WESTWOOD -手作りビンボー暮らし-

持続可能な社会とは、必要なものはできる限り自分(達)で作る社会のことだ。衣食住なんでも自分で作れる人が偉いのだ。

おきげい琉球古典音楽出前コンサート

2022年11月27日 | 沖縄
県立博物館に来たらタイミングよく「おきげい(沖縄県立芸術大学)琉球古典音楽出前コンサート」をやっていた。なかなかない機会なので、急遽予定変更で鑑賞させていただきました。
5曲演奏されたうちから「揚作田節」。言葉の意味は分かりませんが、月並みな感想ながら、心が洗われる感じがしました。
”新都心”、こういう街づくりをすべきだったと思う。
上の動画は、前半の部のメンバーの”野村流”での演奏でした。

琉球古典音楽には主要流派として「湛水流」「野村流」「安冨祖流」があります。「湛水流」で琉球古典音楽が完成し、そこから「野村流」「安冨祖流」が成立していった、とされています。
「野村流」では「聲楽譜附工工四」という歌い方まで示した楽譜が確立されていて、ほぼその楽譜に忠実に演奏するのが特徴。個人的にはより雅楽的な印象を受けました。

対して安冨祖流は楽譜などの教科書的なものより「口伝」をよしとしており、比較的自由で独特の抑揚や節回しを特徴とする。伝承の途中で歌い方に変化も起きやすいかもしれません。
ーーとまあ、ネット解説受け売り😅。興味のある方はご自分でお調べください。

同じ出前コンサート後半の部で同じ曲「揚作田節」の”安冨祖流”演奏が別のグループにて演奏されたので、ご興味おありの方のためご参考まで紹介しておきます(まあ、あまりおられないかとは思いますが😅)。
聴き比べてみると確かに安冨祖流では、演歌でいうところのコブシのような節回しとか、やや大げさな抑揚とかを感じることができます。
 
それにつけても、県独自の芸術、芸能がたくさんあって、しかもそれらを専門に教え育成する大学まである県が他にあるだろうか?京都には芸術系大学がはいて捨てるほどあるけれど、洋画、日本画、染色、陶芸とか一般的なもの以外で、京都独自の芸術、芸能ってあるのだろうか?

大失敗作 新都心

2022年11月27日 | 沖縄
沖縄は魅力いっぱいだけれど、当然ながら良いことばかりではない。

敗戦で米軍基地用地を「提供」し不労所得を得る軍用地主と持たざる者との分断、基地不満分子懐柔策としての「シャブ漬け」ならぬ「補助金漬け」による依存症体質化(もっともその補助金も大半が本土大手(土建)企業を通じて本土に還流されてしまうのだが多くの県民は気付いていない)。

その象徴の1つが、米軍返還地に(元)住民無視で安直に作った新都心。「東京砂漠」かと見紛う「沖縄砂漠」。「🎵だーれもいない海」ならぬ「🎵だーれもいない街」。これらの写真を東京、横浜か、はたまた名古屋、大阪と言って見せても誰もがそう信じて疑わないだろう。

都会は頭のいかれた自称都市計画専門家がミスリードしたこんな砂漠だらけだが、沖縄以外の砂漠都市には少なくとも都市砂漠に適応させられ家(社)畜化してしまった人間たちがうじゃうじゃいるけれど。ウチナーンチュはちゃっかり補助金(沖縄振興対策交付金)は受け取っても、都市砂漠にはさすがにまだなじめないようだ。

それにしても何でこんなウチナンチュがなじめない、人間を疎外してしまった都市のコピーを作ってしまったのか。その答えは新都心プロジェクトを主導したのが本土の、沖縄を全く分かっていない、てか沖縄を理解も真剣に考える気もないグランドデザイナーと大手建設企業だったからに他ならない。

ここまで見事な都市化失敗作を見せつけられると噴気を通り越して哀れを誘う。
 
 

見事なくらい閑散とした”新都心”


気持ち良い秋の日曜日の昼下がり、ゆいレール、新都心アクセス駅「おもろまち」。
おもろまち、なんか皮肉だなあ🥹
 
免税店を作りFENDI、LOUIS VUITTONを呼んでくれば賑わい活性化間違いなし?😞。典型的な浅薄都市脳の発想。