秋の日の ヴィオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し
あまりにも有名なポールヴェルレーヌの詩「秋の歌」または「落葉」であります。
紅葉も終わり、秋が深まると、ブログを見ていても引用が多く人気の高さがうかがえます。
この詩のエピソードで有名なのが1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦に先立ち、レジスタンス向けの暗号としてイギリスのBBC放送が流したというものでしょう。
6月1、2、3日に「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」の前半部分が流されました。
連合軍のヨーロッパへの反抗作戦が間近に迫っているという意味です。
そして、6月5日、「身にしみて ひたぶるに うら悲し」と後半部分が流されました。
これは48時間以内にヨーロッパ侵攻作戦があるという意味でした。
この情報はドイツ軍に漏れていて、傍受もされていました。
が、伝達が悪く、商用ラジオで重要な作戦の暗号が発せられることはないという判断をした司令官もいたため、有効な防御手段がとられませんでした。
わたしが、疑問に思ったのは、6月の初め初夏のころ、なぜ晩秋の秋の歌なのかということです。
あまりにも不自然で目立ちすぎるのではないでしょうか。
もっとも、目立ちすぎて暗号ではないと思われる可能性もありますし、事実そういう向きもありました。
で、夏の歌あたりの方が良いのかなと考えたのですが、これだと、普通の放送でも流してしまう可能性があり、暗号かどうか判断することが難しくなります。
やはり、その季節に流れることがない歌でないといけないのでしょう。
それで、あまりにも有名で、四季を通じて流れても変ではない「秋の歌」になったのかもしれません。
ロマンチックな解釈だと、ドイツ帝国の崩壊へ向かう憂いを表現したのかもしれません。
味方に対して威勢の良い歌を流すと見え見えってこともあったのでしょうか。
6月初めの秋の歌を聞いた兵士やレジスタンスの心境はどうだったのか、いろいろ想像してみます。