AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

スタフェスvol.19 私立恵比寿中学 矢野妃菜喜卒業発表

2011-03-06 21:10:40 | 現代のアイドル
スタフェスvol.19のメール当選に当たったのでナッキーさんと観戦に行きました。

前回に観た時との違いはみにちあ☆べアーズと私立恵比寿中学との間にmomoと言う女性歌手がいたこと。
momoと言うのは声優が本職らしく、もしドラのアニメバージョンに声優として出演するそうです。
さすがに歌は上手かったですがアイドルとは言えない、敢えて言えば往年の太田裕美か。

みにちあ☆べアーズもエビ中も前回より明らかに上手くなっていて成長している様がはっきり分かりました。
アイドルの成長を見守るのは別にAKB48だけでは無いのだと当たり前ですが理解出来た公演でした。

今日は用事も多くCD買って握手会と言う時間がありませんでした。
握手会はみにちあ☆べアーズも今回からあると発表されてましたが10才前後の女の子が握手と言うのは壊れちゃわないか心配ですね。

スターダストのスパルタ教育でしょうか。

テッド
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『桜の木になろう』の様々な解釈。「永遠の桜の木」とは何か?(ときめき研究家)

2011-03-06 07:00:00 | ときめき研究家
何回も聴いた。

「春色の」という歌い出しが、まず野心的だ。
その歌い出しは、どうしても『赤いスイートピー』(松田聖子)の「春色の汽車に乗って」を思い出させてしまう。相当無頓着なのか、あるいは相当自信がなければ、避けたいフレーズではないだろうか。
ところが既に『Chose me』でも「春色街角」と使われていたことに気づいた。意図的なのだろう。

色々な解釈ができる歌詞だ。
誰にとって、何が「永遠の桜の木」になるのだろうか。

卒業生にとって、母校が「永遠の桜の木」になる。これは、普通の卒業ソングとしての解釈である。
母校ではなく、後輩、先生、在学時代の思い出、などに置き換えることもできるだろう。

若いAKB48のファンにとっては、熱中したAKB48が「永遠の桜の木」になってほしいという願いも込められているように思える。そう、『ジグソーパズル48』の世界のように。

そして、やはり、AKB48からの卒業生にとっては、AKB48が「永遠の桜の木」だという含意も込められていると思えてならない。過去の卒業生たちも、奥ちゃんも、そしてこれから卒業していくメンバーたちも、スタートとしてのAKB48を時に思い出してほしいと歌っている。

「誰もみな 胸に押し花のような 決心をどこかに忘れている 思い出して 桜が咲く頃に 僕のことを 一本の木を」

この部分の解釈が難しい。「押し花のような決心」とは何だろうか。
「胸に」と言っていながら「どこかに忘れている」というのはどういうことだろうか。

押し花のように、時間が経っても朽ちてしまわない、若い夢や理想。それは胸の内にあるはずなのに、いつか日常にまぎれて忘れてしまっている。でも、それは何かのきっかけで甦る。例えば、毎年桜が咲く度に。
そのきっかけを与えようと、彼は毎年、意地のように「桜」の歌を世に出すのだろう。
格好よく言えば、世の中の全ての人たちにとって、秋元康自身が「永遠の桜の木」たらんとしているのだ。

PVでは、亡くなった中学の同級生が「永遠の桜の木」だったし、テレビドラマでは、「前田先生」が生徒たちにとっての「永遠の桜の木」になったのだろう。

そしてもう一つ。
1人1人のアイドルを「桜の花びら」に例えると、「桜の木」はアイドルというジャンル、文化と言える。つまり、個々のアイドルは毎年咲いて、やがて散っていっても、アイドルという文化は永遠のものであると歌っていると解釈したい。やや強引だけど。

いずれにせよ、様々な聴き方ができる曲だ。


過去の卒業ソングのレビュー記事はこちら
コメント (9)
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