WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

そして誰もいなくなった

2007年09月11日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

 鈴虫の鳴き声が少なくなってきた。オスが減ってきたのだ。飼育カゴをのぞくとオスはわずか2匹しか残っていなかった。あとは全てメスばかり。

 写真でモリモリと餌を喰っているのはメス。右上隅に追いやられているのがオスで、いずれはこの丸々と太った“おばさん鈴虫”の餌食となってしまう運命なのだ。

 「そして誰もいなくなった」というミステリーがあるが、間もなくこの飼育カゴも“そして誰もいなくなる”だろう。
 鈴虫に個は無い。オスはメスを求めて鳴き続け、子作りをしてやがてその身もすべてメスに捧げるのだ。メスも産卵を終えたものから残ったメスに喰われていく。究極の種の保存戦略だ。

 数百年後の未来、人類は女ばかり。オスは選択された精子採取用個体のみ、専用施設で飼育されている。
 200年前、人類は人口爆発と食糧不足、環境破壊で種の保存の危機に直面していた。水面下では各国の女性リーダー達が密かにこの危機を乗り切るための究極の種の保存計画を着々と準備していたのだ。精子採取されたオスはやがてミートホープの処理工場へ送られ...。お~、コワ

 男性のみなさん、そう悲観することも無い。バイオサイエンスが危機を救ってくれるかもしれない。そのときはオスそのものが不要になるだろう。


「都会にすむセミたち」

2007年08月30日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

セミはカメムシの仲間!であることをこの本で初めて知った。

 それはさておき、812日の「セミごよみ」でも書いたように、京都でも私が子供の頃と比べるとやたらクマゼミが増え、ニイニイゼミをまったく見かけなくなった。「地球温暖化と何か関係があるのだろうか?」という疑問もわいたがよく分からない。クマゼミの分布地域の北上については、マスコミで「温暖化の影響」をにおわせる論調もあり、誰かきちんと調べた人はいないのかとネット検索してみたが意外にないのである。そんなこんなでもやもやした気持ちが残っていたところ、あった!やっぱり調べた人はいたのだ。

 ただしこの本では「セミの分布や増減と地球温暖化との関連性について」、「環境屋さん」が期待するような結論は示されていない。この本のよいところは、この問題を考察するためには現状の蓄積データでは限界があること、現状のデータではどこまでのことが言えるかを冷静、公正に説明し、科学的なものの見方・考え方について「セミと温暖化」を例に分かりやすく示しているところにある。

 20032004年にいくつかの都市でセミの分布を調べたところ、大阪ではクマゼミ、和歌山では大阪より温暖なのにアブラゼミが多く、名古屋もアブラゼミが多い、東京ではアブラゼミとミンミンゼミ、仙台ではミンミンゼミ、札幌ではアブラゼミが多いが他で見つかっていないエゾハルゼミ、エゾゼミが見つかり、福岡・鹿児島ではクマゼミが多いだろうという予想に反してアブラゼミの方が少し多かった。これらの結果からクマゼミの生息には、温暖である以外に都市的環境が有利に働いていることが推測された。

 大阪でも1980年代頃からクマゼミが増え始めたと多くの人が証言しているが、きちんと調査した記録はない。「前年と比べてクマゼミが増えた」というとマスコミなどはすぐ「地球温暖化の影響」と騒ぐが、科学的データに基づく検証は行われていないのでなんとも言えない。

 温暖化とセミの数と分布とに関連があるかどうかを考察するためのデータとしては2つの調査結果が得られている。1つは、1993年からセミの抜け殻の数を数える調査で、セミの数は毎年ごとに増減を繰り返しており、4年ごとの合計で比較するとほぼ一定であるという規則性があることがわかった。2つめは、8月の平均気温が25.1℃以上かつ1月の平均気温が3℃以上の地域でクマゼミの発生が見られそれ以外の地域ではほとんど見られないことがわかった。しかし、これらの結果からただちに温暖化と結びつけるのは早計である。 

 セミの分布と増減についてのデータがとられ始めたのは90年代以降であり、温暖化が話題となる以前のデータがなく比較ができない。その他の様々な生物や生態系への地球温暖化の影響についても科学的に考察するに足る基礎データの不足は否めないケースが多い。例えばマツタケの発生と温暖化との関連についてもまずは考察に耐えるだけのデータの蓄積が必要であろう。

 考えてみるとセミだけでなく、海面上昇や異常気象など温暖化の影響と言われている事象についても、一体どの程度批判に耐えうる科学的検証が行われているのか疑問がわいてくる。こうした自然環境の変化にすぐ「温暖化の影響があるのでは?」と考えてしまう思考回路自体、すでに洗脳されている証かもしれない(くわばら、くわばら)。

