市川染五郎が舞台から転落、「今は安定している」とのことで一安心だが
「歌舞伎俳優の市川染五郎さん(39)が、27日午後6時40分ごろ、東京都千代田区の国立大劇場で舞踊公演「あーちゃん」の出演中に舞台後方のセリから約3メートル下の奈落にあおむけに転落。救急車で病院に搬送された。関係者によると染五郎さんは右側頭部などを打撲。意識はしっかりしているという。公演は中止された」とのことだ。
「この公演は27、28の両日同劇場で予定されていた、染五郎さんの父松本幸四郎さんの70歳を祝う『松鸚(しょうおう)会 宗家松本幸四郎古希記念舞踊公演』の第1夜で染五郎さんの半生を舞踊仕立てにした作品。染五郎さんは松本流の家元として28日にも出演予定だった」。
「松竹と松本幸四郎事務所がマスコミ各社に文書で状況を報告。染五郎は検査を受けた結果、右側頭部および右半身の打撲と診断された」という。一方で28日の公演(第二夜)は延期となり、9月1~25日まで新橋演舞場で出演予定だった「秀山祭九月大歌舞伎」も、染五郎は休演するという。
この「第十回松鸚(しょうおう)會」公演の第二夜では、染五郎の妹の松たか子も義太夫「松寿三番叟」に、父幸四郎や兄染五郎などと出演する予定となっていた。
松たか子は事故発生時は都内での映画「夢売るふたり」の公開直前イベントに出席していたが、終了後の問いかけに対して硬い表情でノーコメントのままだったという。そのイベントの模様は、今朝のテレビで放送されていた。
ともあれ染五郎の突然の事故に驚くばかりであり、ますば何より染五郎が軽傷であることを願うし、一日も早い回復・舞台復帰を祈るばかりである。それにしても我が周辺での切なく悲しいことも、突然に襲ってきた。まだ、我が心はふさぎ込んだままだ。
一方染五郎の様態については、所属事務所は「安定していますので、ご安心ください」とのことで、少しだけ安心しているのだが…。
昨日辛く切ない出来事が起こった、『生きてやろうじゃないの!』に励まされた
昨日は私の周辺でとても辛く切ない出来事が起こった。定年退職後、これまで安寧な時間を過ごしてきて、そんな時間はこれからも続くものと思ってきた。しかし流れる時間は、次なるステージを用意していた。突然にだ。老いるとはそういうことのなのだろう。それにしても辛い、悲しい。
さて、辛さの中で頑張って前を向いて生きている生きている親子の本を読んだ。竹澤順子・竹澤忠(日本テレビ)著『生きてやろうじゃないの! 79歳・母と息子の震災日記』(青志社刊)だ。
3ヵ月前に夫の永久の旅立ちを見送り、夫婦生活50年の歴史を刻んだ家も、あの3・11の大震災による津波によって半壊、その後解体を余儀なくされた竹澤順子さんの日記と、その息子で日本テレビの忠さんが同時進行で書いていた個人記録用の文章を時系列に沿って交互に構成したのが、この本だ。
夫・豊さんは自転車で転んで脳挫傷で急逝。それまで100歳まで生きると思われていた元気な夫を見送って、その悲しみも明けないうちのたくさんの思い出がつまった自宅の取り壊しを見送る。まさに悲しみは突然やってきて襲いかかる。
そんな辛さ・悲しみと向かい合いながら生きていく竹澤順子さんの強さに惹かれた。その言葉は詩となっていた。辛く落ち込んでいた私は、大いに励まされた。辛い現実と向かい合って生きていくのは大変だが、それでも生きていかなければならないと。その勇気は、まだ今の私にはないのだが。
悠々と流れていく雲よ
お前は何を見ていたの
小さな蟻のように 人々がもがき苦しむさまを
黙って見ていたの?
おーい雲よ……
あの日の雲ではないだろうけど
あの日の私でもないんだよ
あれから……
しっかり生きてきたんだよ (『生きてやろうじゃないの!』より)