”甲州屋という木賃宿は下田の北口をはいるとすぐだった。私は芸人たちのあとから屋根裏のような二階へ通った。天井がなく、街道に向かった窓ぎわにすわると、屋根裏が頭につかえるのだった。 ”(川端康成、伊豆の踊り子より)
ダイビングサービスの下田ダイバースは、伊豆急下田駅から車で17分のところにある。下田駅に降り立ち、携帯から電話するとスタッフが迎えに来てくれるのだが、<17分でそちらに行きます>と応答があるので間違いないだろう。
下田は江戸時代に諸国の運搬船の寄港地として栄えた町だ。嘉永7(1854)年3月に締結された日米和親条約により下田と箱館が開港。
「泰平のねむりをさます上喜撰(蒸気船)たった4はい(4隻)で夜も眠れず」。下田開港の前年、ペリーが率いた軍艦4隻で江戸の町は大騒ぎだったのだが、開港した下田湾には、4隻どころか蒸気船7隻も入ってきた。さぞかし、当時の下田の人々は驚いたにちがいない。まず3月18日に、サザンプトンとサプライの2隻が入港、そしてその2日後の20日には、レキシントンとバンダリアが、そしてあくる日の21日には、ペリー提督が乗っている旗艦ポーハタンとミシシッピーの巨艦2隻が入港。最後の1隻、マセドニアンは、米水兵達の食料を調達する為、小笠原まで行ってウミガメ70匹と大鯨2頭を獲ってきたので、すこし遅れて4月5日に入港。もちろん、鯨は鯨油を採るため。
きっと下田の人々は、鯨はまだしも、かわいいウミガメを食べる米国人を野蛮人と思ったに違いない。
この歴史の港町下田には、川端康成をはじめとして多くの文豪が訪れている。そんな下田の町を海沿いに走りぬけ、地図から消えてしまうような山に続く細いくねくね道を畑に沿って登っていくとショップがある。ショップの裏手には小川があるらしいのだが、まだそこまでは行き着いていない。きっと、夏には満天の星空の下、無数の蛍が飛び交っているのだろう。そんなロケーションにショップがある。まさにスローライフを満喫できるような場所だ。
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