tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

3.はじめての衝撃

2006-10-26 20:05:39 | 日記

「そうしてまでジーコは勝ちたいんだ」。
その瞬間に、彼がJリーグ初代王者を本気で望んでいることがはっきり見て取れた。
1993年のJリーグ元年で、誰もが記憶するあの瞬間である。多く人が期待を胸に見守り続けていたJリーグ初年度で、サッカーという華やかなスポーツに潜むとんでもない毒に気付かされた瞬間である。名古屋グランパスエイトとの開幕戦ホームゲームで、ジーコのハットトリックとアルシンドの2ゴールの5-0で華々しくスタートしたジーコのJリーグ神話が砕け散った瞬間だった。それまでのサッカー観戦は、正月に行われる高校サッカーがすべてであり、実業団の大会なんてテレビ中継すらなかった。
確かにジーコは、相手がミスをする可能性があれば、違反すれすれのことを何でも実行した。それがプロであるのなら、当然ということだ。敗者に明日はない。
そうした泥臭い行動を、サッカー発展途上国の日本でして見せたのだ。たしかに,その年始まったJリーグの試合には、バブルの絶頂期にあった夢のようなきらめきがあった。しかし,彼のこれまでの数々の世界的な名声を捨ててまで勝ちにこだわったのが衝撃的だった。(to be continued)

♪何をゴールに決めて
何を犠牲にしたの 誰も知らず♪ byユーミン

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2.絶頂から奈落の底へ

2006-10-25 20:39:19 | 日記

そのときジーコは、絶頂から奈落の底へ突き落とされた76年のバスコ・ダ・ガマ とグワナバラ杯の優勝をかけたシーズン最後の試合を思い出していた。その年、ジーコはフラメンゴで56得点を上げ球団記録をつくった。この年に初めて選ばれた代表では11ゴールを挙げた。絶頂にいたジーコ。そこに落とし穴が待っていた。これを決めれば勝つ、というPKをジーコは外した。その瞬間、スタジアムは恐ろしいほどの静寂に包まれた。
「その静寂が叫び声に変わったとき、私は胃をわしづかみされたような、苦痛と脱力感に打ち震えた。チームやサポーターに対する責任から、私はすぐここから逃げ出したかった。絶望とはこういう気持ちを指すのだろうか。更衣室に戻ると、悔しさと情けなさで大声をあげて泣いた」
ジーコは、この時のことを自伝にそう書いている。(to be continued)

♪肩を落として 土をはらった
ゆるやかな 冬の日の黄昏に
彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った♪ byユーミン

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1.二枚目のイエローカード

2006-10-24 20:40:03 | 日記

国立競技場に詰め掛けた5万6000人を越すサポーターが見守る中、その男は、ゴー ル前11mに置かれたボールに向かって歩き出した。
  ”なんであれがファールなんだ”
抗議が受け入れられず、激した感情を今も押さえることができなかった。
  ”もう、終わりにする。”
  ”もう、サッカーから足を洗ってブラジルに帰る。”
男の足取りは、その意思をはっきりと表していた。
対戦相手の緑のユニフォームを着たベルディ川崎のFW選手が、PKを蹴ろうとして いた。味方の赤のユニフォームを着たブラジル国籍のボランチが、そのボールに 対してちょっかいを出しに行く。それを抑えて、ジーコは躊躇なく歩み寄りかが むと、Jリーグのマークを付けたボール横のピッチにつばを吐きかけた。その瞬間 に主審の笛が高く鳴り、前半と合わせて2枚目のイエローカードを突きつけらた。
ジーコは、主審へのあざけりの拍手を送りながら、空っ風の吹きすさぶJリーグ元 年の最後のピッチを去っていった。(to be continued)

♪彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた♪ byユーミン

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日本の良識よ、どこに行く

2006-10-23 20:39:49 | bad news

先日、出張先でのこと。何とか予定通りに打ち合わせを終え、東京へ帰る途中のこと。
新幹線の乗車時間までは多少時間があるので、駅前の蕎麦屋で夕食をとることにした。
時刻は18時ぐらい。この場合の店の選択には、結構気を使う。
飲んで愚痴を言い合っている酔っ払い達の中で食事をする気にはなれない。
僕は一人では、たとえ真夏であってもビールなどを飲みながら食事はしない。
また、ファミリーレストランで家族連れの喧騒の中での食事も御免である。
ましてや、この時間、高校生でいっぱいのハンバーガーショップなどは、行きたくも無い。

