生まれたのは、1956年。この年、経済企画庁は、「もはや戦後ではない」といったという。現代史上では、政治的には55年体制がつくられ、そして、この頃から高度経済成長が進められていく。小学校から高校時代までは、高度経済成長の時代、科学技術の時代だった。
1960年前半に東海道新幹線がとおった。おじいちゃんといっしょに遠くに走る新幹線を見た覚えがある。そして、東京オリンピック。1970年には大阪で万国博覧会があった。「人類の進歩と調和」をテーマとして、「コンニチハ、コンニチハ、世界の国から」の歌が街では陽気に聞こえてきた。中学校の修学旅行は、万博に来た。中学の頃、戦後日本の復興を象徴したノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の自伝「旅人」などを読んでみた。高等学校では、学生で芥川賞を受賞した大江健三郎の初期の小説を読んでみたりもした-「見るまえに跳べ」「遅れてきた青年」などだった。
高校は理数科にいった。3年間同じクラスだった。当然、理科系の大学に進んだ。自由な大学だったので、時間はたっぷりあった。何をしていたのだろうか。講義に出たという記憶は殆どない。下宿にこもって、高橋克己の「我が解体」など観念的な小説を読んでいたが、そのうち、「次郎物語」「戦争と人間」「人間の条件」などの成長小説をよく読んでいた。また、歴史推理小説では、松本清張なども社会派、それから、復員もので横溝正史なども次から次へと読んでいたようだ。社会発展の法則とか歴史の必然だとかいうよりも、その人その人がどのように生きたかを想像したかった。これは、迷いの時代、悩みの時代の反映に他ならない。だから、いまでも評伝の類いには手が出てしまう。どんな人生をあゆんだのか、どんな思いでいたのか。本意でないことをやらされたり、あるときには煮え湯を飲まされたりと・・・・。
1960年前半に東海道新幹線がとおった。おじいちゃんといっしょに遠くに走る新幹線を見た覚えがある。そして、東京オリンピック。1970年には大阪で万国博覧会があった。「人類の進歩と調和」をテーマとして、「コンニチハ、コンニチハ、世界の国から」の歌が街では陽気に聞こえてきた。中学校の修学旅行は、万博に来た。中学の頃、戦後日本の復興を象徴したノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の自伝「旅人」などを読んでみた。高等学校では、学生で芥川賞を受賞した大江健三郎の初期の小説を読んでみたりもした-「見るまえに跳べ」「遅れてきた青年」などだった。
高校は理数科にいった。3年間同じクラスだった。当然、理科系の大学に進んだ。自由な大学だったので、時間はたっぷりあった。何をしていたのだろうか。講義に出たという記憶は殆どない。下宿にこもって、高橋克己の「我が解体」など観念的な小説を読んでいたが、そのうち、「次郎物語」「戦争と人間」「人間の条件」などの成長小説をよく読んでいた。また、歴史推理小説では、松本清張なども社会派、それから、復員もので横溝正史なども次から次へと読んでいたようだ。社会発展の法則とか歴史の必然だとかいうよりも、その人その人がどのように生きたかを想像したかった。これは、迷いの時代、悩みの時代の反映に他ならない。だから、いまでも評伝の類いには手が出てしまう。どんな人生をあゆんだのか、どんな思いでいたのか。本意でないことをやらされたり、あるときには煮え湯を飲まされたりと・・・・。