tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

敬老の日が過ぎて

2023年09月21日 15時04分36秒 | 文化社会
先日は「敬老の日」でした。
先日はと書いたのは、かつて敬老の日は9月15日でしたが、今は、9月の第3月曜日になっていて、暦にも今年は9月18日と書いてあります。

変わったのは2002年で、それまでは9月15日は95歳に通じるので、そこまで長生きできればという意味もあるのかな、などと思っていました。

働き者で休まない日本人を連続休暇に馴染ませるためでしょうか、それとも連続休暇を増やして消費需要の活発化を意図したのでしょうか、国民の祝祭日も一部は連休優先方式(成人の日、海の日、敬老の日、スポーツの日の4日)になって「この祝日は何月何日」と言えなくなりました。

動かせるものは連休にした方が休みやすいという事でしょうか。働き者の日本人にしてみれば、安心して休める国民の祝日を増やして、出来るものは連休方式にするというのも結構なアイデアかもしれません。

話が横道にそれましたが、敬老の日は、国民として何をすればいいのでしょうか。
祝日の趣旨は「社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という事だそうで、私も老人の仲間なので「社会に尽くしてきた老人」の資格ありやと反省するころです。

老人にとっては反省の日かもしれませんが、もう一つの「長寿を祝う」というのはどうでしょうか。

政府は平均寿命の長さについては世界に自慢するでしょうが、年金の遣り繰りについては四苦八苦、高齢者の負担は増え、給付は実質減少というのがこれまでの実績です。

本音ではお前たち高齢者の働きが悪かったからだ、と言いたいのかもしれませんが、これまでの経緯で見れば、日本経済低迷の原因は、プラザ合意以来の円高容認政策が根本原因で「あの頃の政治や外交担当者の失政が原因だったのではないですか」でしょう。

繰り言を言っても生姜ないので、大事なことは、失敗の経験を将来に生かすことで、このブログも、それに協力しているつもりです。

それは兎も角、「長寿を祝う」というのは、人間始め生きとし生ける物は無条件で納得するのではないでしょうか。

自分の意思で生まれたのではないのですが、生まれて来てよかった、生きることは自分にとって意味ある事というのは、人間以外の生物は本能で認めているのでしょうし、ホモサピエンスに進化すれば、脳の機能でそう感じ、考え、認める所でしょう。

生きることを良い事と感じ、長い人生を生きて、それぞれに多様な活動で社会に役立ってきた老人の人生に敬意を表し、長寿を祝う、という人間の自然の気持ちを素直に感じることが出来れば、それは「敬老の日」に相応しい心ではないでしょうか。