大正3年生まれの笹本恒子写真・文『恒子の昭和』に、人の生き様を見た
超高齢化社会が到来して久しいが、このところまさに超高齢者の活躍ぶりが様々なシーンで取り上げられている。私のような年代の者にはその先駆は、100歳の双子の姉妹・きんさんとぎんさんのご活躍だ。そのお二人は1892年生まれだから、活躍したのはもう20年も前のことになる。
それ以降、超高齢者の方のたくさんの本も出版されている。その一冊とも言えるのが、1914(大正3)年生まれの笹本恒子写真・文『恒子の昭和』(小学館刊)だ。この本にある略年表よると、彼女は1940(昭和25)年に「日本で最初の女性報道写真家としてスタート」している。その彼女が撮影した人と出来事が掲載されている。懐かしくもあり、当時のことを思い出して、心も躍った。
奇しくも今、岡山県立博物館では特別展「昭和モノ語リ -人々のくらしと岡山-」(~9月17日)を開催中だ。私も是非とも行ってみたいと思っているのだが。昭和は遠い昔ではなく、私が青春の血を燃やした輝かしい時代だ。 さて余談だが、きんさん・ぎんさんの<2人の100歳10ヵ条>の内、最初の3つを紹介しておこう。きんさん・ぎんさんに学んで、元気で100歳を迎えたいと思うが、それは無理な話に思う。それでも以下の3つは実践したいと考えている。
① 「よく笑う人間は長生きする」『一笑一若』「一怒一老」がモットー
② 悲しいことや辛いことをいつまでも引きづらない。クヨクヨしない
③ 「行ってみたい。会ってみたい。食べてみたい」と最後まで好奇心旺盛
幸四郎「ラマンチャの男」が1200回、過日の松たか子の姿を思い出した
今日8月19日は、松たか子の父・松本幸四郎の誕生日(1942年生)。そして今日、現在帝国劇場で公演中の「ラマンチャの男」は、公演回数1200回を迎える。1969年の初演以来、40年以上も演じ続けられている。とてつもない数字の達成だ。
その「ラマンチャの男」の公演1200回というニュースに接して、過日観た舞台での、松たか子のアルドンサの姿を思い出した。今でもその感動はさめやらない。そしてまた、松たか子も父幸四郎の「ラマンチャの男」のような、そんなライフワークとも言うべき舞台と早く出会うことを期待し続けているのだが。
ところで、その松たか子は映画「夢売るふたり」関連で、今後雑誌などへの露出が激しくなる。松たか子のファンクラブのHPにupされているものを以下列記するがスゴイ数だ。
<雑誌>「東京カレンダー」、<雑誌>「ELLE」、<雑誌>「TV Bros」、<雑誌>「ホットペッパー」、<雑誌>「日経エンタテインメント」、<雑誌>「LEE」、<雑誌>「レタスクラブ」に登場するとある。それら全てを、とてもではないが買うのは我が貧しい暮らしでは無理がある。それでも立ち読みででも、松たか子の笑顔に会えるのは嬉しい。
そして同時に、番宣のために今後テレビへの出演も増えていくことだろう。様々な松たか子に会えるのは嬉しいが、疲れを出さなければいいが、老爺心ながら心配する。
フェイスブックの「エビフライ」に誘われて、昨日のランチは畠瀬本店とした
今人気の畠瀬本店のランチは、3種類ある。日替わりの「鶏と大豆のハンバーグ」(プレートのお野菜が日々変わる)、そして週替わり(後述)、もう一つは「野菜たっぷりドライカレー」。
この中で3つの中で、「週替わり」は文字通り毎週変わり、そのメニューは畠瀬本店のフェイスブックで知ることができる。そのフェイスブックに、「18日はエビフライ」とあったので、昨日ランチに行った。このお店のエビフライは、まさにプリっプリでとても美味しい。料理が出されてきてすぐ食べたので、写真を取り忘れた。卑しい私だ。情けない、トホホだ。
いつも思うのだが、このお店の料理の美味しさと心地よさは、私の元気の源だ。このお店と出会えたことを嬉しく思うし、それ故もっと長くこのお店のランチを楽しみたいと思う。健康に留意せねば。
この畠瀬本店には、今芙蓉の花が美しく咲いている。芙蓉の木は4本(違うかな)あるが、残念なのは私の大好きな酔芙蓉がないことだ。挿し木で育てて、植えてもらおうかと勝手に思ったりしている。
因みに、我が家の酔芙蓉はまだまだ咲かない。私と同じで奥手、時には咲かないで蕾のまま散っていく。我が人生と同じだ。これまたトホホだ。