今年も残すところ1日となった。
一日、身辺整理をする。使っていた鞄をすてたりするも、中に入れていたものの行き場がない…。昨日からの肩こりは治らず、言葉どおりの「首が回らない」状態。
やり残したことばかりが気になる。M先生の『戦後障害児教育運動史』の見通しがたたない。分からないことが多すぎるし、それを気にして学習の課題がふくれあがってしまっている。
寄宿舎のことについては、イギリスの動向について文献をあつめているが、どう扱うかが定まらず、どうにも見通しがたたない。
明日、大学に行って、資料をとって、京都でOさんに会う予定。びわこ学園の創立50周年が間近となっていることもあり、今後についても相談しないといけない。
一日、身辺整理をする。使っていた鞄をすてたりするも、中に入れていたものの行き場がない…。昨日からの肩こりは治らず、言葉どおりの「首が回らない」状態。
やり残したことばかりが気になる。M先生の『戦後障害児教育運動史』の見通しがたたない。分からないことが多すぎるし、それを気にして学習の課題がふくれあがってしまっている。
寄宿舎のことについては、イギリスの動向について文献をあつめているが、どう扱うかが定まらず、どうにも見通しがたたない。
明日、大学に行って、資料をとって、京都でOさんに会う予定。びわこ学園の創立50周年が間近となっていることもあり、今後についても相談しないといけない。
かって障害児教育運動史なるいくつかの本を読んだけれど どれも文献の寄せ集めのようで納得いかなかった。
教職員組合の運動史も ある意味時間のある人たちが書いたので、おかしなところが多かった。
かって山宣研究で知られるS先生を元S大学のF教授と一緒に自宅に訪ねたことがあった。
それは、山宣が性教育から政治に飛び込むきっかけになった障害のある子どもさんが産まれた時、産婆さんが通常していた行為を辞めさせたこと。そこから山宣の生命論がはじまり、性教育、政治への変化を知るためだった。
残念なことに産婆さんとの出来事は事実だが、詳しく調べていない。
娘さんに直接聞いて確かめたら、と言われた。娘さんは障害者手帳を持っておられて、出会うことがあったけれど、聞くことに躊躇していた。もう故人になられたが。
山宣研究をしていたS先生は、年表をつくり、人に会って歴史的なことを聞いて、年表に照らして記述すると言っておられてた。
人は確かな記憶、忘れられないことと言っているが、意外に年表と照らすと時期に思い違いがあるなどなど教えていただいた。
あれから私も聞き書きをする時には、同じことをしている。
歴史はジグザグにすすむもので、歴史区分で 線引きされるとすべてがそうなったような錯覚に陥るが決してそうではない。
そこに難しさがある。
『戦後障害児教育運動史』でおねがいしたいのは、『戦後障害児教育実践史』である。
試行錯誤繰り返しながら創造されてきた戦後障害児教育の実践史は、いまだにないから。
かっては、全国教研(だいたい1月)に向けて各地域教研や支部教研に教職員が教科別分科会・問題別分科会にレポート報告して、みんなの評価ー討論ー推薦を受けて、府県レベルの教研で発表。
みんなの評価ー討論ー推薦を受けて、選ばれと全国教研の正会員になり、書式の決まったレポート報告を印刷して本部に発送。
正会員には事前に選ばれた分科会の各府県のレポートが届き、事前に読んで全国教研に臨むという運営がされていたので、分科会に出ると全国の教育実践傾向がすべて分かるものでした。
そのため分科会のレポートは、膨大でしたが府県の取り組みがわかって非常に勉強になりました。
日教組がややこしいなり全国教研が、それまでのやり方が変わりましたが、それ以前は非常に全国状況や実践をしる教研集会でした。
京都は正会員に選ばれたレポートは毎年「京都の教育」として作成、保存されていたし、全国教研の正会員レポートはすべて残しているはずです。
京都教育センターにあった全国教研正会員レポート報告を何度も読みました。ご参考まで。
歴史的変遷がよく分かると思います。
ただ注意して欲しいのは、障害児教育分科会以下の分科会にも障害児教育実践が報告されています。例えば、数字の分科会に障害児学校や障害児学級における数字教育実践など。