このあわただしい年末に、ドタバタ“総選挙”が行われることになった。
以下少し長いが、賀茂川耕助氏のブログからの引用。
『先日、民主主義について書かれた『カーボンデモクラシー』(Tim Michell著)という本を興味深く読んだ。近代社会に民主主義をもたらしたのはカーボン、石炭であったという分析だ。石炭は採掘から利用に至るプロセスにおいて多くの労働者を必要とし、そのため労働者が社会や政治に大きな影響を及ぼした。さらに国家エリートたちの目的は常に、エネルギー資源からどれだけ利益を得られるかであって、エネルギーをいかに効率よく利用するかではないと著者は指摘する。
石炭産業は労働集約型であり、したがって労働者への依存度が高く、ストライキをすればたちまち社会に大きな影響が及ぶ。19世紀のイギリスでは、炭鉱夫はストライキをすることで労働環境、賃金の改善、選挙権などを勝ち取った。そして労働組合を組織し、民主主義が形成されていったのである。このため支配者側は、エネルギー資源を石炭から資本集約型の石油へと切り替える決断をした。
1910年代、イギリスの炭鉱で大きなストライキが起き、チャーチルは海軍を石炭から石油に切り替え、この時からイギリスは、イギリスの労働者よりも、中東諸国の石油に依存するようになる。欧米のそれ以後の中東への関与をみれば、近代史がいかにエネルギー資源を中心に展開してきたか、一目瞭然である。同時に石油会社はさまざまな手段を使って石油を大量消費するスタイルを推し進めた。民主主義が石炭というエネルギーを利用する過程で形成されたものであるなら、石油中心となって機械化の進んだ社会になれば、労働者が政治に及ぼす影響は弱体化する。そうなれば民主主義が機能不全に陥るのも不思議ではない。
日本もかつて労働者が社会を支えていた時代があった。炭坑や工場、鉄道などがストライキをすれば社会の機能は停止するため、欧米同様、労働者が政治に対して大きな影響力を持っていた。しかし労働者も労働組合の力も弱まった今、一般国民が政府の政策に対して抗議行動をとることが、どれほどの影響を与えるというのだろう。
代わって19世紀の炭鉱夫のような強い影響力を政府に対して持つのは多国籍企業などの大企業となった。だからこそ、ウォール街占拠運動やオスプレイ反対、脱原発運動が行われても政策は変わることはないのだ。もちろん、日本の政治家が武士道のような道徳教育を受けていれば、抗議活動がなくても国民の幸福を優先する選択をしていたかもしれない。しかし堕落した、または善悪の判断をもたない政治家は、もはや自分らの利己的な利益のためにしか行動しない。
大多数の国民が積極的に抗議活動に参加すれば、政治家を改心させることはできるかもしれない。しかし真剣に政治や環境を考えている国民はどれほどいるのだろう。もはや衆愚政治だと認めざるを得ないのが今の日本の現状なのである。』
同感である。その衆愚の極みが有象無象のいわゆる「第三極」現象である。TVは芸人バラエティにアイドルバラエティ、報道バラエティで愚民再生産に大いに貢献したが、政治までもがバラエティ化してしまった。
総選挙は間違いなく自民党が勝って政権に返り咲く。そして民主党に替わって「第三極」野合集団が見かけの「2大政党制」のもう1極を演じることになるだけで、政治の構造は衆愚に合わせて結局何も変わらないのは目に見えている。