三好さんは、「遊象」というハンドルネームで、ブログで発信するなどインターネット上で活躍してきた。そんな活動を基に、寄宿舎教育のメーリングリストを運営し、寄宿舎教育のホームページをつくって、みんなを励ましてくれた。アナログな寄宿舎の先生方の中で、みんなを巻き込みながら情報の共有や議論の場をそれとなく創り、下支えしてくれた。
そんな三好さんに励まされて、2006年11月から僕もブログを始めた。第25回の「障害児の生活教育全国研究集会in沖縄」の際に、話題となった「ちゃ~すが」という沖縄の方言の響きと意味が気に入って、ブログには「ちゃ~すが・タマ」(「どうなる・どうする」という意味)と名づけた。三好さんは密かに開設したブログにいち早く「開設おめでとう」のコメントを寄せて、寄宿舎研のホームページからリンクをはってくれた。遊象さんの優しいまなざしは、時に短いコメントとして寄せられてきた。「キノコ」談もその中の一つである。
1回生の担当となった時、「トイレでシイタケを栽培する学生さん」と題して次のような記事をブログに書いた。
「昨日の新歓コンパは衝撃であった。新歓コンパで、自炊の話になった時のことだ。
その中で、シイタケをトイレで栽培、収穫し、料理に使っているという男子1回生がいた。
シイタケの生えてくる元を「元気君」とも名付けて、かわいがっている。ちょっと顔を出したシイタケも、2日もすればりっぱになるという。その元気の元となっているから「元気君」だ。
トイレで栽培するのは、薄暗いこと、適当な湿度があることがシイタケに必須だからだという。トイレの、水が出る上に、棚をつくって、元気君をおいている。元気君に音楽を聞かせると、シイタケも立派になるという。その音楽はレゲエがよいそうだ。
おまけに、トイレの写真、大きくなったシイタケの写真、そして料理に使われるところの写真などをとって、ミクシイの自分のホームページで限定公開しているということだ。今後は、そのレシピも公開してほしい。
この学生さんには、頭や耳からキノコが生えないか今後も注目だ。」
遊象さんもこの学生のことを気に入ったらしく、次のようなコメントを寄せてくれた。
「こんばんは。いつも楽しく読んでます。
椎茸は寄宿舎では裏山で栽培してます。何時だったか、そう創立15周年の頃、共同作業所づくりの資金カンパを兼ねて、椎茸の原木と菌をセットで購入し、自家栽培にチャレンジした。…いやせざるを得なかった事を思い出しました。トイレは考えませんでしたが、風呂場でやりました。音楽は私のまずい歌を聴きながら育った椎茸。結構のもんでしたよ。」
そう、遊象さんは、風呂場でシイタケを栽培していた経験があることを告白してくれたのだった。学生さん達の中で、時々、トイレでキノコを育てるようなかわった学生さんも時にはいるが、そんな学生さんはなかなか見られなくなった。学校現場の中にも、遊び心が少なくなっているが、遊象さんは、その名の通り、遊び心をいっぱい詰めた大きな身体で、やさしくみんなを見つめてくれる人だった。
2007年頃から春の寄宿舎教育研究会の運営委員会の際には、与謝の海養護学校の資料整理をしたいと三好さんにお願いして、道筋をつけてもらってきた。日程がとれずに、バタバタしているうちに、時は過ぎていった。2009年の夏には、環境が整ったとの連絡をいただいたが、突然の学長選挙などがあり実現できないままとなった。その夏、三好さんは検査入院され、続いて闘病生活となった。与謝の海養護学校の歴史と実践、寄宿舎教育の課題と将来展望など、話を聞きたいことやいっしょに整理したいことはたくさんあった。そんな仕事をいっしょにできなかったことが残念でならない。また、後回しにしてそれができなかった自分のふがいなさを思わざるを得ない。
三好さんの遊び心と優しいまなざしを想いつつ、三好さんのこれまでの活動への感謝とともに、残してくれた生活教育の課題を心に刻みたい。
そんな三好さんに励まされて、2006年11月から僕もブログを始めた。第25回の「障害児の生活教育全国研究集会in沖縄」の際に、話題となった「ちゃ~すが」という沖縄の方言の響きと意味が気に入って、ブログには「ちゃ~すが・タマ」(「どうなる・どうする」という意味)と名づけた。三好さんは密かに開設したブログにいち早く「開設おめでとう」のコメントを寄せて、寄宿舎研のホームページからリンクをはってくれた。遊象さんの優しいまなざしは、時に短いコメントとして寄せられてきた。「キノコ」談もその中の一つである。
1回生の担当となった時、「トイレでシイタケを栽培する学生さん」と題して次のような記事をブログに書いた。
「昨日の新歓コンパは衝撃であった。新歓コンパで、自炊の話になった時のことだ。
その中で、シイタケをトイレで栽培、収穫し、料理に使っているという男子1回生がいた。
シイタケの生えてくる元を「元気君」とも名付けて、かわいがっている。ちょっと顔を出したシイタケも、2日もすればりっぱになるという。その元気の元となっているから「元気君」だ。
トイレで栽培するのは、薄暗いこと、適当な湿度があることがシイタケに必須だからだという。トイレの、水が出る上に、棚をつくって、元気君をおいている。元気君に音楽を聞かせると、シイタケも立派になるという。その音楽はレゲエがよいそうだ。
おまけに、トイレの写真、大きくなったシイタケの写真、そして料理に使われるところの写真などをとって、ミクシイの自分のホームページで限定公開しているということだ。今後は、そのレシピも公開してほしい。
この学生さんには、頭や耳からキノコが生えないか今後も注目だ。」
遊象さんもこの学生のことを気に入ったらしく、次のようなコメントを寄せてくれた。
「こんばんは。いつも楽しく読んでます。
椎茸は寄宿舎では裏山で栽培してます。何時だったか、そう創立15周年の頃、共同作業所づくりの資金カンパを兼ねて、椎茸の原木と菌をセットで購入し、自家栽培にチャレンジした。…いやせざるを得なかった事を思い出しました。トイレは考えませんでしたが、風呂場でやりました。音楽は私のまずい歌を聴きながら育った椎茸。結構のもんでしたよ。」
そう、遊象さんは、風呂場でシイタケを栽培していた経験があることを告白してくれたのだった。学生さん達の中で、時々、トイレでキノコを育てるようなかわった学生さんも時にはいるが、そんな学生さんはなかなか見られなくなった。学校現場の中にも、遊び心が少なくなっているが、遊象さんは、その名の通り、遊び心をいっぱい詰めた大きな身体で、やさしくみんなを見つめてくれる人だった。
2007年頃から春の寄宿舎教育研究会の運営委員会の際には、与謝の海養護学校の資料整理をしたいと三好さんにお願いして、道筋をつけてもらってきた。日程がとれずに、バタバタしているうちに、時は過ぎていった。2009年の夏には、環境が整ったとの連絡をいただいたが、突然の学長選挙などがあり実現できないままとなった。その夏、三好さんは検査入院され、続いて闘病生活となった。与謝の海養護学校の歴史と実践、寄宿舎教育の課題と将来展望など、話を聞きたいことやいっしょに整理したいことはたくさんあった。そんな仕事をいっしょにできなかったことが残念でならない。また、後回しにしてそれができなかった自分のふがいなさを思わざるを得ない。
三好さんの遊び心と優しいまなざしを想いつつ、三好さんのこれまでの活動への感謝とともに、残してくれた生活教育の課題を心に刻みたい。