7月21日(土曜日)「京都戦争孤児追悼法要ならびに戦争孤児の方の証言&紙芝居お披露目会」という長い名前の敗戦と戦後の出発を巡る会が、下京区の仏光寺大善院であった。戦争孤児の収容施設伏見寮の指導員だった佐々木元禧さんが、伏見寮で亡くなった子どもの遺骨・遺髪を大善院に預けたが、その事実が発掘されて「せんそうこじぞう」となり、毎年、追悼が行われてきたのだった。
八瀬学園の指導員・教員だった棚橋さんの聞き取りでご一緒した本庄先生のお誘いで参加した。ことしは、「障害をもった戦争孤児たちのこと」ということで、本庄さんがお話しされ、棚橋先生が話すという段取りだったが、棚橋先生が遅れられたので、前座で少ししゃべった。いろいろ盛りだくさんの会だったが、佐々木住職やその奥さんとも話ができてよかった。同時に、1969年に福岡教育大学の合唱団が歌った、八瀬学園から桃山学園にいって卒園して、働きながらも結核で亡くなった女性のことについて、そして歌がどのようにつくられ、その輪が広がったのかについて、少しわかった。そうした「はかない命」を忘れてはならない。
京都新聞2018年7月22日朝刊