 私はどちらかと言えば「環境保護派」「エコ派」であると思う。少なくとも「地球温暖化」や「自然環境破壊」と言われるような問題は確かにあるかもしれない、どうもありそうだという問題意識は持っている。しかし、どういう意図が働いているのか分からないが、最近の環境、エコブームは、疑問をさしはさむことを許さない「環境ファッシズム」とでも言いたくなるような情況を呈している。「地球温暖化」と結びつけてものを言うとマスコミにもてはやされ、予算も獲得できるということでこれらをネタにする「エコ屋」、「環境屋」、「温暖化屋」とでも呼んだ方がよいような人たちが目につき過ぎる。「環境にやさしいエコ商品」を売ったり、初めから温暖化ありきの「研究」や「エコイベント」で金とエネルギーを浪費しているような「本末転倒」のような人たちもいるから始末が悪い。そんな中で、「環境ファッシズム」に異論を唱えている人たちも少数ながらいることはいる。そちらに組するわけではないがこういう現状だからこそそうした意見にも耳を傾けたいものだ。「反環境ファッシズム」本についてはまた改めて書こうと思う。


セミごよみ

2007年08月12日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

などという言葉があるのかどうか知らないが、少年の頃は6月のニイニイゼミから9月のツクツクボウシまで、セミの声に夏の時の移り変わりを感じたものだった。
 ニイニイゼミの声を聞かなくなって久しい。ミンミンゼミやヒグラシの声を聞くことも少ない。アブラゼミの声にクマゼミが勝ち始めるのも早くなった気がする。東京でもクマゼミが増えたらしい。九州から持ち込まれた街路樹にクマゼミが潜んでいたとする説もあるようだが。京都より暑いと思っていた小豆島では、7月末すでにツクツクボウシが鳴いていた。大江ではまだヒグラシがにぎやかである。夏、セミの声に時のうつろいを感じられることはなくなってしまったが、地域を感じられるようにはなってきているらしい。


「次の生き方」+「このままでいいんですか―もうひとつの生き方を求めて―」(森 孝之)

2007年07月27日 | 環境・エコ・共生・持続・温暖化とか・・

  これからのライフスタイルを考えるにあたって大いに影響を受けた著書2冊。
 大量生産、大量消費を「発展」の推進力とする現代社会に対するアンチテーゼとしてのエコライフ。今でこそ巷ではエコの大合唱であるが、著者の優れるところはエコブームに乗っかるのでなく、バブルはるか以前からそれを孤高に実践してきたことにある。著者自身も著書の中でそのことに対する自負を述べている。ただ残念なのはそのことへの自負のあまり、著者や著者世代の幸運と言ってもよい社会的条件と、エコライフの声が高まれば高まるほどに逆に、特に若者をめぐるエコライフどころではない基本的生活そのものの困難さが増大している社会状況の変化に思い及んでいないところである。
 ひたすら日本の戦後復興と経済発展のために邁進してきて、そこそこの蓄えと退職金があり、親世代が残してくれた土地があり、切り下げられる以前の比較的豊かな年金の恩恵にも浴することができる、いわゆる団塊世代以上の人達 ―全員がそうでないのは言うまでもない― に対して、経済至上主義の価値観とライフスタイルの「自己責任」による転換を訴える著者の提案は妥当性も高く確かに傾聴に値するだろう。
 しかし、ワーキングプアという言葉に象徴される不安定な雇用と収入、年金を筆頭に切り下げられる社会保障で生活不安の増大する、特に30歳台以下の若者にとっては悠長にエコライフなどと言ってはいられないのだ。いやすでに貧乏生活を強いられている彼らこそ意識改革など求められるまでもなく、金を使わない(金が無い)生活と言う意味ではすでに「エコライフ」を実践している、いやせざるを得ないのだ。ただ彼らの「エコライフ」は著者の言う自然と共生した創造的で豊かなエコライフとはほど遠い。彼らの所得では「エコ」という付加価値で高値を付けられた「エコ商品」など買えるべくも無い。
 著者の理想とするライフスタイルは、小金持ち以上の層、すなわち農的生活に適した広い土地を所有し、学齢期の子供と住宅ローンを抱えた生活費の心配も無く、比較的高価な「エコ」商品を購入でき、時間も自由になる恵まれた著者のような人達でなければ実現不可能だろう。私自身も著者には到底及ばないにしてもそこそこの退職金と蓄えと学齢期を終えた子供達という条件があったからこそ自分なりの「エコライフ」を目ざすスタートを切ることができたのだ。そうした弱点もあることを踏まえた上で読み解けば、著者の説くところには大いに啓蒙させられるところ大であり、なにより机上の論ではなく実践に基づく著者のライフスタイル論は強い説得力を持って迫ってくる。著者が「庭宇宙」と呼ぶ「アイトワ」へ。