キャンディーズ, ピンクレディー, おニャン子クラブ, モーニング娘。, AKB48。このアイドル5組は、僕に、どんな影響を与えたのか? それを、改めて考えてみた。
【キャンディーズ】
彼女たちが活躍し始めた…あの当時、僕の中のアイドルは、間違いなく…ザ・ドリフターズだった。もう、キャンディーズなんて、眼中になし。
しかし、『8時だヨ 全員集合!』を観ていく内に、
"この人たち、(僕の大好きな)ドリフの間を壊さない人たちだなぁ~。邪魔しない人たちだなぁ~。なんか、番組のために「できる」人たちだなぁ~。ちゃんと、歯車になれるんだ~。何?他のアイドルとは、チョト違う…かも? "って、どんどんどんどん…好感度が、アップしていってね…。
それが、キャンディーズだった。だから、歌的なことは、後からジワジワ…って感じかな。
とにかく、"そんなアイドルもいるんだあ~"…心に刻まれた…というか、ちょっと気に入った…というか…。
ところが、時代は、ピンクの嵐が吹き始めていた。当然、僕も周りから、"お前、キャンディーズ派なのか? ピンクレディー派なのか?"…その選択を迫られていてね…。
でも、僕は、"ピンクレディーのことは、好きにならないでおこう!"と思ったんだ。理由は、今、考えると、"キャンディーズに操をたてた?" のかもしれない。なんか、そんな感じ…。
そういうのは、僕の人生において、後の…あれ、あの感じに似てる。 "ヤマト派? ガンダム派?"って、聞かれて、(宇宙戦艦)ヤマトが、大好きだった僕が、"ガンダムは、観ないでおこう!"と決めた…あの感じにさ。
キャンディーズとピンクレディー、ヤマトとガンダム。一見、世代? 世代の分かれ目? って思うけど、実は、そうではないと思ったりしている。
「それ」を裏切っちゃいけない感じを、僕は、キャンディーズから教わったのかなぁ~?とか、今では、思っているんだ。あの小っちゃい頃の記憶…。
【ピンクレディー】
30歳以上で、吹奏楽部出身の人は、このピンクレディーの楽曲(シングル曲)をステージ上で、吹きまくったことだと思う。そして、僕も…その1人。きっと、僕と同じ…こんな感想を持った人…多いんじゃないのかな?
"こんなの…よく、70年代に存在したな。ほいで、また、歌謡曲のクセに、結構難しいじゃねぇか "ってね。
つまり、70年代の歌謡曲とか、「なつメロ」のくくりで、そら、いっぱいやったけど、やっぱ、ピンクレディーだけ、浮いてんだよね。これ、その当時も感じてたことだとは思うんだけど、いざ、楽譜! もう、比べてみると、全然違うんだよね。新しさがさ…。音の流れ, 使い方がさ。改めて、当時、"相当、センセーショナルだったんだなぁ~"って、思う。
ただ、「阿久 悠」と「都倉俊一」…この名前がなかったら、きっと、そうなってなかった…とも思う。
とにかく、『サウスポー』のイントロが、バチッ!って、そろった時のあの合奏の気持ちいい感覚を今でも覚えているぐらいなんだよね。そして、他の楽曲も…そう、革命的だった。あの年代の楽曲の中で、(演奏してて)、あんな、ドキドキしたことはなかったよ。
ピンクレディーは、吹奏楽を始めた頃の僕に、"音楽の楽しさと面白さ"を教えてくれたグループなのです。
【おニャン子クラブ】
この頃は、コンクール, コンテスト, 数々の演奏会等、"その日、最も人の心をうつ演奏がしたい!"…僕は、ある意味、勝負の世界にいた。だから、この「おニャン子クラブ」というか、そのファンというか、アイドル…というか、その…どうしても好きになれない部分があった。
それは、例えば、新田恵利とか、河合その子とかが、歌ってるでしょ。歌い終わるでしょ。カメラが、会場のファンにパーンナップ! まだ、エンデイング部分が流れてる。ステージでは、その世界を崩していないアイドルたちの精一杯の表情…。
でもね、もう、お客さんは、満面の笑みで、我先に!と、拍手する体勢, 格好に入ってんの。"俺が 1番に、ウォー!"って言う間合いを図ってんの。ぶっちゃけ、歌終わりの8小節なんて、聞いちゃいない。そこが、どうしても、好きになれなくてね。僕は、このあと、「アイドル的なもの」?と、なんか、距離を置いた…と思う。
【モーニング娘。】
『浅ヤン』を特に欠かさず観ていたわけではないので、モーニング娘。に、そんなに思い入れはなかった。だから? 『LOVEマシーン』の時も、別にそうでもなかった。番組発のユニット…僕の心は、どちらかというと、『ウリナリ!』発…ポケビとブラビの方にあった。
正直、「おニャン子クラブ」からの流れも(心の中)続いていたんだと思う。モーニング娘。を、いや、アイドルを認めていなかった…のかな?
