ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

冷や汗かきかきの挨拶などを順次掲載

子どもの貧困と教師

2010年11月21日 12時59分20秒 | 生活教育
子どもの貧困について、2~3年前から、議論が高まってきている。
貧困は、以前の貧困とは変わったのか? 考えてみる必要がある。

奈良の教師(もう退職してずいぶんになるが)の本が資料室にあったので手に取った。
浜田博生『新しい小学校の同和教育』(問題研究所、1986年)
1950年代半ばの教師になりたての頃の経験が記されている。

 東井さんの『村を育てる学力』、小西さんの『学級革命』などに学び、学級経営に腐心していたときのことです。
 心を開いてくれないK君のことを校長に相談してみました。
「家へいったか」「はい」「もう一回いってみー」それだけでした。翌朝、
「お父さん、朝鮮人やったやろ。嫁はんの仕事きまっとったか。Kはよく仕事する子や、書かしてみー」
 しかし、Kは書かないのです。三日後の朝、校長室に呼ばれました。Kが校長のむこうで小さくなっています。
「K、言うてみー。自分の口でちゃんと言うてみー」
 Kは泣きじゃくりつつ、
「先生、文集にのせんといてや。校長先生に約束してもろてん。な^、先生」
 私はそっと綴り方をよみました。五枚。朝鮮人を父にもつなやみ、酒乱のなやみ、兄弟げんか、母も差別うけていること、宿題できない、わからない、守もしなければ、内職も-などなどがしっかり書かれています。その後、何度Kの家を訪ねたでしょう。時には父の酒をたしなめ、母の内職を手伝いもしつつ、Kと宿題もしました。Kは、明るく、活発になっていきました。
 卒業式の日、校長はKの手を握りつつ、「あの綴り方はな、Kが一生背負うもんや、文集にはならんだけどな」と私にも聞こえるように励ましていました。

1950年代の後半の校長と新米教師のやりとりの中で、子どもが心を開いていく…その背景の家族や生活。

この本の第二章は、「今の子どもたちと新しい同和教育」で、その一が、「今。親。子どものくらしをたてなおす」というテーマとなっている。

その中に、「「くずれ」-それは危機と言わねばならぬ深刻さで、子どもに広がり、子どもを蝕んでいます」とあり、1980年代の半ばまでの様相を記している。高度成長の終焉でもあったのだろうが、しかし、1950年代の半ばの貧困とは異なってたともいえる。その中での「くずれ」のあらわれ…。

1970年代後半に、僕たちがみた子どもの姿を確認してみたい。