小泉八雲の「明治日本の面影(講談社学術文庫)」に、「蛍」を題材にした随筆がある。
江州(ごうしゅう)琵琶湖畔の石山で、夏の間、蛍を捕えこれを売って生計を立てている話だ。
「長い竹竿を肩にかつぎ、腰には茶色の蚊帳で作った長い袋を帯のようにまきつけている。
一番よく光っている木を長い竿でその枝を叩く。地面に落ちた蛍が光るのを見て、驚くばかりの早業で両手を同時に使いながら、蛍をつまんで、器用に口の中に放り込む。」
捕った蛍は、その光の強弱によって値段が異なる。
売り先は、旅館、料理屋。宴会の客に見せるため。
また、蛍の死骸は、製薬会社へ売られ、湿布薬や丸薬や、漢方薬に用いられたらしい。
蛍から作られた薬は、百鬼を追い払うとされていたようだ。
また、合戦などで切り結んでも、傷を受けない「監将丸」や「武威丸」などの丸薬があったらしい。
もちろん、いまも、ホタル祭りなどのイベントや、大学の実験用、ビオトープの造形のための蛍の商売がある。だが、かつての日本の面影は今はない。
螢とり
迷ひ子の泣く泣くつかむ螢かな
暗きより暗き人よぶ螢かな
言う事のきこえてや高く飛ぶほたる
追はれては月にかくるる螢かな
奪ひ合うて踏み潰したる螢かな
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