しばらく駅前を歩いて、ようやく許せそうな雰囲気の蕎麦屋を見つけその暖簾をくぐった。
客は数人、食事が中心のよう。ひとまず、酔っ払いがいないことが許せる。
適当に蕎麦を頼んで、出てきた蕎麦はおいしそうだった。
店の奥の吊り棚に置かれたテレビではニュース報道をやっていた。
普段、テレビ番組を見ることはしないので、何気に画面を見ていた。
アナウンサーの笛吹さん(?)が出ていたので、日本テレビであろうか。
一気に食欲をなくしたのは、グルメ報道で若き女性レポーターが、口いっぱい食べ物を頬張って「うんまい」やらモゴモゴ言っているのを聞いたからである。
食事中に行儀悪くテレビを見る僕が悪いのだろうが、日本人のマナーはどこに行ってしまったのだろう。女性レポーターは、羞恥心を捨てることでお金をもらっているのだろうが、その不快な映像はお金をもらうプロとは言えないぞ。プロなら、食べ物を飲み込んでから話をしろ。さもかくば、口を手で覆え。
飲み込むまでの一瞬の沈黙が怖いのは理解する。しかし、そんなことは番組の編集でどうにでもなるだろうが。

以前、ロンドンで現地のイギリス人の友達と日本料理を食べに行ったことがある。僕らのそばに座った日本の観光客のとろろ蕎麦をズルズル食べるのを見て、そのイギリスの友人は青くなった。気持ち悪かったのだろう。
テレビでこんな不快な画面が流れるなんて予想もしなかった。レポーター達よ。出演する前に、もっと高級レストランで食事する練習をしろ。ファーストフードばかりで、友達と食事してても最低限のマナーは身に付かない。小学校で給食の時、なぜマスクと帽子をつけたのか良く考えろ。育ちが悪いのは恥じゃない。しかし、努力を放棄するのは人間として恥ずかしい行為だ。
また、番組のディレクターは、出演者をしっかり教育しろ。番組には少なくとも良心があるべき。こんなことを不快に思うのは僕だけかもしれない。周りの客は平然と食事をしている。でも、こんな番組を見て育つ、若い世代がかわいそうだ。

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謎の小道

2006-10-22 16:12:32 | プチ放浪 山道編

自転車で海を目指した日曜日の早朝。いつもバスで通っている道の途中に、その謎の小道があった。
通りに面した雑木林にぽっかり開いた謎の小道。こんな道を見つけると、ワクワク・ドキドキしてしまう。この道の向こうには何があるんだろう。レオナルド・ディカプリオの『ザ・ビーチ』にあったような人知れず隔離されたパラダイスがあるのだろうか? それとも、クエンティン・タランティーノの究極のリアル・ホラー『ホステル』が待っているのだろうか? 僕は、サイクリングの行き先をこの謎の小道に変えて、雑木林の中の小道に入っていった。

スイスのほぼ中心部、ベルナーオーバーラントの二つの湖 (トゥーン湖とブリエンツ湖) の間に位置するインターラーケンは、標高 570m、ユングフラウ、アイガー、メンヒなどに代表されるベルナーオーバーラントのホリデーリゾート、スキーリゾートへの基点であり、山と湖の両方がいっぺんに堪能できる観光の街である。
ポルトガルのリスボンに到着した翌日の昼下がり、通りに面したオープンカフェで、現地で知り合ったカナダの青年とポートワインを飲んでいた僕は、イスの下に置いたバッグを盗まれてしまった。被害は、パスポート、ペンタックス1眼レフカメラ、そしてトラベラースチェック。2ヶ月のヨーロッパ滞在予定のうち、1ヶ月が過ぎようとしていた時だった。
早速、大使館でパスポートの再発行。街の写真屋で写真を撮り、1週間かけて新しいパスポートを手にする。また、警察に被害届けを出し、Internationl City Bankへトラベラーズチェックの再発行の依頼へ。ところが、銀行側は、残りすべてのチェックはすぐには再発行できないと言う。文句を言うが盗られたお前が悪いと取り付く島も無い。当座のお金として、100ドル程度発行してもらう。1週間後、また窓口へどうぞとのこと。
1週間後に窓口に行くと前と状況は同じ。また100ドルもらって次週にまた来てくれと言う。ポルトガルに2週間カンヅメになっていた僕はほぼ北から南まで観光地を回りつくし、思い切って物価の高いスイスまでやって来た。当時、1日10ドルもあればホテル代も入れて一日が過ごせた。お金がなくなったら、ユーレイルパスを使って電車を乗り継ぎリスボンに戻ればいいやと考えていた。

