咲いた。
その話の中で、店の常連客が思いつきで、店に募金箱を置く
ことを提案したそうである。

名付けて「ビール1本、がまん募金」だそうである。

4本飲むなら、1本我慢して代金を募金箱に入れる。
そうして貯まった募金箱には、合計200万円にもなった
そうである。

店主と常連客は、そのお金で文房具を大量に買い、いざネパールへ。
こうして、これまでに7回も、お客さんがビールを我慢して溜めた
募金を持ってネパールを往復したそうである。

平均月収5000円ほどの国で、日本のビール1本が積み重なり、
今では学校に電気、机、椅子などが整備されたという。

様々な援助団体やNPOは、雨後の筍のごとく存在する。しかし
中にはいい加減な活動をしているところも多いという。

思い立った、せっかくの善意である。

どうせなら、このような居酒屋の募金箱に入れたい。



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会議

2007-10-16 19:44:00 | 仕事
本日は、テナントとして入居している複合ビル全体の、
年に一度のオーナー会議の日であった。

会議では、この一年間の事業内容、売り上げなどの
総括的な報告が延々と続く。一般の商業施設とは異なり
県の事業が絡んでいるため、なんとなくお役所仕事的な
雰囲気の中、とにかく報告することが多く時間がかかる
のである。

どうもこのような会議は、眠くなって仕方がない。

眠気もピークに差し掛かった頃、ようやく個々のテナントの意見、
問題点の発言の場となるわけである。しかし、多くの方々もすでに、
疲労感が漂い自由闊達な議論とは程遠く、大変控えめな発言が続き、
ほとんど建設的な意見も出ずに終了した。

誰のための、何のための会議なのか多いに疑問であったが、
まあ、お役所がらみの会議なんて、所詮こんなものである。

踊る大捜査線の「事件は会議室で起こってるんじゃない、
現場で起こってるんだ」ではないが、「会議は会議室で
やってるんじゃない、主催者の頭の中でやっているんだ」

と言ったら言い過ぎか?

来年は、瞼にマジックで目を書いて、参加しようかと
思った、今日この頃である。














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赤福よ、お前もか

2007-10-15 08:02:55 | 時事(国内)

また、食の安全が脅かされた。

もち菓子の老舗で、伊勢土産として親しまれている「赤福餅」
を冷凍保存し、製造年月日を偽って販売していたことがばれた。

主に出荷しなかった商品や配送後に残った商品を工場で冷凍し、
必要に応じて加熱・解凍を行い、再包装した日を製造日として
消費期限もずらしていた。そしてこれをなんと昭和48年から
34年間、常態化して行っていたとのことである。

赤福餅は保存料を使わない生菓子であり、本来の消費期限は
夏期は製造年月日を含め2日間、冬は3日間だそうである。
しかし今にして思えば、かなりの量を全国規模で販売しているのに、
こんなに消費期限が短くては、製造して即出荷しなければならず、
さぞ大変であろう。冷凍保存によってある程度、余裕を持って
製造と出荷ができるし、何よりも売れ残りによる廃棄処分を抑制し
利益に繋げることができる。
もしも、本来の消費期限をきっちり守ってやっていたとしたら、
年間の収益にどの程度の差があったであろう。
そしてこれが34年間である…。

人間、誰しも楽な方へと進みがちである。
企業もまた、然りである。

また、赤福餅は原材料も重量順に「砂糖、小豆、もち米」
と表示すべきところを「小豆、もち米、砂糖」の順に偽って
表示していた。微々たる違いのようであるが、世間に与える
影響は、微々たるものではないのである。特にこのところの、
食の安全に対する関心は、昔の比ではなくなっている。

結果的に今回の件で、赤福の300年にも及ぶ伝統にケチが付き、
老舗の看板にも泥を塗る結果となってしまった。

赤福は、もはやブランドである。黙っていても売れるものなのである。
後は、正直に伝統の味をしっかりと守り続けていくことと、堅実経営で
ある程度、安泰だったはずである。しかし、味だけでなく、製造過程を
偽造する伝統も一緒に守ってしまったところに、老舗の古い体質の、
負の部分が出たようである。

