文化の日を前にした、11月1日の報道で、「文芸賞」受賞取り消しの記事があった。
ネットの記事では次のようなものがあり、概要を伝えている。
「新人の登竜門とされる各種の文学賞で、ネット上から無断引用した盗作とみられる作品が相次いでいる。
河出書房新社主催の「文芸賞」では、いったん受賞が決定した作品が、モチーフをネット上のサイトに負っていたことがわかり、2010年10月18日までに受賞を取り消された。受賞作は、発売中の「文芸」冬号で発表予定だったが、「該当作なし」とされた。同賞には、2012点の応募があった。
また、詩の文学賞では、「詩と思想」新人賞に選ばれた秋田市内の中学3年の少女(14)の詩「穴」が、ネット上の詩をまねたものと分かり、主催者の土曜美術社出版販売が15日、賞を取り消したと発表した。」
京都新聞の11月1日付は、「ネット時代に消える独自性」として「安易な意識、深刻な依拠レベル」と指摘している。大学でのコピペの横行が、早稲田大学の石原千秋(近現代文学)によって次のように指摘されている。
「作品のモチーフを刊行物ではなく、実態が見えにくいネットに依拠した点が現代的だ。大学でもネット上の論文をコピーアンドペーストすることが横行しており、同じ構図、安易な意識で行われた可能性がある」
「ネット上で情報を得たり発信したりする行為を匿名で繰り返す中で、オリジナリティーが見えにくくなる。同種の事例は増え、若年化するだろう」
大学でも、提出されたレポートの内容がネットから取られたものであったり、ファイルが伝達されていたり、モラルの問題になっている。教育実習でも、指導案をネットからとってきたもので代えていったりということも問題になっている。その一方、情報化を進めないのはおかしいという声もあったり…。結局、過重な中で結果だけしかみない世相が反映しているのか…、いろんなことで時間がない社会、忙しい社会が、心を亡くさせている(忙とはその意味である)。文化的とはなにか-「心を亡くす」ことではなく、「心を豊かにする」ことにあるとすれば、文化不毛の時代になっているのかもしれない。