先日上京の際に歌舞伎座建設の進捗状況を見に行った、来春の完成が待ち遠しい
今日から世間はお盆である。と言ってもカレンダーの並びで、早いところは先週の土曜日・11日からお盆休みに入っているところは少なくなく、高速道路などの渋滞はその頃から続いている。いつも私がそのブログを訪問させていただいている方も、節電の影響で会社が12日から19日の間が夏期休業とかで、昨日から7日間の海外旅行に出ておられる。
さて、そんなお盆である今日の出勤日の道路は、とても空いていた。なんだかんだと言っても、まだ日本にはお盆(そしてお盆休みも)の風習は残っていることを実感する。我が法人が運営する病院の待合室も、心なしか患者さんが少ないように感じた。
ところで、過日東京に行ってから、数日が経過した。多くの報告をさせていただいたが、一つだけ書き残していることに気がついた。それは歌舞伎座の新築情況である。今どの程度の進捗状況なのかを確かめに、わざわざ足を運んだのでその写真をアップしておきたいと思った次第。
いつもお世話になっている上村吉弥丈のブログには、7月26日の建設中の写真がアップされ、「あの白壁と紅い欄干が復活しておりました」とあったが、私が訪れた8月8日には、また覆いがされていた。
歌舞伎座へ行った後に、浅草・浅草寺の境内にある市川團十郎の「暫」の像等も見物に行った。取り壊す前の歌舞伎座で観たお芝居などが思い浮かんだ。心安らぐ時間だった。
それにしても、今年の6月からのハードな日程は、いささか異常であった。現役時代はいざ知らず、定年退職後にこれだけ宿泊を伴う日程が立て続けたことは珍しい。明日からのお盆は、机の上などの書類の整理などをして過ごしたいと考えている。
田舎者で貧しい小心な少年は、憧れを憧れとして終わる以外の術を知らなかった
我が家の住む地域は、私が小学校一年生の時に岡山市に編入された。それまでは市でも町でもなく「村」だった。子どもの頃の遊びと言えば、稲刈りの終わった田んぼに山と積まれた稲わらに寝転びながら漫画を読んだり、山の木々をぬってのかくれんぼだったりだ。秋にはアケビを取りに山へ行って、漆に負けて学校を休んだりもした。
そんな田舎で、貧しい家庭で育った気の弱い少年にとって、街の少女は憧れとはなっても、恋をするなど思いもよらなかった。そもそも、デートに誘うという行為すら当然ながら経験もなく、従って誘うということすら思い浮かばなかった。それ故、当然ながら憧れは憧れで終わった。もちろん、田舎者の少年に声をかけてくれる女の子すらいなかった。
以来50年の時間が流れ、貧しさや気の弱さは変わらないが、前髪を垂らした少年の頭は薄くなり白くもなった。50年のその時々で、憧れた女性もいないではない。それでも、その少女(当然ながら私と同じ年齢を重ねてきている)のことは、いつも私の心に住んでいた。
そんな彼女と過日の同窓会の席で、少しだけお話しする機会を得た。その中で、食事をとさそうと、「年賀状に毎年毎年“話をしたい”と書かれたら、まるで脅迫。しないわけにはいかないでしょう」との返事が帰ってきた。
しかし今、携帯を鳴らして食事に誘う勇気が出るか、まだ思案橋だ。そして何より、二人で向かい合ってお茶すらしたこともなく、一体何を話せばいいのかと今我が心は震えている。田舎者で気弱な少年の心が、今もある。