既に新曲が出たというのに、今頃このCDについて書く。ようやく書きたい気持ちが熟成されたのだ。
『ヴァージニティー』。
まさに昭和歌謡と言うべき、古臭いサウンド。仰々しいスパイ映画の主題歌のような、トランペットを多用したアレンジは郷愁を激しく誘う。これは『へそが曲がる』と似た印象。
歌詞の内容は「キスしても減るもんじゃないとあなたは言うけど、キスすると何かが減るんだ」という主張で、現代の若者には珍しい古風な考え方と思われる。昔の若者である私は共感する。
この古風なサウンド、歌詞は、チームB3rdの『キスして損しちゃった』の姉妹曲と言える。
そもそも「ヴァージン」「処女」といった直接的な語彙をアイドルの曲に使うのは冒険だった。
70年代までは「女の子の一番大切なものをあげる」(山口百恵)といった暗示的な表現が限界だった。
『駆けて来た処女(おとめ)』(三田寛子:1982)が先駆だと思うが、タイトルだけで、歌詞の中で「処女」という言葉を三田寛子が歌ったわけではない。
『VIRGIN』(水野きみこ:1983)も同様。「こわいけどあなたにいつか抱かれたい」と歌うのみ。
『処女的衝撃』(シブがき隊:1983)は、「ショック ショック ショック バージンショック」とはっきり歌っている。男性アイドルとして初めてであろう。
『ライク・ア・バージン』(吹田明日香、水谷圭:1984)は、マドンナのヒット曲のカバー。歌詞でも「ライク・ア・バージン」と歌っているが、サビ部分で、英語歌詞をそのまま歌わざるを得なかったもの。
こうした一進一退があって、女性アイドルとして、はじめて日本語歌詞で「バージン」と歌わされたのは、ほかならぬおニャン子クラブの新田恵利だった。『セーラー服を脱がさないで』(1985)で、「デートに誘われてバージンじゃつまらない」と、あっけらかんと歌っていたのは印象に残っているが、相当の恥ずかしさはあったことは想像できる。
AKBグループでも、『Virgin Love』は初期の人気曲だった。今では、若い女の子にも抵抗なく歌われる語彙になっていると思われる。
『ヴァージニティー』はいい曲だと思うが、難を言うなら、「キスをすると何かが減る」その何かとは「私の中のヴァージニティー」という答えは、歌わない方がよかった。キスをしても処女じゃなくなる訳ではない、しかし「処女性」は確実に失われてしまうという説明は、分かりやす過ぎて蛇足である。「何か」という、言葉では簡単に言えないものとしておいた方が、奥ゆかしかった。
カップリング曲は、印象に残った順に短く感想を記す。
『存在してないもの』。
恋人との別れに当たって、出会いからなかったものとしたい、もう一度初めからやり直したいという思いを観念的に歌う。曲調はチームK的でスポーティーだ。『ゼロサム太陽』のような雰囲気。そう言えば「どんな月もやがて朝陽に追われる」という歌詞も、「どこかで陽が昇ればどこかで沈む」という『ゼロサム太陽』と同じ現象を歌っている。
『砂浜でピストル』。
賑やかなサウンドで楽しい曲。しかし歌詞は意外に深刻で、片想いの彼氏を遠くから見ているだけで満足といいつつ、ピストルで「この恋」を撃ち落としたいという、思い詰めた様子が物騒だ。
『ちょっと猫背』。
失恋の痛手でちょっと猫背になっている自分に気づく歌。自分を客観的に見られるようになれば、立ち直る日も近い。ベタなサウンドが妙に耳に残る。
『妄想ガールフレンド』。
アイドルに恋した少年の、妄想上の幸福を歌う。『遠距離ポスター』と同趣旨。サビ部分は、観客のコールとの掛け合いを意識している。「スキャンダルはまずいけど 愛は止められない」とは、恋愛禁止違反での脱退者が多数発生しているグループが歌うのに、ずいぶん能天気な歌詞だ。
『僕らのレガッタ』。
爽やかな青春ソングだが、これと言った特徴がなく、既聴感がする。『僕のYELL』もこんな歌ではなかったか。