私は未だに、なぜか赤福を食べたことがない。
(単に食する機会がなかったようだ)
どうせなら、初めて食べる赤福は、製造日偽装でないものに
と願いたいものである。


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イランで拉致

2007-10-14 08:06:32 | 時事(海外)

イランを旅行中の大学生が誘拐された。

彼はネパールでボランティアの後、インド、パキスタンを通り
イランに入り、バム遺跡に至る手前で誘拐されたらしい。
おそらく彼はこのままイランを旅行してトルコへ抜けるつもりで
あったのであろう。

彼の誘拐されたこの地は、1979年にソビエトのアフガニスタン侵攻以後、
事実上アフガニスタンが通れなくなってからの、アジア横断の最も
メジャーなルートとなっている。そのため昔から数多くの旅行者が
西から東、東から西へと、この地を通過している。

今年の7月か8月には、この地でベルギー人が誘拐され、最近はずいぶんと
物騒になったようである。このところ旅をしていないので、詳しいことは
わからないが、私がこの辺りを旅した90年代半ばは、この辺が物騒だとの
話は聞いたことがなかった。その後も90年代後半なってイランから少し
入ったパキスタン側で核実験が行われ、このルートを通ると「軽く被曝する」
などと冗談を聞いたくらいである。

この大学生を誘拐したのは、この辺りを拠点とする麻薬密売組織だそうで、
すでに捕まっている組織の、お偉いさんの息子の釈放が解放の条件だという。

日本でのイラン人へのイメージは、古くは偽造テレカ売りにはじまり
現在は麻薬売りと、すでに地に落ちている感じがするが、イランでの
イラン人はとにかくもてなし好きで、度が過ぎるくらい親切であった
というのが私の印象である。反面、イスラムの戒律は厳しく、宗教警察
もいてイランの風紀を乱すようなことがあればすぐに捕まる国だと、
自分の体験を通じて思っていた。

ちなみに私は25日間の滞在で3回捕まった。別に風紀を乱した自覚は
ない。一度は昔あった旧アメリカ大使館跡の写真を撮っていた時である。
この時は手錠までかけられて連行された。この国ではある意味、これは
自業自得であった。2度目は半ズボンで歩いていて捕まった。これも反省
すべき点はある。3度目は職務質問で捕まった。たまたまパスポートを
ビザ取得の為、他の国の大使館に申請中でコピーも持ち合わせておらず
やはり手錠をかけられ、その場で連行された。これも自己責任か?

その後、イランを旅した人に話を聞くと、他の人はほとんどこのような
事は無く、私はただ単に運が悪いようでもあったようだ。
同じ場所を訪れても、人によって印象は随分異なるものである。
実際、偏見というのは、こうやって生まれるのかもしれない。

いずれにしても、このような事件が起こると、イランへのイメージが
悪くなるのはある意味、仕方のないことではある。本来は周辺の国々
と比べても治安は良く、とても歴史のある魅力的な国なのにちょっと
残念である。

とにもかくにも、この大学生の1日も早い、無事解放を祈るばかりである。



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内藤vs亀田

2007-10-13 08:06:43 | スポーツ

普段、ボクシングの試合はほとんど見たことがないが、
一昨日の内藤大助VS亀田大毅の試合は最後まで見てしまった。

元いじめられっ子で、努力一筋でのしあがってきた内藤大助が、
いじめっ子で常に天狗になっている亀田大毅をやっつける図式が
試合前から出来上がっていた。弱虫のヒーロー内藤が悪役亀田を
やっつけるのである。
内藤大助の試合前の発言通り、誰もが亀田大毅の負けるところを
見たがっていたということが、大勢の観客の内藤コールが物語
っていた。

しかし、年齢だけを見ると、弱虫内藤は33歳で悪役亀田が
18歳である。所詮、いいおっさんと未成年のガキとの対決なのである。
そう考えると、皆でよってたかって、まだお子ちゃま亀田を…
と思うと、ちょっと気の毒なような気もしなくない。
でもまあ、亀田大毅=亀田一家なのでそれほど同情することもないが…。

