WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

ツリーハウス、ボート製作見学と木津港史跡

2022年08月28日 | お遊び

近江今津でボート製作をしている友人の製作現場を見学させてもらいました。
ついでにボート工房付近の琵琶湖散策と友人の友人が作ったツリーハウス見学も。

ボート工房
アメリカでボート製作を学んできた方の工房での製作講習ワークショップ。受講者数名がボート作りをしています。
こちらが友人が制作中のボート。4月から土日に通って制作を続け9割方完成のようで、あとは全体をサンディングで磨いて塗装をすれば完成とのこと。他の受講者が制作中のボートも4艘、工房オーナーの物らしいボートと制作中の小型ヨットもありました。

ツリーハウス。
付近のバブル期に開発されたと思われる別荘地の一角にありました。
高さ約6mと結構な高さのまさにツリーハウス。オーナー不在だったため残念ながらハウス内部は見せてもらえませんでしたが、大変参考になりました。いいなあ、うらやましい。男のロマン。寄る年波、体力の低下で難しいですができることなら作ってみたい。

さて、工房のある近江今津は昔、琵琶湖水運を利用した交易の中継地として大いに栄えた歴史があります。
夜間も航行する交易船の目印となった「常夜灯」(今でいう「灯台」ですね)が今も残されています。

私が指さしている右端中段に見える小島が「竹生島」。
旧三高(京大)ボート部の「琵琶湖周航の歌」に「小松が里の乙女ごは 赤い椿の森陰に はかない恋と泣くとかや~」「古い伝えの竹生島、仏の御手に抱かれて 眠れ乙女ご 安らけく~」と歌われた悲恋物語の地です。

今津には「琵琶湖周航の歌記念館」があり、歌誕生にまつわる物語と、その後の加藤登紀子さんはじめ多くの方々に愛唱され、外国語に翻訳されて海外にも広がっている背景が詳しく展示・解説されています。

琵琶湖水運交易の栄えた時代、この地は昔「木津(こづ)」と呼ばれていたそうです。防風林を兼ねた松林(木)が広がった港(津)だったのかもしれません。交易港のあった所の地名には「津」の字が充てられていることが多いですね。明治の廃藩置県により地名の整理が行われ、「木津」=「古津」からの~、今現在の「津」=「今津」と地名改称がなされたとか?知らんけど
現地湖畔にはこんな案内板も掲示されていました。

江戸時代は小浜藩の領地で、港管理のための藩屋敷もあったそうです。