貧しくとも心豊かに生きられ、かつ人間的なつながりのある社会で暮らしたい
夕方、お盆の送り火をした。今は両親も無事に天国へ戻っただろうか。それにしても、お盆の期間中は誰も来る人とてない我が家であり、自堕落に過ごした。そして少しだけ人生のエンディングについて考えた。死を考え、生を考えた。
そんな中で、少し以前(今月1日)のことだが、ある強盗傷害罪などに問われた被告の裁判員裁判の初公判の報道を思い出した。検察によると「借金苦から逃れようと妻と無理心中を図るために出た旅の途中で、妻が老舗温泉付きホテルの名前を挙げて『最後に泊まりたかった』とつぶやくのを聞き、宿泊費を得て願いをかなえようと被告が事件を起こした」とのことだ。その公判では、弁護側が「妻は被告が事件直後に逮捕された後、車内で練炭自殺した」ことを明らかにしている。何とも切ない記事だ。こうした痛ましい悲劇が繰り返されないことを願う。
繁栄日本と言われる中で、一部の富裕層の方々を除いて、多くの国民の生活は根底から破壊されていることを痛切に感じる。今の日本を考える時、国民生活の破壊、子どもたちの育ちの危機など、今この国は深刻な事態に陥っていると考える。
そしてこのお盆に、今の私達の暮らしの周辺を見つめ直す手がかりとする一冊の本を読んだ。この本は、朝日新聞に連載された「弧族の国」として連載されたものを一冊の本として纏められたものだ。その本は『弧族』(朝日新聞社刊)で、「ひとりがつながる時代へ」という副題が付いている。この本を読むと、まさに今の生き辛さがひしひしと伝わってくる。これまた何とも切ない。
この『弧族』の冒頭には、「単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎える。それに格差、貧困が加わり、人々の『生』のありかたは、かってなほど揺れ動いている。たとえ、家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。個を求め、弧に向き合う。そんな私たちのことをことを『弧族』と呼びたい。家族から『弧族』へ、新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。『弧族』の時代が始まる」とある。
私は一人一人が貧しくとも心豊かに生きられ、かつ人間的なつながりのある社会で暮らしていけることを心から願っている。
それにしても、この朝日新聞の「弧族の国」のような連載チームの方々を羨ましく思った。私は新聞記者になり、こうした記事を書きたいと常々思っていたからだ。そうは言っても「市民の役に立つ所」(=市役所)で働き、「住民の繁栄なくして自治体労働者の幸せはない」ことを心に刻んで、仕事をしてきたことに悔いはないし誇りにも思っている。それでも、やっぱり記者になって、人が生きることに関わってのルポなどを書きたかったとも思っている。
久しぶりに「たのたの庵」にランチに行った、庵主さんの変わらぬ笑顔があった
一昨日はランチにと「たのたの庵」に向かった。お盆故だろう、交通量は多くない。しかし、「たのたの庵」はご家族連れでとても賑わっていた。やはり、お盆故だろう。
一昨日の日替わりの「野菜の玉手箱ランチ」は肉と魚があり、私は魚・鯖のソテーをチョイスした。「地底人さんの来店の時は鯖が多いですね。いろんなお魚の料理があるのに」と語られていた。私は鯖が大好きなので、とても嬉しいことなのだが、庵主さんは少しだけ気にしておられた。
その「たのたの庵」の壁に飾られた「本日のビール」に「珈琲スータウト」が加わっていた。味をお聞きするに、「コーヒー味、そのものです。暑い日の朝から呑める麦酒」とのことだった。一度飲んでみたいものだ。吉備土手の翁は、ホント、いろんなビールづくりに挑戦される。まさに「岡山のものづくり」を実践されている。
どんなご多忙な中でも、笑顔を絶やさず頑張っていらっしゃるたのたのの庵主さんや吉備土手の翁に元気をもらった一昨日だった。