小川糸著『あつあつを召し上がれ』、心が温まり「食堂巡礼」をしたくなった
今日はもう夏日、日中は何とも暑かった。ワイシャツ一枚でもいいくらいだった。しかし、太陽か沈むと、まだまだ少しだけ寒さを感じるくらいだ。この温度差が、身体によくない。
さて、柴咲コウが主演した映画「食堂かたつむり」、その映画は私も観た。その映画の原作者、それが小川糸だ。「小川糸の小説の魅力と言えば、なんといっても料理やお菓子など食べ物の描写が活き活きとしていること」と書いた評論家がいるが、私もその通りだと思う。
今回私が読んだ『あつあつを召し上がれ』(新潮社刊)も同じだ。本には「あとがき」はないが、著者のHPに「あとがき」が書かれていて、「はじめての短編集です。『旅』に連載した六編に、書き下ろし一編を加え、合計七つの食べ物にまつわるお話がおさめられております」という書き出しだ。その最後は、「読み終わった時に、少しでもおなかがぽかぽかと温かく感じていただけましたら、幸いです」と結ばれている。
著者はこの「あとがき」の中で、この短編集の中の「こーちゃんのおみそ汁」は、「実在した女性、安武千恵さんの生き方に強く影響を受けて書いた作品です」とも書いている。「とりわけ思い入れの深い作品」と著者が書くこの短編は、読んで涙が流れた。
そして同時に、「親父のぶたばら飯」の中の、次の一節に反応した。「うちの親父ってめちゃくちゃ食道楽でさ、この店はスープが旨いからスープだけ飲んで、次の店はサラダが美味しいからサラダだけ食べて、次にステーキ食いに行ってとか。デザートはあの店で、ってそういうことを、日常的にやる人だったんだ」。たぶんこの親父のモデルは実在するのではと、思ったりもする。
この作品集を読んで、美味しい料理を食べたいと思った。私は「味は二の次、おなかが満たされればそれで満足」派だが、小川糸に刺激されて、少しは美味しい食事を求めて「食堂巡礼」をしてみようかとも考えた。「思ったり」はするものの、実行できないのが私の悲しい性だ。
南座の歌舞伎鑑賞教室、上村吉弥&上村吉太郎の連獅子に魅了された
去る12日に発生した軽ワゴン車が暴走した京都・祇園の事故現場では、たくさんの花束が昨日の冷たい雨に打たれて濡れていた。その横を通る際に、亡くなられた方々への心からのご冥福と、こうした痛ましい交通事故が二度と再び起こらないことを願って、黙祷させていただいた。
さて、京都・祇園へ行ったのは、南座での歌舞伎観劇だ。一昨日の「四国こんぴら歌舞伎」に続いて、昨日は京都・南座の「歌舞伎鑑賞教室」を楽しませてもらった。今月4日に岡山・「ルネスホール」にきていただいた上村吉弥丈と上村吉太郎くんが「連獅子」を舞うということで、お礼の意味も兼ねての観劇だ。
それにつけても、二日続けての歌舞伎鑑賞とは、貧しい私にしては珍しい。しかも、このところの歌舞伎の観劇の日に雨が降ったことがなかったが、昨日は、珍しくずっと降り続いた。
そうした外の雨を吹き飛ばすような、お二人の熱演であった。今回の「連獅子」公演は、吉太郎君の強い希望で実現したと聞く。それだけに、吉太郎君の頑張りはすごかった。そして、吉太郎くんの熱意に応えて、「連獅子」初役に挑戦を決意された上村吉弥丈の踊りは、とてもりりしく素晴らしかった。日頃女形で見慣れている上村吉弥丈の男踊りはとても魅力的だった。
観客のみなさんも、もちろん私もだが、上村吉太郎君が無事に「連獅子」を勤め上げられるかどうか、その一挙手一投足をとても心配げに見つめた。しかし、そんな心配は杞憂に終わった。堂々たる踊りっぷりであった。終演後、拍手は鳴り止まなかった。そして、歌舞伎には珍しくカーテンコールのような形でのファンサービスもあった。上村吉弥丈の思いの深さからであろう。素晴らしい「連獅子」の舞であった。
そんな歌舞伎鑑賞の前に少し時間があり、昨日はせっかく京都へ行ったのだからと、天満屋で並んで購入して以来病みつきになっている「出町ふたばの豆餅」を買いに行った。美味しかったことは言うまでもない。塩加減が絶妙である。ただ、よもぎの田舎大福は、かなりの時間待たないと販売が始まらないので、それは次回の楽しみとした。
ところで、京都・南座のある場所は阿国歌舞伎発祥の地。その南座で、上村吉弥丈は「歌舞伎鑑賞教室」を20年続けて開催している。南座には、その20年間の舞台写真が展示されていて、その歴史を感じた。ステキな舞台を観て、「出町ふたば」の美味しい豆餅を食べて、幸せな時間を過ごすことができた。外は雨だったが、心は晴れ晴れだ。