だけど、あの1曲。それは、年末の賞レースのテレビを観てて、
"あ、これは、素晴らしいな。芸的に、素晴らしいな。フォーメーション等、複雑なことを工夫してやってんな~。でもって、爽やか~…これが、アイドルか…"
『ザ・ピ~ス!』 この曲が、全てを変えた。なによりも、この時、テレビに映っていたファンの人たちの姿勢が素晴らしかった。
"モーニング娘。のファンは、おニャン子クラブのそれとは違う"
それが、無性に嬉しかった。
【AKB48】
2008年 8月11日が、僕のAKBデビューの日。劇場もAKB自体も、それこそ、「AKB48」そのものを知った日が、その日だと言ってもいいぐらいの超初心者。
今、改めて思うよ…"僕は、1番いい時に、AKBを見たんじゃないのか?"って。
だって、その2日後、何があった(アンコールの件)…って知ったのは、だいぶ経ってからのことだったしさ。もしも、僕のAKBデビューの日が、同年、8月13日以降だったとしたら、ロビーで、その話で、もちきりだっただろうしさ…。
「ゼロ」で、AKBを見れなかったと思う。とにかく、僕は、あの日、画にかいたようなオノボリさん全開で、
"あの子、可愛いな~。この人が、「まゆゆ」って人? おい!小っちゃいの、あっち行け! あ、この子、浴衣とか似合うな~。思ってたよりも、レベル高いやん! ファンの人、ちゃんとしてるな~"
おそらく、きっと、こんな、純度100%の想いは、残せてなかったと思う。
そして、「AKB48」… なにより、なっちゃん(小っちゃいの)に引き合わせてくれた。感謝します。
キャンディーズ, ピンクレディー, おニャン子クラブ, モーニング娘。, AKB48…。「アイドル」とは、人を…より元気にする存在だと思う。それに気付かせてくれた5組のリレー。
【キャンディーズ】
彼女たちが活躍し始めた…あの当時、僕の中のアイドルは、間違いなく…ザ・ドリフターズだった。もう、キャンディーズなんて、眼中になし。
しかし、『8時だヨ 全員集合!』を観ていく内に、
"この人たち、(僕の大好きな)ドリフの間を壊さない人たちだなぁ~。邪魔しない人たちだなぁ~。なんか、番組のために「できる」人たちだなぁ~。ちゃんと、歯車になれるんだ~。何?他のアイドルとは、チョト違う…かも? "って、どんどんどんどん…好感度が、アップしていってね…。
それが、キャンディーズだった。だから、歌的なことは、後からジワジワ…って感じかな。
とにかく、"そんなアイドルもいるんだあ~"…心に刻まれた…というか、ちょっと気に入った…というか…。
ところが、時代は、ピンクの嵐が吹き始めていた。当然、僕も周りから、"お前、キャンディーズ派なのか? ピンクレディー派なのか?"…その選択を迫られていてね…。
でも、僕は、"ピンクレディーのことは、好きにならないでおこう!"と思ったんだ。理由は、今、考えると、"キャンディーズに操をたてた?" のかもしれない。なんか、そんな感じ…。
そういうのは、僕の人生において、後の…あれ、あの感じに似てる。 "ヤマト派? ガンダム派?"って、聞かれて、(宇宙戦艦)ヤマトが、大好きだった僕が、"ガンダムは、観ないでおこう!"と決めた…あの感じにさ。
キャンディーズとピンクレディー、ヤマトとガンダム。一見、世代? 世代の分かれ目? って思うけど、実は、そうではないと思ったりしている。
「それ」を裏切っちゃいけない感じを、僕は、キャンディーズから教わったのかなぁ~?とか、今では、思っているんだ。あの小っちゃい頃の記憶…。
【ピンクレディー】
30歳以上で、吹奏楽部出身の人は、このピンクレディーの楽曲(シングル曲)をステージ上で、吹きまくったことだと思う。そして、僕も…その1人。きっと、僕と同じ…こんな感想を持った人…多いんじゃないのかな?
