tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

謎の小道

2006-10-22 16:12:32 | プチ放浪 山道編

自転車で海を目指した日曜日の早朝。いつもバスで通っている道の途中に、その謎の小道があった。
通りに面した雑木林にぽっかり開いた謎の小道。こんな道を見つけると、ワクワク・ドキドキしてしまう。この道の向こうには何があるんだろう。レオナルド・ディカプリオの『ザ・ビーチ』にあったような人知れず隔離されたパラダイスがあるのだろうか? それとも、クエンティン・タランティーノの究極のリアル・ホラー『ホステル』が待っているのだろうか? 僕は、サイクリングの行き先をこの謎の小道に変えて、雑木林の中の小道に入っていった。

スイスのほぼ中心部、ベルナーオーバーラントの二つの湖 (トゥーン湖とブリエンツ湖) の間に位置するインターラーケンは、標高 570m、ユングフラウ、アイガー、メンヒなどに代表されるベルナーオーバーラントのホリデーリゾート、スキーリゾートへの基点であり、山と湖の両方がいっぺんに堪能できる観光の街である。
ポルトガルのリスボンに到着した翌日の昼下がり、通りに面したオープンカフェで、現地で知り合ったカナダの青年とポートワインを飲んでいた僕は、イスの下に置いたバッグを盗まれてしまった。被害は、パスポート、ペンタックス1眼レフカメラ、そしてトラベラースチェック。2ヶ月のヨーロッパ滞在予定のうち、1ヶ月が過ぎようとしていた時だった。
早速、大使館でパスポートの再発行。街の写真屋で写真を撮り、1週間かけて新しいパスポートを手にする。また、警察に被害届けを出し、Internationl City Bankへトラベラーズチェックの再発行の依頼へ。ところが、銀行側は、残りすべてのチェックはすぐには再発行できないと言う。文句を言うが盗られたお前が悪いと取り付く島も無い。当座のお金として、100ドル程度発行してもらう。1週間後、また窓口へどうぞとのこと。
1週間後に窓口に行くと前と状況は同じ。また100ドルもらって次週にまた来てくれと言う。ポルトガルに2週間カンヅメになっていた僕はほぼ北から南まで観光地を回りつくし、思い切って物価の高いスイスまでやって来た。当時、1日10ドルもあればホテル代も入れて一日が過ごせた。お金がなくなったら、ユーレイルパスを使って電車を乗り継ぎリスボンに戻ればいいやと考えていた。

インターラーケンからユングフラウヨッホまでは、ユングフラウ鉄道(JB)で行くのが普通。所要約50分で標高3454mの山上駅ユングフラウヨッホまで行くことができる。料金はSFr.168.80(往復)、日本円で約2万円。100ドルぽっちしか所持金がない僕は、このお金が払えなかった。ちんたら走る登山鉄道で山頂駅まで50分、おまけに標高3454mの山上はすぐそこに見える。僕は、登山鉄道に沿って連なる道をふもとのインターラーケンから登り始めた。山頂は無理でも白く輝く雪渓までたどり着けばいいやと考えていた。時間はたくさんある。
スイスは、そこにある物すべてが観光地である。ほとんど人が通らないこの登山道ですら綺麗に整備されて、アルプスを植生とする高山植物が、あのエーデルワイスなどの花々が咲き乱れている。絶景だ。
2時間ぐらい山道を登っていた僕は、雪渓どころか、山のふもとまで辿り着くのも無理であることを悟った。近くに見えていた山は、2時間歩いてもそのままの大きさで一向に近づく気配がない。とそこに、脇道が見えた。道の向こう側には、牧草のしげる丘の中腹に典型的なスイスの農家が見える。ちょっと、寄って道を聞いてみよう。山の裾野まであるいてどれぐらいかかるのか情報を得ようと思ったのだ。
赤い屋根の農家の庭先に出て、「Hello!」と声をかけたが返事が無い。「Excuse me!」さらに進んで声をかける。その時だった。子牛ほどもある体の大きなセントバーナードが、5メートルぐらい先から憤怒のうなり声を上げて襲い掛かってきた。熊だと思った。いや、正確には薄茶色の体毛が脳裏に焼きついているので白熊か。瞬時に、ただではすまない状況を把握した。とっさに、僕は目で犬の鎖を探した。が、はっきりと見えない。すべてはスローモーションのようにコマ送りで時間が進行した。犬は、僕をめがけて最後の跳躍をする。僕は、とっさに身をかがめ、恐怖のあまり一歩退く。犬の牙が僕の顔に迫る。大きな牙が目の前に見える。僕は、顔を背けて目を閉じる。その時、鎖がピンと張り、寸前で犬が引き戻される。

あと一歩だった。その一歩が、犬の襲撃から守ってくれていた。僕は、ほうほうの体で農家を後にした。登山はあきらめ、ふもとの町に帰っていった。リスボンに戻ると、駅でペンタックスのカメラを売ると売人が声をかけて来た。・・・僕の盗られたカメラも知れない。こいつは知ってて、声を掛けてきたのだろうか。そうであるのなら、失くしたカメラが買い戻される可能性が高いと思ったのだろう。でも、警察に通報されることは考えないのだろうか?たとえ、通報されても証拠が無いことを理由にしらを切るつもりか。いや、彼らには東洋人の顔を記憶することには慣れていないはず。確かめて見たい気もしたが、貧民街に連れ込まれて何をされるかわからない。臆病になっていた僕は、カメラを確かめるのをあきらめた。

いろんな人に世話になった。いっしょにワインを飲んでいたカナダの青年、日本大使館の職員、銀行の窓口の女性、盗難届けを出しに行った時の警官、宿の主人。途方に暮れてリスボンの町を歩いていて、まともにぶつかっちまったバイクの兄ちゃん、跳ね飛ばされた僕を見て、心配そうに駆けつけてくれたまわりの通行人たち。市場の女の子、レストランのボーイ。確かに失ったものはあったが、それよりも大きなものを得ることができた。人の情けの有難さをつくづく感じた日々であった。

コメント
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