秦佐和子のブログの最後の言葉 (KC)
秦佐和子のブログの季節の挨拶の表現が素晴らしいという記事を書いたが、3月11日の震災の後、一時中断していたブログが復活。
ブログ冒頭の季節の挨拶はなくなったが、ブログの最後に、いたわりの言葉が、毎日続いている。
3月22日
曇り空を掻き分けて吹き込むのは強い風、悲しみを吹き飛ばし、幸福を届ける物でありますように。
3月23日
一瞬で失われていく時の中で、胸に焼き付く色あせない感動に出会えますように。
3月20日
過去は無くなる事は無い、ただ忘れるかどうかと言うだけで。
3月19日
なんだか久しぶりに、胸にすっと風が通り抜けた気がしました。
ただそこにあるというだけで、誰かの支えになるものもあると。
3月19日
遥か彼方から射す眩い日差しに照らされて、幸せが輝きますように。
3月21日
100人いれば100人分の人生があると、例え自分1人分しか歩くことが出来なくても。
3月25日
今日がやってきた場所から、もっと素敵な明日が昇ってきますように。
3月26日
脆く崩れ落ちそうだった足元が、確かな物へと変わり、明日へ踏み出す一歩を強く受け止めますように。
感想:
私の中学校時代の友人が結婚した時に、二人の馴れ初めを聞いた時に、
彼が、「妻の文章を読んでプロポーズすると決めた」と答えたのを聞いて、
「顔も見ないで、結婚したい」と思うようなことがあるのかと、疑った。
私の友人の職業は宗教家(実家が仏教の檀家)で、宗派の新聞に投稿している彼女を、見初めたそうだ。
つまり、彼女の文章を読んで、「こういう文章を書く女性と結婚したい」と彼は思ったのである。
今の私は、友人の言葉を信じることができる。
秦佐和子というアイドルの文章を読んでいて、そう思うからである。
残念ながら、私は結婚しているし、彼女とは年が離れているので、結婚の対象にはならない。
が、もし、再婚するようなことがあったら、彼女のような文章を書く女性と結婚したいと思う。
KC
秦佐和子のブログの季節の挨拶の表現が素晴らしいという記事を書いたが、3月11日の震災の後、一時中断していたブログが復活。
ブログ冒頭の季節の挨拶はなくなったが、ブログの最後に、いたわりの言葉が、毎日続いている。
3月22日
曇り空を掻き分けて吹き込むのは強い風、悲しみを吹き飛ばし、幸福を届ける物でありますように。
3月23日
一瞬で失われていく時の中で、胸に焼き付く色あせない感動に出会えますように。
3月20日
過去は無くなる事は無い、ただ忘れるかどうかと言うだけで。
3月19日
なんだか久しぶりに、胸にすっと風が通り抜けた気がしました。
ただそこにあるというだけで、誰かの支えになるものもあると。
3月19日
遥か彼方から射す眩い日差しに照らされて、幸せが輝きますように。
3月21日
100人いれば100人分の人生があると、例え自分1人分しか歩くことが出来なくても。
3月25日
今日がやってきた場所から、もっと素敵な明日が昇ってきますように。
3月26日
脆く崩れ落ちそうだった足元が、確かな物へと変わり、明日へ踏み出す一歩を強く受け止めますように。
感想:
私の中学校時代の友人が結婚した時に、二人の馴れ初めを聞いた時に、
彼が、「妻の文章を読んでプロポーズすると決めた」と答えたのを聞いて、
「顔も見ないで、結婚したい」と思うようなことがあるのかと、疑った。
私の友人の職業は宗教家(実家が仏教の檀家)で、宗派の新聞に投稿している彼女を、見初めたそうだ。
つまり、彼女の文章を読んで、「こういう文章を書く女性と結婚したい」と彼は思ったのである。
今の私は、友人の言葉を信じることができる。
秦佐和子というアイドルの文章を読んでいて、そう思うからである。
残念ながら、私は結婚しているし、彼女とは年が離れているので、結婚の対象にはならない。
が、もし、再婚するようなことがあったら、彼女のような文章を書く女性と結婚したいと思う。
KC