インターラーケンからユングフラウヨッホまでは、ユングフラウ鉄道(JB)で行くのが普通。所要約50分で標高3454mの山上駅ユングフラウヨッホまで行くことができる。料金はSFr.168.80(往復)、日本円で約2万円。100ドルぽっちしか所持金がない僕は、このお金が払えなかった。ちんたら走る登山鉄道で山頂駅まで50分、おまけに標高3454mの山上はすぐそこに見える。僕は、登山鉄道に沿って連なる道をふもとのインターラーケンから登り始めた。山頂は無理でも白く輝く雪渓までたどり着けばいいやと考えていた。時間はたくさんある。
スイスは、そこにある物すべてが観光地である。ほとんど人が通らないこの登山道ですら綺麗に整備されて、アルプスを植生とする高山植物が、あのエーデルワイスなどの花々が咲き乱れている。絶景だ。
2時間ぐらい山道を登っていた僕は、雪渓どころか、山のふもとまで辿り着くのも無理であることを悟った。近くに見えていた山は、2時間歩いてもそのままの大きさで一向に近づく気配がない。とそこに、脇道が見えた。道の向こう側には、牧草のしげる丘の中腹に典型的なスイスの農家が見える。ちょっと、寄って道を聞いてみよう。山の裾野まであるいてどれぐらいかかるのか情報を得ようと思ったのだ。
赤い屋根の農家の庭先に出て、「Hello!」と声をかけたが返事が無い。「Excuse me!」さらに進んで声をかける。その時だった。子牛ほどもある体の大きなセントバーナードが、5メートルぐらい先から憤怒のうなり声を上げて襲い掛かってきた。熊だと思った。いや、正確には薄茶色の体毛が脳裏に焼きついているので白熊か。瞬時に、ただではすまない状況を把握した。とっさに、僕は目で犬の鎖を探した。が、はっきりと見えない。すべてはスローモーションのようにコマ送りで時間が進行した。犬は、僕をめがけて最後の跳躍をする。僕は、とっさに身をかがめ、恐怖のあまり一歩退く。犬の牙が僕の顔に迫る。大きな牙が目の前に見える。僕は、顔を背けて目を閉じる。その時、鎖がピンと張り、寸前で犬が引き戻される。

あと一歩だった。その一歩が、犬の襲撃から守ってくれていた。僕は、ほうほうの体で農家を後にした。登山はあきらめ、ふもとの町に帰っていった。リスボンに戻ると、駅でペンタックスのカメラを売ると売人が声をかけて来た。・・・僕の盗られたカメラも知れない。こいつは知ってて、声を掛けてきたのだろうか。そうであるのなら、失くしたカメラが買い戻される可能性が高いと思ったのだろう。でも、警察に通報されることは考えないのだろうか?たとえ、通報されても証拠が無いことを理由にしらを切るつもりか。いや、彼らには東洋人の顔を記憶することには慣れていないはず。確かめて見たい気もしたが、貧民街に連れ込まれて何をされるかわからない。臆病になっていた僕は、カメラを確かめるのをあきらめた。

いろんな人に世話になった。いっしょにワインを飲んでいたカナダの青年、日本大使館の職員、銀行の窓口の女性、盗難届けを出しに行った時の警官、宿の主人。途方に暮れてリスボンの町を歩いていて、まともにぶつかっちまったバイクの兄ちゃん、跳ね飛ばされた僕を見て、心配そうに駆けつけてくれたまわりの通行人たち。市場の女の子、レストランのボーイ。確かに失ったものはあったが、それよりも大きなものを得ることができた。人の情けの有難さをつくづく感じた日々であった。

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