最終ラウンドで、亀田大毅が悔しさのあまりか、2度の反則プレーを行った。
同じ負けるにしても、最後にあんなことをしては、自分の株をさらに下げて
しまったことになる。彼はまだ18歳である。プロに入って2年にも満たない。
本当なら、チャンピオン相手に最終ラウンドまで持ちこたえて、最後まで
決定打を与えなかった彼は、賞賛に値する評価を受けても良いはずであった。
しかし結果として、普段の言動と最後の反則プレーで、肯定的な評価をすべて
自らの手で一蹴してしまった。

アホである。

しかし本当のアホは、まだ18歳の彼ではなく、そんなことも教えてやれない
父親のほうである。彼のボクシングは父親指導のボクシングである。
あの反則プレーが全てを物語っているではないか。あの反則ボクシング
こそが、アホ親父のボクシングの集大成なのである。とにかく強ければ
良いというような、今の教育方針では、末はマイク タイソンであろう。

一番良いのは、才能はあるのだから、早いところおやじの手を離れて、
もっとまともなトレーナーの元でボクシングをすることである。
これは他の兄弟たちにも言えるであろう。

彼は将来的に、チャンピオンになる素質は充分に持っている。しかし
チャンピオンたる品格は、今のところ微塵にも持ち合わせていない。

今回、負けたことで亀田家の人たちが少しでも反省してくれることを
願うばかりである。(全く期待はできないが…)



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アフリカンタイム

2007-10-12 08:05:46 | 旅行(海外)
西アフリカのコートジボアール(象牙海岸共和国)で、
時間厳守コンテストなるもの?が行われ、優勝者の
地元弁護士に約700万円相当の家がプレゼントされたという。

このコンテストは、遅刻が経済に与える悪影響ついての
認識を高めることを狙いに、現地の広告会社が考案したものだという。
コンテストでは、候補者が時間に正確であるかどうかを調べるのに、
職場での抜き打ち検査などが行われ、その結果、時間厳守に優れた
ビジネスマンや公務員9人に賞が贈られたそうである。

所変われば何とやら…である。しかし、アフリカには列記とした
アフリカンタイムが存在する。一言で言うと時間にルーズなのである。
そして、約束も確実に守られないのが一般的である。

もう10年以上も前の話だが、私はその日、マラウイの首都
リロングウェイからケニアのナイロビに飛ぼうとしていた。
予定では午前10時くらいの出発の予定であったが、飛んだのは
10時間遅れの夜8時を過ぎていた。その理由がなんと「パイロット
がまだ来ていない」であった。結局、遅刻の理由が何だったのかは、
わからなかったが、本当に信じられないのは、この飛行機が離陸して
からであった。

問題の飛行機、エアマラウイが10時間遅れで離陸した直後に、
機内で1本のアナウンスがあった。内容は「この飛行機は予定を
変更して、ブランタイヤに向かいます」というものであった。
ブランタイヤはマラウイ第2の都市である。
離陸するまでは、確かにナイロビ直行便だったはずである。
それが飛んでから行き先が変更になったのだ。
しかも、ブランタイヤを経由してナイロビまで飛ぶのではなく、
ブランタイヤ止まりの国内線フライトになったのである。

私達はすでに、全員出国審査を済ませていた。もちろんブランタイヤ
に着いた後、先ほどの出国手続きは取り消され、全員再入国となったが…。
そして、この行き先変更の理由は「政府による緊急事態である」との
ことであった。
どうやら国のおえらいさんが、飛行機を私物化したようで、前方の席には
それらしき人物が何人か直前に乗り込んでくるのが見えた。
時々ある、発展途上国の話ではある…。

そして翌朝、私達はこの飛行機でまた、首都のリロングウェイに戻され
さらに数時間待たされた後、ナイロビへと運ばれた。結局、普通に飛べば
2時間程のところを、26時間もかかってしまった。

まさに、アフリカンタイムとアフリカンシステムの集大成な出来事であった。
それにしてもこのような中、航空会社にクレームを言っていたのは
数人の欧米人だけであり、当のアフリカ人は実にのんびりと構えていた。
慣れたものである。

「アフリカの水を飲んだものは、再びアフリカに帰る」というような
言葉がある。

日本のジャパンタイムとは、対照的なアフリカンタイムであるが、
時々、あのような時間に拘束されない世界がとても懐かしくなる。

今度はいつ行けるだろうか…。(当分無理だろうな…。)


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