人がサイドカーに惹かれるようになるきっかけはなんだろう。おしゃれな中年の男性が、ゴーグルをつけた奥さんをサイドカーに乗せて運転しているのにすれ違う。まれに、この映画のように、犬用ゴーグルをつけた大型犬を乗せたドライバーを見かけたことがあるが、やっぱり初老の男性でお金持ち風。・・・・・・カッコいい。
以前、田舎で雑種の犬を飼っていた頃、サイドカーの購入を考えたことがあった。ロシアのサイドカー「ウラル」のコピー。100万円前後。乗っていたバイクが中古のYAMAHA MR50 7万円。原付モトクロスバイクとサイドカーの組み合わせは、いかに大胆で世間知らずなぼくでも、自分の美意識がそれを許さなかった。その上、犬は乗り物に弱く、吐いちまうし。
このサイドカー。戦争映画などでドイツ軍が使用するシーンをよく見かける。これの名前を取ったカクテルがある。ブランデーの香りがよく、口当たりもいいスタンダードカクテルの名作だ。第1次世界大戦の頃なのだが、フランス軍将校が残ったブランデーにありあわせの材料を混ぜて作ったとか、サイドカーに乗ったドイツ軍将校が占領したフランスの民家にあったもので作ったなどいろいろな説があって、そのレシピの由来は確定はされていないようだ。
さて、この映画の原作は、「猛スピードで母は」で第126回芥川賞を受賞した長嶋有のデビュー作にして、第92回文學界新人賞に輝いた「サイドカーに犬」。
1980年代。母親が家出し、父親と弟の男2人に囲まれて暮らすことになった10歳の女の子、薫。ある日、洋子という女が突然押しかけてきて、家事をやり始める。どこからやって来るのかなど、すべてが謎に包まれている洋子。薫は鈍感なのか、しっかりしてるのか状況をじっと見てる。洋子に言わせれば、「薫はハードボイルドな女」なのだ。
結局、子供っていうのは、孤独っていうものに凄く敏感だ。そして母という存在は、意識的に心の隅に押し込めていても、やっぱり深い。多くの子どもは、少しの不安と臆病さを持って、大人になっていく。だから、薫に共感する部分は多く、ふと、自分の子小学生の日々に引き戻されてしまう。ぼくにも、小さな子どもの世界を広げてくれる、そんな人がいたのかもしれない。。麦チョコかあ。エサって言うなよ。
父が運転するサイドカー。後ろのシートには洋子、サイドカーに薫。サイドカーは、タンデムのように距離が近くないうえ、隣の二人を見上げることができる。それが薫のお気に入りなのだ。
子供の思いや感情には無関係に、家族の運命は決まっていく。父親との別れで、甘えベタな娘が見せた精一杯の表現は、頭突き。そして、犬の鳴き声。サイドカーに乗せられて、凛として座っている犬に薫は憧れていた。
父親も娘の意外な行動にとまどいながらも“ワン”と言い返す。胸が熱くなった。
入り江にあるエメラルドグリーンの静かなビーチ。洋子と薫が夏休みに泊まった場所だ。カメの手を探して、この夏にロケ地になった外浦海岸を歩いてみようと思う。
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