降って来るもの

写真と散文とぽえむ

しあわせのピース片

2020-01-02 16:38:25 | 家族

何か良いことが待っていそうな、令和二年の元旦と二日の穏やかなの日。

一月一日の昼前に、何時もの様に誰一人も欠けることなく、総勢十六名の家族が集いました。

喧噪に満ちた、それでも確かに”しあわせ”と形容できるもののピース片です。

今日の夕方には、再び従来の形に収束しますが・・

2020 01/02 16:46 まんぼ

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年初の一筆啓上~鐘の音~

2020-01-02 07:11:12 | 随想

      年初の一筆啓上~鐘の音~


 年末年始の数あるwaiwaigayagayaの番組の中で、此れしか見ない!もしくは此れだけは見る!と断言できそうな唯一の放送「ゆく年くる年」の中で、浄土宗総本山・京都知恩院の僧侶12人懸かりで撞く令和元年最後の鐘の音を聴きながら、もう後戻りできない僕の”いのちのTOKI”が、一括りになって過去という常に現在の直ぐ後ろに拡がる無間の闇の中に消滅してしまったのだと、改めて、妙に生々しく切ない感情に包まれる。

 そうして、真っ新な年月の到来を知らせる鐘の音は、僕らは何時でも日日の時分を刻みながら”いのちのTOKI”を亘る漂泊者なのだと、二度と廻り来ない今を次々に捨て去りながら”いのちを繋ぐ”方策のない流浪者なのだと思い知らされる。

 万物の霊長などと自尊する、或いは万物に対する不遜なHomo sapiensという存在の、如何に無力な如何に軽々しい如何に儚い存在であるのかの答えを突き付けられたようだ。

 そうして、だけれども、それだからこそ、其其のhitoは己自身の意志だけを道標に有限の時空の間に間を前進するしかない。その鐘の始まりの一音は、各々が各々の胸に一本の心棒を据えて虚空を亘るべし!!という覚悟を迫る槌音のように鼓膜を震わせたのだ。

 この拙文に対峙してくれている縁の人よ、もう一度、更新された日時の来訪に声を合わせて朋に祝意を表そうぞ!「明けましておめでとう!!」と。yosugaの糸の端と端を持ち合うANATA、変化してゆく月日の中で無事に絲に育ってゆくのか?そんなこんなを”いのちを繋ぐ”ひとつの手懸りに今年もanataとの道連れを”願い糸”にして。

                 R2 01/02 07:10 まんぼ

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