WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

沖縄戦 546日を歩く

2022年05月24日 | 面白かった本


太平洋戦争末期の沖縄戦についてはよく取り上げられ衆知となっている。しかしそれはあくまで本島、とりわけ南部での玉砕、自決、日本軍による県民虐待といった出来事が中心である。6月23日が沖縄戦終結の日とされている。しかしそれは本島の話、周辺の離島では本島との往来を閉ざされ、6月23日以降も終戦を知らされず食糧も無く多数が餓死、負傷病死した地獄があったことはほとんど知られていない。そんなダークな歴史にも丹念に迫ったドキュメンタリーである。

悲惨だった沖縄戦はじめ、中東、ウクライナのように今も世界中のどこかで絶えず起こっている戦争、紛争から、私たちが学び考えるべきことは何だろうか? それは単純に「いかに戦争を起こさないようにするか」ではないだろうか、という著者の問いかけである。

「平和」「安全保障」を守るために今大きく「争われている?」2大代表論は、軍事力増強と軍事同盟の「抑止力」に頼るのか、あるいは憲法9条のような不戦宣言と他国への「信頼」に頼るのか、である。
ただ、「抑止力」に頼る方法は「武力」「戦争」を前提としていることだけは確かだ。

amazonのレビュー投稿の多くが誤解しているように、著者は決して「中立」の立場ではない。近年の「抑止力」に頼ろうとする傾向には明確に危惧を表明されている。
しかし取材の中で、「武力増強(=抑止力)反対・9条擁護」派の交通妨害など県民生活への支障を無視した行動に眉をひそめる県民もいることを指摘。普通の生活者としての県民の頭越しに行われる「争い」には疑問を呈している。

紛争が起これば当然ながら敵の軍事基地と武力は必ず攻撃対象になる、
現代では、敵の武力と中枢をたたくのはOKだが、民間人を攻撃するのは違反(戦争犯罪?)などといった、暗黙の了解のような妙な「戦争ルール?」が出来上がってしまっている。そもそも戦争の本質は「壊し合い、殺し合いの犯罪合戦」だということが忘れられてしまっている。

しかもプーチンロシアのように「ネオナチとの闘い」などと都合の良い一方的「大義」を立ててそんな「戦争ルール」さえも無視する「狂気」のような権力者が現れれば「抑止力」もへったくれも無く、「信頼に基づく不戦宣言」など絵に描いた餅でしかない事態も起こりうるのだ。

人間同士の争いがなぜ起こるのか?言い分の違いを武力以外の方法で解決するために何が必要か?世界中から武器、軍隊、戦争を無くすために何をすべきか?すべての地球人が考え、実践しない限り解決はないだろう。