"こんなの…よく、70年代に存在したな。ほいで、また、歌謡曲のクセに、結構難しいじゃねぇか "ってね。
つまり、70年代の歌謡曲とか、「なつメロ」のくくりで、そら、いっぱいやったけど、やっぱ、ピンクレディーだけ、浮いてんだよね。これ、その当時も感じてたことだとは思うんだけど、いざ、楽譜! もう、比べてみると、全然違うんだよね。新しさがさ…。音の流れ, 使い方がさ。改めて、当時、"相当、センセーショナルだったんだなぁ~"って、思う。
ただ、「阿久 悠」と「都倉俊一」…この名前がなかったら、きっと、そうなってなかった…とも思う。
とにかく、『サウスポー』のイントロが、バチッ!って、そろった時のあの合奏の気持ちいい感覚を今でも覚えているぐらいなんだよね。そして、他の楽曲も…そう、革命的だった。あの年代の楽曲の中で、(演奏してて)、あんな、ドキドキしたことはなかったよ。
ピンクレディーは、吹奏楽を始めた頃の僕に、"音楽の楽しさと面白さ"を教えてくれたグループなのです。
【おニャン子クラブ】
この頃は、コンクール, コンテスト, 数々の演奏会等、"その日、最も人の心をうつ演奏がしたい!"…僕は、ある意味、勝負の世界にいた。だから、この「おニャン子クラブ」というか、そのファンというか、アイドル…というか、その…どうしても好きになれない部分があった。
それは、例えば、新田恵利とか、河合その子とかが、歌ってるでしょ。歌い終わるでしょ。カメラが、会場のファンにパーンナップ! まだ、エンデイング部分が流れてる。ステージでは、その世界を崩していないアイドルたちの精一杯の表情…。
でもね、もう、お客さんは、満面の笑みで、我先に!と、拍手する体勢, 格好に入ってんの。"俺が 1番に、ウォー!"って言う間合いを図ってんの。ぶっちゃけ、歌終わりの8小節なんて、聞いちゃいない。そこが、どうしても、好きになれなくてね。僕は、このあと、「アイドル的なもの」?と、なんか、距離を置いた…と思う。
【モーニング娘。】
『浅ヤン』を特に欠かさず観ていたわけではないので、モーニング娘。に、そんなに思い入れはなかった。だから? 『LOVEマシーン』の時も、別にそうでもなかった。番組発のユニット…僕の心は、どちらかというと、『ウリナリ!』発…ポケビとブラビの方にあった。
正直、「おニャン子クラブ」からの流れも(心の中)続いていたんだと思う。モーニング娘。を、いや、アイドルを認めていなかった…のかな?
だけど、あの1曲。それは、年末の賞レースのテレビを観てて、
"あ、これは、素晴らしいな。芸的に、素晴らしいな。フォーメーション等、複雑なことを工夫してやってんな~。でもって、爽やか~…これが、アイドルか…"
『ザ・ピ~ス!』 この曲が、全てを変えた。なによりも、この時、テレビに映っていたファンの人たちの姿勢が素晴らしかった。
"モーニング娘。のファンは、おニャン子クラブのそれとは違う"
それが、無性に嬉しかった。
【AKB48】
2008年 8月11日が、僕のAKBデビューの日。劇場もAKB自体も、それこそ、「AKB48」そのものを知った日が、その日だと言ってもいいぐらいの超初心者。
今、改めて思うよ…"僕は、1番いい時に、AKBを見たんじゃないのか?"って。
だって、その2日後、何があった(アンコールの件)…って知ったのは、だいぶ経ってからのことだったしさ。もしも、僕のAKBデビューの日が、同年、8月13日以降だったとしたら、ロビーで、その話で、もちきりだっただろうしさ…。
「ゼロ」で、AKBを見れなかったと思う。とにかく、僕は、あの日、画にかいたようなオノボリさん全開で、
"あの子、可愛いな~。この人が、「まゆゆ」って人? おい!小っちゃいの、あっち行け! あ、この子、浴衣とか似合うな~。思ってたよりも、レベル高いやん! ファンの人、ちゃんとしてるな~"
おそらく、きっと、こんな、純度100%の想いは、残せてなかったと思う。
そして、「AKB48」… なにより、なっちゃん(小っちゃいの)に引き合わせてくれた。感謝します。
キャンディーズ, ピンクレディー, おニャン子クラブ, モーニング娘。, AKB48…。「アイドル」とは、人を…より元気にする存在だと思う。それに気付かせてくれた5組のリレー。