昨日の続き、
世田谷一家殺人事件、Mの悲劇(下巻)
2階の階段から1階へ転落した(みきお)は、重傷を負いながらも必死に立ち上がり、階段を再び上り始めた。それに気づいた韓も迎え討つように階段を降り、その途中で揉み合いになった。しかし、(みきお)に立ち向かう余力は残されていなかった。
揉み合いの最中、(みきお)の指はナイフで切り取られ、絶望の淵に追い込まれた瞬間、韓の攻撃は、(みきお)の胸と腹の境目にナイフを深く突き刺し、最期のとどめを刺した。そして、(みきお)は崩れるように階段を滑り落ちて行った。しかも韓は死亡した(みきお)を、さらに執拗にナイフで刺したことが死体解剖の結果、判明している。
犯人グループの襲撃目的は、金塊12.5Kgを3本奪うことだった。宮沢家にインゴットが隠されているという情報をつかんでいたのだ。当時の価格で約3千7百万円。
韓は一家4人を殺害してから、外の繁みに潜んでいた仲間の中国人2人を中に引き入れた。その後、3人は宮沢家の1階から3階までしらみ潰しに金塊を探したが、結果的に発見できなかった。代わりに財布と棚の中から20万円以上の現金を奪った。
次に韓は、(みきお)のパソコンを使って、インターネットをやり始めたのだ。
ネットの訪問先は、埼玉県内のとある研究所、宮崎県内の化学工場、祖師谷留学生会館、そして劇団四季のホームページ(劇団四季には多数の韓国人俳優が所属)、それからメールを一通、ある所へ送った。メールの内容は、金塊がなかったことに対するクレーム、そして勝ち誇ったような事件の報告。そのメールは送信後に消去された。今から12年前の2000年という時代、警察はインターネットに関する知識は全く無かった。知識と経験がない分、ベテラン捜査員の関心外であった。このことは重大な犯人の手掛かりを初動捜査で見逃していたことになる。なぜならクリミナルグループは、ネット上で情報交換と連絡を行なっていたのだ。2012年の今は普通のことだが、2000年当時はネットの初期であったという背景がある。しかしネットの足跡以外に犯人の残留品は数多くあったのだ。指紋、血液、排泄物、汗の油脂、靴跡、衣服、バッグなど多数残留しており、犯人検挙は時間の問題だという油断があったといわれる。
さて主犯の韓、当初3人で襲撃する計画を立てていたが、中国人2人が怖気づいたことを察知し、一人で襲撃をすることに急遽、計画を変更したという。そして宮沢家の親子4人は、アーミーナイフと関孫六の柳刃包丁(銀寿)で何度もメッタ刺しにされ、6歳の息子は鼻から血を大量に噴き出すほどに圧迫絞殺された。しかも宮沢夫妻は死んだ後も、何度も執拗に刺されたことが分かっている。韓はハンカチ大の布の真ん中に穴を開け、そこに包丁の柄を入れ滑らないように固定した。それは訓練されたレンジャーの手口だ。布の色は黒。そして襲撃時には、同じ黒の布で顔を覆っていた。
それらの黒い布は何と現場に残されていたのだ。韓は犯行後、中国人2人を家の中に引き入れ、冷蔵庫にあったバニラアイスとメロンを食べ、ペットボトルのお茶を飲み、翌朝の午前10時頃まで宮沢家に潜んでいた。
さて大晦日の朝になった。隣に住む母親が不審に思い、宮沢家の玄関を開けた瞬間、目に飛び込んで来たものは、散乱した書類の山、そしてその中から異様に白い、(みきお)の素足が突き出ていたという。
犯人たちは、多くの残留品、血痕、指紋、排泄物をそのままにして姿を消した。
それは犯人達が捕捉されない自信を持ち、同時に犯行を誇示する傲慢さの表れではなかったか。邪悪な蛇のような冷酷さと訓練された技能を持つテロリストの犯人像が浮かび上がってくる。
フランス香水ドラッカーノアールをつけていた韓。
(明日に続く)