輝く太陽の下で夾竹桃の咲く今日の原爆記念日、我が法人でも「原爆写真展」を開催中
今日・6日、広島は67回目の「原爆の日」を迎えた。平和記念公園(広島市中区)で営まれた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)の挨拶で、広島市の松井一実市長は震災と原発事故の被災者の姿を「67年前の広島の人々と重なる」と表現した。この日、私はいつもこの「夾竹桃の歌」が浮かび、口ずさむ。今日も、夾竹桃は美しく咲いていた。
夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
そんな今、私がお役をいただいている法人が運営する病院のロビーでは、原爆パネル展「ヒロシマ ナガサキ 原爆と人間」(制作 日本原水爆被害者団体協議会)を開催している。
そして、今日の法人の幹部会(常任委員会)では、脱原発署名や「安心して住める『福島』を取り戻すための募金」などに取り組む方針を決定した。頑張りたい。
佐野眞一『別海から来た女』を読んだ、「毒婦」と言われる木嶋佳苗が見えない
今日は8月6日、あの「ヒロシマ」からもう67年の時間は流れた。でも、時間が止まったままの方がいる。そして今、「フクシマ」を抱えて苦しんでいる方がいる。なのに、「トイレのないマンション」のような原発を推進する人たちがいる。信じられないことだ。
信じられない人物と言えば、今木嶋佳苗もその一人だ。最近も佐野眞一著『別海から来た女 木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判』(講談社)を読んだが、木嶋佳苗についてはこれまで幾冊か読んできたが、やはりその姿が見えない。私の常識的な頭では、理解できない。
理解できないのは、2011年3月11日を経験してもなお、「安全性は確保できている」として原発を推進する人たちもだ。ただこちらは財界とアメリカが背後にあると考えたら、何故かが容易に見えてくる。
その一方で、木嶋佳苗の嘘で固めた人生を歩み、殺人まで犯すという行為に至る心は、私にはとうてい読み解けない。理解不能だ。もう少しだけ、木嶋佳苗関連の書籍を読み続ける以外にはないであろう。
そんなことを思いながら、今朝は「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、そしてノーモア・フクシマ」を何度も唱えた。