プナ宅で中に招かれ、ソファーにかけると、さっそく、バリコピでもてなし。しかし、粉がカップの底にたまるバリ式コピではない。プナがバナナのフライを盛った皿を勧めてくれた。遠慮なく、手を伸ばす。ここは手づかみで食べても問題なさそうだ。 この揚げバナナは、甘味こそ薄いけどイモのようなホクホクした感じだ。お腹がすいているのか、テーブルの隅に着いた長男も、その皿に手を伸ばした。長男と次男は、どこかのレストランでウェーターの仕事をしているらしい。
奥さんと次男、長女は、テーブルには着かずに、部屋の隅にイスを並べてテレビを見ている。バリで見れる放送局は1チャンネルだけらしい。タレントを目指す芸人が、その芸を競い合うショーのようなものをやっていたのだが、番組の趣旨は説明して貰ってもよくわからなかった。
そのうち、次男も揚げバナナの皿に手を伸ばして食べ始めた。長女は、アパルトメーカーに勤めていて、針子の仕事をしているらしい。重苦しいカースト制度ではあるが、この一家にとっては、ビアイシャとして商業や製造業などの職業の選択の自由があるようだ。ただ、工科大学を出ても、競争率が高いので給料の良い専門職に就くのは難しそうだ。
プナが大量のサラックという果物を、お土産にと袋につめてくれた。この果物、後で調べたら、別名「スネークフルーツ」。皮が、ヘビの体の表面に似てるかららしい。味は甘くもなく、酸っぱくも無く、味気ない。カリカリして、多少、筋ぽい。残念ながら、生の果物は検疫で引っかかり、日本へは持って帰ることができない。そう説明して、丁寧に断る。
さらに、プナはヤシの蒸留酒であるアラックの味見をさせてくれた。そして、新しいアラックのビンもお土産に持って帰れという。どうやら、プナ家にとって突然の訪問者であったぼくのため、長男が雨の中をバイクで大量のサラックとアラックをひとビン買い求めてきてくれたようだ。だから、彼はずぶぬれだったんだ。彼には申し訳ないが、アラックも手荷物重量の関係で持って帰れない。
飾ってあった彼の卒業式の写真について訊ねると、人口約280万人のバリには複数の大学があるという。日本について聞かれ、TOKYOは約4倍の人口で100校ぐらいの大学と短大があると教えたら、彼はびっくりしていた。大学の話が出たついでに、気候変動枠組条約第13回締約国会議(COP13)の話をする。バリで2007年12月に開催されたばかりだから、バリの人々でも、地球温暖化「Global Warming」 という言葉が、興味の対象になっているはずだ。
「バリ島が海面上昇で沈むかもしれない」という過剰な危機感を、彼らはまだ抱いていないようだった。ただ、海辺のリゾート開発により、ウミガメの産卵場所が奪われたり、海水が廃棄物から出る油によって汚れることには、強い関心を持っていた。
彼ら、バリの若い世代の人たちに、インドネシアの今ある森を残す事、より健全にする事がCO2の削減に効果的であるということ教えることができた。今回のぼくのバリの旅の最大の成果と言える。
そんなおしゃべりを兄弟たちとしていたら、台所で料理を作っていたプナがヤキソバの入った皿を持ってきてぼくに勧めてくれた。フォークも添えてある。野菜がたっぷり入っていて、とてもおいしい。一人で食べていたのだが、みんなは、もうすでに夕食を終えているようだった。
結局、バリコピを1袋と、両手に一杯のスネークフルーツを明日の朝食にと貰い、ぼくはみんなの写真をとってプナ家をおいとました。帰りは、プナがぼくをバイクに乗せてホテルまで送ってくれた。
バリの人々は、酒を飲んでドンちゃん騒ぎというのは、しないのかもしれない。モスラムは飲酒が禁止されているので、その影響なのだろうか。確かに、夜の町には千鳥足のバリニーズや、バリニーズの男たちが酒を飲み交わしている店とかを見かけなかった。プナ自身も、ビールしか飲まず、強いアルコールのアラックは飲まないと言っていた。一家で、テレビを見ながらコーヒーで団欒。これが、一般的なバリニーズの夜のスタイルなのだろう。