『ヴァージニティー』。
まさに昭和歌謡と言うべき、古臭いサウンド。仰々しいスパイ映画の主題歌のような、トランペットを多用したアレンジは郷愁を激しく誘う。これは『へそが曲がる』と似た印象。
歌詞の内容は「キスしても減るもんじゃないとあなたは言うけど、キスすると何かが減るんだ」という主張で、現代の若者には珍しい古風な考え方と思われる。昔の若者である私は共感する。
この古風なサウンド、歌詞は、チームB3rdの『キスして損しちゃった』の姉妹曲と言える。
そもそも「ヴァージン」「処女」といった直接的な語彙をアイドルの曲に使うのは冒険だった。
70年代までは「女の子の一番大切なものをあげる」(山口百恵)といった暗示的な表現が限界だった。
『駆けて来た処女(おとめ)』(三田寛子:1982)が先駆だと思うが、タイトルだけで、歌詞の中で「処女」という言葉を三田寛子が歌ったわけではない。
『VIRGIN』(水野きみこ:1983)も同様。「こわいけどあなたにいつか抱かれたい」と歌うのみ。
『処女的衝撃』(シブがき隊:1983)は、「ショック ショック ショック バージンショック」とはっきり歌っている。男性アイドルとして初めてであろう。
『ライク・ア・バージン』(吹田明日香、水谷圭:1984)は、マドンナのヒット曲のカバー。歌詞でも「ライク・ア・バージン」と歌っているが、サビ部分で、英語歌詞をそのまま歌わざるを得なかったもの。
こうした一進一退があって、女性アイドルとして、はじめて日本語歌詞で「バージン」と歌わされたのは、ほかならぬおニャン子クラブの新田恵利だった。『セーラー服を脱がさないで』(1985)で、「デートに誘われてバージンじゃつまらない」と、あっけらかんと歌っていたのは印象に残っているが、相当の恥ずかしさはあったことは想像できる。
AKBグループでも、『Virgin Love』は初期の人気曲だった。今では、若い女の子にも抵抗なく歌われる語彙になっていると思われる。
『ヴァージニティー』はいい曲だと思うが、難を言うなら、「キスをすると何かが減る」その何かとは「私の中のヴァージニティー」という答えは、歌わない方がよかった。キスをしても処女じゃなくなる訳ではない、しかし「処女性」は確実に失われてしまうという説明は、分かりやす過ぎて蛇足である。「何か」という、言葉では簡単に言えないものとしておいた方が、奥ゆかしかった。
カップリング曲は、印象に残った順に短く感想を記す。
『存在してないもの』。
恋人との別れに当たって、出会いからなかったものとしたい、もう一度初めからやり直したいという思いを観念的に歌う。曲調はチームK的でスポーティーだ。『ゼロサム太陽』のような雰囲気。そう言えば「どんな月もやがて朝陽に追われる」という歌詞も、「どこかで陽が昇ればどこかで沈む」という『ゼロサム太陽』と同じ現象を歌っている。
『砂浜でピストル』。
賑やかなサウンドで楽しい曲。しかし歌詞は意外に深刻で、片想いの彼氏を遠くから見ているだけで満足といいつつ、ピストルで「この恋」を撃ち落としたいという、思い詰めた様子が物騒だ。
『ちょっと猫背』。
失恋の痛手でちょっと猫背になっている自分に気づく歌。自分を客観的に見られるようになれば、立ち直る日も近い。ベタなサウンドが妙に耳に残る。
『妄想ガールフレンド』。
アイドルに恋した少年の、妄想上の幸福を歌う。『遠距離ポスター』と同趣旨。サビ部分は、観客のコールとの掛け合いを意識している。「スキャンダルはまずいけど 愛は止められない」とは、恋愛禁止違反での脱退者が多数発生しているグループが歌うのに、ずいぶん能天気な歌詞だ。
『僕らのレガッタ』。
爽やかな青春ソングだが、これと言った特徴がなく、既聴感がする。『僕のYELL』もこんな歌ではなかったか。