松たか子FCの「『運命の人』特製クリアファイルプレゼント」に外れた、悔しい
今日のスポーツ報知に、昨・2日にあった松たか子の父・松本幸四郎が主演するミュージカル「ラ・マンチャの男」の製作発表のことが報道されている。
この「ラ・マンチャの男」は、幸四郎が今年70歳の誕生日を迎える8月19日に前人未踏の通算1200回を記録する。本当にスゴイ記録だ。
私は松たか子の役が変化するごとに観てきて、今のアルドンサ役でも二度は観ている。しかし、今朝の製作発表の記事を読むと何とも行きたい気持ちになり、博多座では観ているので、東京・帝国劇場での公演を観ておこうかと思ったりもする。
ところで同じ昨日、松たか子ファンクラブ「club M」の「『運命の人』特製クリアファイルプレゼント」企画の当選者が、ネット上で発表された。ワクワクして番号を見たが、我が会員番号はなかった。悔しい。今回のクリアファイルは是非とも欲しかっただけに、とても残念だ。
そんな私の思いがそうさせた訳ではないが、今日は「強い風、激しい雨」の大荒れの一日だった。西日本では新幹線や飛行機は不通となり、テレビのニュースなどで道路ではトラックが強風で横転しているのが流されている。我が孫の学童保育も「警報での緊急閉鎖」となり、午後2時頃にお迎えの連絡があったりもした。
「春の嵐」とはよく言ったもので、台風でもないのに、これだけの強風が吹き荒れるとは。被害のすくなからんことを願う。
『「孤児」として生きて』を読んだ、著者宮下忠子の持続する意思に深く感銘
宮下忠子の名前と出会ったのは、その著書『山谷日記』(1977年刊)を手にした時だ。当時彼女は大阪・釜ヶ崎と並ぶいわゆる「ドヤ街」であった東京・山谷の東京都城北福祉センターの医療相談員をしていた。
そしてその後、『思川 山谷に生きた女たち』(現在復刊されている)などの著書を読んだ後、その名前は私からは消えていた。しかし、過日県立図書館に行き、新刊書のコーナーにその宮下忠子の名前を見つけた。懐かしくすぐさまその著書『「孤児」として生きて』(明石書店刊)を借りて読んだ。
読み続けていて、とても暗い気持ちになった。その『「孤児」として生きて』の副題は、「孤独・貧困・暴力の戦後を駆けぬけた男の物語」とあるように、私生児として生まれ、赤子の時に中国・大連に渡り、母は日本に帰国、父親も三歳の時に死亡し、叔父のひどい仕打ちにもあいながら成長し、果ては殺人まで犯した男の記録である。読んでいても辛く、暗い気持ちとなった。
それにしても宮下忠子という女性は、1937年生まれであり「もう」(と言うべきか)75歳であるが、変わらず社会の底辺で生きていく人たちに心を寄せている。持続する意思に、深く感銘した。
我が書斎にある著作などを改めて読み返そうと思っている。そして、山谷や釜ヶ崎についても、少しだけ考えてみようと思っている。