tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

雲見 地形ダイブ(3)

2008-10-15 23:15:53 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

10/11(土) 雲見・牛着岩、 天候 曇 水温 24℃ 透明度 10~12メートル
(1本目)スタンダード、(2本目)16mアーチ、(3本目)スタンダード

今回のダイビングで、いきなり迎えてくれたのがオオモンカエルアンコウ(大紋蛙鮟鱇:Commerson's frogfish )。
体長が50mm程度のこのカエルアンコウ。なにが気に入ったのか、海綿の枝の間でまったりとしていた。
カエルアンコウは採餌の時は意外なすばやさで泳ぐらしいが、昼間は海底などでほとんど動かずにジッとしている。それに加えて、夜行性の魚であるにもかかわらず、いまだに夜の海でも活動しているのを見たことがない。

聞いた話によれば、ここしばらくは海綿の枝の間で、大量のダイバーの焚くカメラのストロボにも負けず、なぜか動かないらしい。食事もせずに、ジッとしているようだ。一度たっぷりと食べたら、数日は採餌しないのだろうか。何を考えているのか、意味わかんねえ魚のひとつ。
このカエルアンコウ。頭部から伸びたイリシウムと呼ばれる釣り竿を持っていて、釣り竿の先端にはエスカと呼ばれる擬似餌があり、これで獲物をおびき寄せて食べる。また、海底での移動は、胸ビレで上手に這って行う。

老眼が進んだせいか、水中ハウジングの窓を透して覗くカメラの液晶画面が良く見えない。もっぱら、ピント合わせはカメラのオート機能に頼っているのだが、水中マクロともなれば海底にピントが合っていたりで、肝心の魚に対してはピンボケの写真の山になる。じっとしているとは言え、このカエルアンコウでさえ、写真を撮るときは、どっちがあたまでどっちがしっぽかわからずに適当にシャッターを押している。だから、カエルアンコウの目にピントが合ったシャープな写真はまったくなかったりする。


人気ブログランキングへ参加しています。
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みんなの夕日・夕景」~上総国(かずさのくに)から

2008-10-14 22:44:53 | プチ放浪 山道編

 
 
 
 

昼間はあんなに雲が流れていたのに夕方は雲は殆ど無く、遠くに見える山々の谷間に夕陽が落ちる。
刻々と移り変わる夕焼けを追いかけた。空は足早に色彩を失っていった。

プロジェクト企画お疲れさまっす。関東はようやく晴れました!

「みんなの夕陽・夕景プロジェクト」は、「Life goes on」の管理人freemanさんと、「My time!, My pleasure!」のhisaさんの企画によるものです。全国の参加者が同じ空を見上げて気持ちを合わせる。すてきな企画ですね。

ただいま、皆さんの夕陽夕景が続々アップ中。  My time!, My pleasure!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みんなの夕日・夕景」~西伊豆雲見から

2008-10-13 10:57:42 | 日記

 
 

空を見ていた。
男たちは同じ空を見上げていた。空には沈み行く太陽が秋空に浮かぶ雲を茜色に染め上げて沈もうとしていた。
ある男は周防国(すおうのくに)から、また、あるものは上総国(かずさのくに)から。日本のあちこちから、夕焼けを見上げていた。

君の目に映る秋空はどんな色をしているだろうか。心は空を飛べるって知った。夕焼けも星達も初めての色。
夕焼けを追いかけてただひたすら走った。せまりくる夜のとばりから逃げるように。過去の輝きをいつまでも保ち続けるように。
逃げ切れるかはわからないけど、ココで立ち止まっているよりはマシだと思った。
 夕焼けに向かって突進してゆく。

君に見せたいものがある。 必死に追いかけて捕まえたんだけど、それは海の方へ 流れて消えていった。
沈む太陽を追いかけて。忘れたくない事をしまい込んで。

明日も良い日でありますように。


人気ブログランキングへ参加しています。
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄土ヶ浜(昔日の宮古)

2008-10-09 22:01:53 | 日記

 
 
 
 

【撮影地】岩手県宮古市鍬ヶ崎第7地割字臼木32番地(浄土ヶ浜)(2008.8月撮影)
Copyrights© 2005-2008 TETUJIN
all rights reserved

小学校の代用教員や新聞記者などをしながら、郷里や北海道の各地を転々としていた石川啄木。1908(明治41)年春、文学生命を賭けるべく船で単身上京する途中、宮古港に寄港。啄木の日記には、宮古のことが記されている。
<十時頃瓦斯が晴れた。午后二時十分宮古港に入る。すぐ上陸して入浴、梅の蕾を見て驚く。梅許りではない、四方の山に松や杉、これは北海道で見られぬ景色だ。菊池君の手紙を先きに届けて置いて道又金吾氏(医師)を訪ふ。御馳走になつたり、富田先生の消息を聞いたりして夕刻辞す。街は古風な、沈んだ、黴の生えた様[な]空気に充ちて、料理屋と遊女屋が軒を並べて居る。街上を行くものは大抵白粉を厚く塗つた抜衣紋の女である。鎮痛膏をこめかみに貼つた女の家でウドンを喰ふ。唯二間だけの隣の一間では、十一許りの女の児が三味線を習つて居た。芸者にするかと問へば、“何になりやんすだかす。”>
上京して、二度と生きて故郷の土を踏むことのなかった啄木。日記からは、昔日の宮古の空気がしのばれる。


人気ブログランキングへ参加しています。
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浄土ヶ浜(さながら極楽浄土)

2008-10-08 22:36:16 | 日記

 
 
 
 

【撮影地】岩手県宮古市鍬ヶ崎第7地割字臼木32番地(浄土ヶ浜)(2008.8月撮影)
Copyrights© 2005-2008 TETUJIN
all rights reserved.

鉄の町釜石を抜け、リアス式海岸沿いのいくつもの丘と港を通過するワインディング・ロードの国道45号線を北上すると、本州最東端の町、宮古に着く。この地で1869(明治2)年、新選組の土方歳三を含む2000名を超える旧幕府軍の榎本艦隊は、蝦夷を平定しようと宮古港に入港した新政府軍艦隊を未明に奇襲するも、わずか30分あまりの戦いで多数の死傷者を出して退却する。江戸を離れ、遠く蝦夷の地に独立国を建設しようとした土方歳三たちの夢物語は、この宮古の海に砕け散ったのだ。この後、五稜郭陥落。日本全土が明治政府の統制下に入る。

リアス式の陸中海岸国立公園の中心をなす浄土ヶ浜。鋭くとがった白い石英粗面岩が林立して海岸を彩っている。この浄土ヶ浜の地名は、天和年間(1681~1684)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われている。
浄土ヶ浜お台場展望台入口には、新政府軍艦隊の宮古港海戦を記した碑が建っている。



人気ブログランキングへ参加しています。
気に入った写真や記事がありましたら応援のクリックよろしくお願いします。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする