最近与党の政治家の中で活躍している言葉に「寄り添う」というのがあります。
結構頻繁に使われる言葉ですが、私などは、むくつけき、そして偉そうな政治家が「寄り添って」きたら、「気持ち悪いからやめてくれよ」と逃げるでしょう。
言葉には、その本来の「語感」がありますから、そのあたりは日本語の繊細なニュアンスを意識して、自分が使って似合う言葉かどうか考えた方がいいような気がします。
この言葉を政治家が使うのは、大体相手が困っているときで、自然災害で被害を受けたり、政府の閣議決定の結果、不都合が生じたり、何か政府がやらないと評判を落とすという状況があるのが一般的で、「寄り添う」というのは、忙しいけれど出来るだけ顔を出すという事から始まって、決め手は補助金を考えましょうという事でしょう。
最近のガソリン価格高騰についてもリッター170円台を超えないように元売り企業への補助金を継続するというのが、元売りにも、スタンドにもドライバーにも「寄り添う姿勢」という事なのでしょう。
これに対して、「補助金を出すよりガソリン税の減税をした方が合理的では?」という意見も出ていました。
ガソリン税は国・地方税込みでリッタ―55円(50円+5円)程度ですが、この税金分にも10%の消費税がかかります。
「税金にも消費税がかかるの!」と驚く人もいる日本人の「人の好さ」ですが、これは有名な2重課税の代表例です。
こうやって税金を取っている政府が、それでも足りないから国債を出し国民から借金して、それを財源して補助金を出すという仕組みになっているのです。
補助金は一時的で、税金は恒久的だから、そういうことになるのも仕方ないという意見もあるでしょう。
しかし、減税をすればそれは全国民に均霑しますが、補助金は、政権が気にかけている人だけに払われるので、基本的に不公平になる可能性が大きい、という意見もあります。
補助金を当てにせず頑張れば、補助金の対象にはなりません。
この春の決算でも、石油元売り会社のトップの、「補助金もあって、市場最高の決算になりました」などの正直な発言も目にしたとことです。
政権党にしてみれば、陳情があって補助金を出すことが集票にもつながるわけで、そんな気持ちは微塵もないとは言えないでしょう。
大体減税をすれば、カネはそのまま国民の懐から動きません。増税や国債発行で、国民のカネを一度政府の懐に入れて、それを政府の裁量でまた国民に戻すという事になると、余計な手間や手続きが必要になります。
政治家や官僚の人件費は.結構高いので、その余計な手続きのコストが場合によっては効果を上回ることは結構多いかもしれません。
こういう事をできるだけ無くして政治、行政のコストを安くするのは、本来政治家や官僚自身の仕事ですが、有名なパーキンソンの第一法則の様に「官僚組織は常に肥大化する」のです。
改めて言えば、「寄り添う」というのは本来心情の問題で、カネで解決する事ではないというのも、日本語としては本来の意味ではなかったと思うところです。
政治用語は特別かもしれませんが、本来の日本語を正しく使うことも大事ではないかと思ったりするところです。
結構頻繁に使われる言葉ですが、私などは、むくつけき、そして偉そうな政治家が「寄り添って」きたら、「気持ち悪いからやめてくれよ」と逃げるでしょう。
言葉には、その本来の「語感」がありますから、そのあたりは日本語の繊細なニュアンスを意識して、自分が使って似合う言葉かどうか考えた方がいいような気がします。
この言葉を政治家が使うのは、大体相手が困っているときで、自然災害で被害を受けたり、政府の閣議決定の結果、不都合が生じたり、何か政府がやらないと評判を落とすという状況があるのが一般的で、「寄り添う」というのは、忙しいけれど出来るだけ顔を出すという事から始まって、決め手は補助金を考えましょうという事でしょう。
最近のガソリン価格高騰についてもリッター170円台を超えないように元売り企業への補助金を継続するというのが、元売りにも、スタンドにもドライバーにも「寄り添う姿勢」という事なのでしょう。
これに対して、「補助金を出すよりガソリン税の減税をした方が合理的では?」という意見も出ていました。
ガソリン税は国・地方税込みでリッタ―55円(50円+5円)程度ですが、この税金分にも10%の消費税がかかります。
「税金にも消費税がかかるの!」と驚く人もいる日本人の「人の好さ」ですが、これは有名な2重課税の代表例です。
こうやって税金を取っている政府が、それでも足りないから国債を出し国民から借金して、それを財源して補助金を出すという仕組みになっているのです。
補助金は一時的で、税金は恒久的だから、そういうことになるのも仕方ないという意見もあるでしょう。
しかし、減税をすればそれは全国民に均霑しますが、補助金は、政権が気にかけている人だけに払われるので、基本的に不公平になる可能性が大きい、という意見もあります。
補助金を当てにせず頑張れば、補助金の対象にはなりません。
この春の決算でも、石油元売り会社のトップの、「補助金もあって、市場最高の決算になりました」などの正直な発言も目にしたとことです。
政権党にしてみれば、陳情があって補助金を出すことが集票にもつながるわけで、そんな気持ちは微塵もないとは言えないでしょう。
大体減税をすれば、カネはそのまま国民の懐から動きません。増税や国債発行で、国民のカネを一度政府の懐に入れて、それを政府の裁量でまた国民に戻すという事になると、余計な手間や手続きが必要になります。
政治家や官僚の人件費は.結構高いので、その余計な手続きのコストが場合によっては効果を上回ることは結構多いかもしれません。
こういう事をできるだけ無くして政治、行政のコストを安くするのは、本来政治家や官僚自身の仕事ですが、有名なパーキンソンの第一法則の様に「官僚組織は常に肥大化する」のです。
改めて言えば、「寄り添う」というのは本来心情の問題で、カネで解決する事ではないというのも、日本語としては本来の意味ではなかったと思うところです。
政治用語は特別かもしれませんが、本来の日本語を正しく使うことも大事ではないかと思ったりするところです。