ちゃ~すが・タマ(冷や汗日記)

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「学校3」と「トミーの夕焼け」

2018年05月06日 18時28分29秒 | 映画
「特別支援教育研究センター」の源流と『トミーの夕焼け』

本学に着任して10年目の1998年に公開された映画が、山田洋次の『学校Ⅲ』だった。山田洋次の学校シリーズは、それ以前に、夜間中学校、そして養護学校を描いてきた。そのシリーズの第三弾の映画で、職業訓練校を舞台にした映画だった。リストラされた自閉症の息子をもつシングルマザーを、大竹しのぶが好演した。バブル崩壊後の失われた10年、リストラ、倒産などの社会の状況のなかで女性の自立と学び、自閉症のある息子との生活、学ぶ仲間との関係、病気や将来への不安など、職業訓練校に学ぶ主人公、そしてその学びの仲間たちの生き様や揺れが描かれている。
 公開当時、障害児学教室の先生方の間でも話題になったのだが、それは、『学校Ⅲ』の原作になった『トミーの夕焼け』(1997年)に関わっていた。『トミーの夕焼け』は、自閉症の息子の視点から母親の姿が描かれる短編集だが、その作者・鶴島緋紗子さんと本学の特別支援教育の源流となった故柳川光章先生の関わりのことだった。柳川先生は、臨床心理学の立場から1966年の養護学校教員養成課程の設置の中心を担われた。学生指導を含めて教育相談や「治療教室」などでの療育活動、僻地での調査活動など様々な活動を行っていった。『トミーの夕焼け』作者とはその中での出会いだったのだろう。柳川先生は、研究や教育、相談活動で自閉症(当時「情緒障害」)にこだわっていたが、作者との関係も自閉症の子どもの養育や教育に関わるものだったのだろうと想像される。
柳川先生が推進された本学の障害児学教室の構想や足跡にもその思いが感じ取られる。教室では概算要求で、附属養護学校の設置が準備されたのだが、残念ながら諸般の事情で実現がなされなかった。情緒障害教育特別専攻科の設置なども要求されたのだが、これも柳川先生が現職の間には実現しなかった。その中で、保護者や現場の先生方の教育相談、療育教室などの取り組みを継承し、発展させるべく構想されたのが「障害児教育実践研究センター」だった。しかし、これもまた国立大学時代には実現されず、大学が法人化されて以降、特殊教育から特別支援教育への転換のなかでようやく「特別支援教育研究センター」として設置されたのだった。
本学に障害児教育の教員養成の組織的な取り組みがはじまって、一昨年50周年の行事を行うことができた。そして、2017年には特別支援教育研究センターが設置されて10周年だった。これまで、様々な思いが込められ、様々なエピソードが織りなされた歴史があった。教員養成と教育相談・支援などセンターと教室は、次の10年の最初の一歩を本年度歩み始めたことになる。また今後新たな歴史を紡いでいくことになる。これからも、多くの皆さんとともに力強く歩んでいくことを期するとともに、関係者の方々のご指導ご鞭撻をお願いする次第である。

「特別支援教育研究センターニュース」

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